『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』

大江健三郎著 『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』




「前口上として」で、白血病で亡くなった友人について語られる。この「友人」がエドワード・サイードであることはすぐにわかるし、それ以前に『晩年様式集〔イン・レイト・スタイル〕』がサイードの『晩年のスタイル〔オン・レイト・スタイル〕』を「モジッたタイトル」であることは、「前口上として」を読む前に誰もが想像したことだろう。


この作品は構造としては入れ子状に近いものとなっている。
語り手の長江古義人は長編小説に取組んでいたが、「三・一一後」に興味を失ってしまう。しかし崩壊した書庫から見つけた「丸善ダックノート」に、「どうにも切実な徒然なるひまに、思い立つことを書き始め」、それを「晩年様式集」と名づける。それに合わせて長江は妹の頼みごとを果たそうとも思い立つ。「一面的な書き方で小説に描かれて来たことに不満を抱いて来た」妹が、やはり同じ不満を抱いている長江の妻と娘とで「三人の女たち」というグループを結成し、「それぞれあなたの小説への反論として書いたものを見せ合って」いたが、「最後の小説」(「幾度も聞いた気がする」としているが)を書き終える前にこれを読んでいてほしいと、長江のもとへ送ってきていた。長江は自分の書き始めた『晩年様式集』とこの「三人の女たちによる別の話」を合わせた私家版の雑誌を作ることにする。この『「晩年様式集」+α』が、『晩年様式集』という小説になる。

ここ十年ほど、大江は長江古義人という語り手による小説を発表してきた。「長江」をはじめ、大江の伝記的事実に多少でも知識がある人なら迷うことなくモデルを特定できる人物たちが登場する。ではこれは「私小説」なのだろうか。この作品の中でもこれは私小説か否か、このような手法を評価できるのかという意見が交わされる。

それにしても、大江はなんと凄まじいことをしていることか。長江というキャラクターを召喚するきっかけとなったのが、大江の妻の兄である伊丹十三の「自殺」について小説にするためであり、引き続き長江が語り手を務める本作でも「吾良」の「自殺」(自殺であったのか否かを含めて)は大きなモチーフになっている。近親者のセンシティブな話題を繰り返し描くのみならず、スキャンダラスとも取られかねない虚構化まで施している。

イタリア人から書面でのインタビューの申し込みがあり、長江は娘の真木に代わりに答えてみないか、と誘う。
イタリア人はこう質問する。「あなたがここに書いている人物たちはみな、それに触れられたくない、過去の出来事を描写される。(中略)あなたが書いていること、とくにそれを書くためにあなたの採用する手法について、あなたは罪悪感を抱かないか?」(p.89)

この質問者が取り上げているのはある女優の幼少期のレイプ体験についてである。これに対して長江ではなく、真木はこう答える。実際のモデルがいないわけではないが、徹底的に変形させているので彼女が対面を失うおそれはない。「私」という一人称で物語られると、読者はこれを真実だと思うのではないかと反論されるかもしれないが、「これは語りに小説的リアリティーをあたえるための手法であって、読者の目を小説の背後の現実社会に向けさせはしない。その点、作者は日本に独自の、いわゆる「私小説」として書いているのではない。作者は、在来の日本の「私小説」にあった、語られることが作者の実生活であるとする特殊な慣行を破棄する、書き方を作り出した。つまり、ヨーロッパではむしろ普通の、フィクションという約束事に立った上で、しかも「私」に語らせることでのリアリティーをかもしだす意図なのだ」(pp.90-91)。

しかし長江の妻(吾良の妹)は、『晩年様式集』での吾良の描き方が、「それで吾良さんについての記述を終わりにするつもりでいるのなら、わたしはそれが最悪のザツさだというんです」と書いている(p.189)。さらに真木もまた、長江の私小説風のスタイルを批判してもいる。


