『鄙の宿』

W・G・ゼーバルト著 『鄙の宿』




ゼーバルトは1960年代後半にローベルト・ヴァルザーを読み始めた頃、マンチェスターの古書店で、「ほぼ間違いなく、ドイツを追われたユダヤ人の遺品」であるベヒトルトによるゴットフリート・ケラーの三巻本の伝記を購入する。その本にはセピア色の美しい写真が一枚挟み込まれていた。そこに写る「スイスのトゥーン郊外アーレ川に浮かぶ島にある、草木に覆い尽くされた館」は、ハインリヒ・フォン・クライストが「狂気のドラマ『ゴーノレツ家』」に手を入れた場所であり、やがてクライスはみずからも病を得てしまうことになる。

「このとき以来私は、空間も時間も超えて一切がいかに繋がりあっているかを、ゆっくりと学んでいったのだった。プロイセンの作家クライストの人生と、トゥーンの醸造所で事務員をしたと自称するスイスの作家の人生とが。ヴァン湖の湖面に響くピストルの音のこだまと、ヘリザウの精神病院の窓からの眺めとが。ヴァルザーの散歩と私自身の遠出が、誕生と死去の日が、幸福と不幸が、自然の歴史と産業の歴史が、故国の歴史と亡命の歴史が。どの道においても、ヴァルザーはいつも私の道連れだった」(pp.147-148)。

この引用箇所は本書全体のエッセンスであり、またゼーバルトという作家のエッセンスにもなっているかのようだ。


「まえがき」によると、ゼーバルトは66年初秋にスイスを出てマンチェスターに向かったとき、トランクにケラー、ヨーハン・ペーター・ヘーベル、ヴァルザーの本を詰めていった。本書はこの三人の「つねに変らぬ偏愛」を抱いている作家に加えジャン=ジャック・ルソーとエドゥアルト・メーリケ、そして画家のヤン・ペーター・トリップについて書かれた六編のエッセイから成っている。

53歳になりサン・ピエール島へ難を逃れていたルソーは、「そのときすでに切りのない物思いを終わらせられたらと願っていたが、にもかかわらず、死ぬまで書きつづけた。メーリケはすでに努力の甲斐がなくなってからも自作の長編小説をいじくりまわした。ケラーは文筆活動にすっかり身を引き渡すために五十六歳で官職をしりぞき、ヴァルザーはいわば自分で自分を禁治産者にすることによってのみ、書くことの強迫から解放された」(p.6)。

このように、「報いられることはあまりに少ない」ために「文筆を擁護する言は、書く側の立場からはほとんど出て来まい」という状況にあっても、「物書きという悪癖につける薬はおそらくない」のである。


本書において最も印象深かったのは「孤独な散歩者――ローベルト・ヴァルザー」だった。
比喩的な意味ではなく、医学的に精神を病んでしまったヴァルザーだが、ゼーバルトは「詩において極端なまでに押韻にこだわったり、紙片に許される紙幅ぴったりに分量を抑えていたりする」、「一風変った形式へのこだわり」について、「精神病の悪化を反映しているという説にはどうも落ち着きのなさをおぼえる」としている。

ヴァルザーの「伝説的な<鉛筆書きシステム>」は、「ペンよりも決定性に乏しい鉛筆で書くことによって執筆のためらいを克服することにあったし」、「解読不能な文字を連ねることによって、ヴァルザーが無意識裡に「世間の評価および内面化された評価の権威」から身を隠し、言語の水準以下まで身をかがめて自分を抹消しようとし」、「鉛筆書きのシステム、紙切れのシステムは、当時出現しつつあった<偉大なる時代>に、破壊の危機に瀕していた限りなく小さく無垢なものを救い出すための、文学史上例を見ない防衛要塞でもあった」。
これは「非合法に追いやられた者による秘密通信であるとともに、真の<内的亡命者>のドキュメントなのだ」(p.139)。