ポストモダン小説とは様々な定義の仕方があるだろうが、とりあえずは「小説であることに自覚的な小説」とすることができよう。では大江のこの人を喰ったようにも見える二重三重の迂遠な語りはポストモダン小説的遊戯精神なのかというと、そうとは思えない。

大江の作品には神話性を帯びたものが多く、本作でもギー兄さんの息子が登場するが、まさにこのギー兄さんは神話的キャラクターである。ではモダニズム小説の代表格ともいえるジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』がダブリンのある一日と『オデュッセイア』とを重ね合わせたように、この作品でも新たな神話的世界を構築しようとしているのだろうか。

本作では『懐かしい年への手紙』をはじめ『万延元年のフットボール』など、長江が登場する以前の大江の作品にも数多くの言及がある。しかしこれらに見られた「神話化」とはいささか様相を異にしているようにも思える。
大江はイェイツ、ブレイク、などを読み返すことによって、教科書的解釈とはまた別の独特の読みの可能性を提示し、それを小説に取り込むという独特の手法を取ってきた。長江が語り手を務める作品では、かつての大江作品を読み返すという作業も行われてもいる。ここで行われているのは、神話化であると同時に脱神話化でもある。卑近なものを神話的に読み替えるのみならず、神話的なイメージを卑近なものへと還元してしまうこともおそれない。

本作では『ドン・キホーテ』にも言及されるが、大江の作品は様々な意味で「ドン・キホーテ」的試みであるともいえよう。「騎士道小説」のパロディであり、自己言及小説であり、またその滑稽さは威厳をも呼び起こす。ここまでであればある時期以降の大江作品に共通の傾向であるが、長江を召喚して以降の作品には、「崇高」さというものを薄れさせていこうとしているようにも思える。ギー兄さんは最早過去の人なのである。大江はここで神話化に走るのではなく、野蛮ともいえる力を解き放とうとしているかのようだ。このような暴力的ともいえる傾向は大江が元来持っていたものではあるが、それがより一層浮かび上がってもいる。


「三・一一後」を描いたこの小説は、「良心的」作家による社会的小説とすることはできない。
ギー兄さんの息子は、「カタストロフィー」という言葉が長江の「晩年の仕事」によく出てくることに最近気付いた。「カタストロフィー委員会」が選んだ、ただ一人の日本人芸術家として長江の友人である篁透(武満徹をモデルにしている)がいる。ギー兄さんの息子、ギー・ジュニアはこう語る。「この作曲家は大きいカタストロフィーに立ちむかっている。決してそれを避けない。大家らしい円熟など一切考えない、と…… 僕はあなたの友人という点でやはり意識していたエドワード・サイードの、カタストロフィーを避けない大家リヒャルト・ストラウス、という考えを篁さんに重ねたんです」(p.129)。

ギー・ジュニアは「晩年ますます冒険的になる篁透を、日本最大のカタストロフィーの作曲家として定義した」一方で、サイードを「カタストロフィーとは対極にある人、社会に許容される円満なタイプとして拒否していた」。そして長江に対する評価も否定的なものだった。
「しかしサイードの死の後、僕はかれへの自分のケチな反撥が誤っていたと認めるほかなかったんです。終生のパレスチナ問題への参加にしても、白血病と闘い続けての死にしても。かれは端的にカタストロフィーを避けなかった。カタストロフィーのただなかへ自爆して行くようにして、これも僕があなたの言葉に影響されているのを認めますが、人間らしさと威厳を持って斃れた」(p.130)。

ギー・ジュニアはまだ、長江を「カタストロフィー委員会」に推すかどうかには「躊躇」があるとしている。大江/長江が「カタストロフィー委員会」に推されるとき、それは小説家が社会運動家としてや一個人の良識が評価されるときではなく、小説という世界でしか行い得ない、野蛮ともいえる力を徹底的に解き放つときであろう。『晩年様式集』はそのことをしかと見据えた作品である。



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佐藤太郎(仮)

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