オスマン帝国が崩壊し、ドイツから保護供与を受けつつ「近代国家としてのトルコが成立したとき、この成り行きに疑念をおぼえたのはひとりヴァルザーぐらいのものであった」。「廃位された皇帝に皇帝に自身の政治的あやまちを認めさせたうえで、当時成果だと見なされたものへの懐疑を語らせている」。
「だがわれわれの庭園は朽ち枯れ、われわれのモスクはやがて邪魔者になろう。(…)わが名の響きがハイエナすら畏まらせた砂漠には、鉄道が敷設されるだろう。トルコ人は帽子を被り、ドイツ人と見紛うばかりになるだろう。われわれは商売を強いられ、そしてもしわれわれにその才覚がなければ、たちまち撃ち殺されるのだ」とヴァルザーは皇帝に語らせている。
「事実おおよそこのとおりになったのだが、ただ、この呪われた世紀における最初の大量虐殺では、トルコ人がドイツ人によって射殺され撲殺されたのではなく、アルメニア人がトルコ人によって殺害されたのだった」(p.145)。

ヴァルザーは「時代の集合的な破局については、完全に口を閉ざし」ていたが、「政治的にナイーヴであったのかと言えば、それはまったく違う」。ヴァルザーはのちに「僕の世界はナチによって打ち砕かれてしまった」と語るように、現実から切り離されていたのではなく、現実との激しい緊張関係にあったとするべきだろう。そして本書で語られる作家たちもまた同様である。

ヴァルザーは、『盗賊』において、「ちょっとした放置や無視ばかりが積み重なった教育のなかに苦悩の原因があったのではないかと思われること、五十の歳を数えても自分のなかに子どもや少年を感じること、女の子になりたかったこと、エプロンを掛けるときの満足感、小さなスプーンを愛撫するフェティシズム的な傾向、迫害妄想、包囲され囲繞されているという感覚、『審判』のヨーゼフ・Kを思わせる、監視されていることを面白がる感覚、そして実際にこう書いているのだが、性的な萎縮のために痴呆になるかもしれないこと」を描いている。
ヴァルザーが精神を病んだことや、「生涯童貞であったと断じておそらく差し支えない」ことを考えると、アウトサイダー・アート的な連想を働かせたくなるかもしれないが、ゼーバルトの評価はそういった線とは異なるものだろう。ゼーバルトはこう続けている。「ヴァルザーは地震計なみの精度をもって、おのれの意識の周縁に起こるほんのかすかな揺らぎをもとらえ、精神医学が今日ですら夢想もできない思考や情動の断層や褶曲を記録していく」(p.144)。

ゼーバルトは狂気をロマンテシィズム化しようとしたり、あるいは狂気に対するフェティシズムからヴァルザーを、そして本書で語られる作家たちを愛でているのではないだろう。


ヴァルザーは劣悪な環境で長時間執筆していたが、「この仕事のために死ぬのではないか」とまで考えていたようだ。それでも執筆を放棄しなかったのは、「おそらく社会的地位失墜への恐怖、ひいては――ヴァルザーはほとんど陥りかけてもいたのだが――貧民の仲間入りをすることへの恐怖だったのではないだろうか」(p.137)。
ヴァルザーが「怖れたのは貧困そのものというより、零落の恥辱である」。ヴァルザーはこう書いている。「仕事のない労働者も職を失った見習い社員ほどに見下されることはありません(…)見習社員は職についている限り、半ば紳士ということになりますが、職を失ってしまうや、ぶきっちょで、余りもので、煩わしい<なにものでもないもの>に転落してしまうのです」。

本書で語られているのは、ヴァルザーとトリップを除くとフランス革命前後に生まれた作家たちである。大きな希望を抱けたと同時に、それ以上の幻滅を味わった世代だ。そのうちの一人、メーリケは、「市民社会で生きることがいかに困難であるかを、遅くとも卒中がもとで父が死んだ十三歳には身をもって知っていた」。
「彼をしじゅう悩ませた心気症やむら気、自身よく言及していた無気力や空虚感、ぼんやりした抑鬱感、身体の麻痺、突然の脱力、眩暈、頭痛、たえず感じていた、なにと特定できないっものに対する恐怖――それらはいずれも、メーリケ本人のメランコリックな気質の表れというばかりでなく、勤労の規範や競争主義の支配が刻々と強まっていく社会が人心に及ぼす作用でもあるのだ」(p.73)。

1804年生まれのメーリケが味わっていたこの状態を、現在でも感じている人は少なからずいることだろう(というか僕自身がまさにこうである)。僕とちょうど100歳違いのヴァルザーの感じていた貧困がもたらす恥辱への恐怖、あるいはそれよりもさらに約100年遡って生まれていたメーリケのメランコリー、こういったことからこの作家たちに現在との同時代性を見出すことはたやすく、そればかりか一体感すら抱けてしまう。ただ同時に、歴史との一体感を容易に抱いてしまうことには当然ながら警戒心も必要となる。


本書の冒頭に収録されているのはヘーベルについての「天に彗星がいいる――<ライン地方の家の友>に敬意を込めて」である。
その没後100年にあたって、ヴァルター・ベンヤミンなどユダヤ系の作家たちが行った再評価の試みは無力であったが、ナチスがヘーベルを「ヴィーゼンタール出身の郷土作家」だとして自陣営取り込んだことの影響は大きかった。ナチスに入党もした経験を持つハイデッガーはヘーベルについて、1957年になっても依然としてファシズム期の「自称ドイツ遺産の護持者たち」と寸分違わない講演を行っていたという。
ゼーバルトがフライブルク大学で学び始めた1963年ごろだが、ここでフランクフルト学派などの著作によって別の視座を開かれていなければ、ヘーベルについての理解は「枯渇して、嘘っぱちのまま」であったのかもしれない。

祖父が毎年ケンプ地方の暦を買うことを常としてたこともあってか、ゼーバルトはヘーベルの暦物語を読み続けていた。祖父の購入していた暦はヘーベルの暦物語と比較できるような水準にないとはいえ、基本的な体裁はほぼ同一であった。九九ピラミッド、利息計算表、守護聖人の名や月の満ち欠けと並び、ユダヤ暦も含まれている。

ハイデッガーはヘーベルを「故郷の土壌に根を生やした作家」だと主張したが、ある文章の語順を分析すると、それは「アレマン地方の語法に拠っているのではなく、むしろドイツ語の統語法を守りたがらないイディッシュ語そのものなのだ」。
「ヘーベルが暦のために編み出した高度な人工言語が方言や古風な言い回しや構造を採るのは、音調上のリズムがそれを求めている箇所に限るのであって、それは民族への帰属の証というよりは、むしろ彼の存命中、すでに異化の要素としてはたらいていたはずなのである」(p.20)。

ヘーベルは政治的には穏健自由主義者といたところで、革命を支持したとしてもあくまでその枠内でのことだった。「ヘーベルの希望と哲学は、いついかなるときであれ、既存の状況を血と暴力を以って転覆することには向けられていなかった」。ナポレオンに対して希望を見出したこともあったが、間もなく幻滅へと変っていき、その絶え間ない戦争への執着を批判する文章を残している。

ジャン・デュトゥールは「政治的には意図して不正確な著作」である『フォン・ボナパルト元帥』で、フランス革命以前の君主制に立脚したヨーロッパは、王家が互いに姻戚関係にあるために武力衝突は一定の範囲内にとどめられ、大仰な抽象的な理念を追求することはなかったとする「異色の考察」を展開している。この革命と戦争の混乱のなかから、「身の毛もよだつ新生ドイツが出現したのだ。それ以前の無垢なゲルマニアには、「ドイツよ、目覚めよ!」などという叫びを思いつく哲学者はひとりもいなかった」とデュトゥールはしている。

そして1814年には、ヘーベルは「ドイツ文学においても他に類を見ない終末的ヴィジョン」を見ることになる。「人類にあり得る最大の幸福を夢見ながら、人類にあり得る最大の不幸の実現に動き出してしまった時代」において、ヘーベルはヨハネの黙示録の世界へと入っていく。

ヘーベルの「暦作者」は、「暦物語のところどころで、自分の本当の故郷はここほど信心深くない東洋であることを匂わせている」。ゼーバルトは「彼がターバンとローブ姿でユダヤ人やトルコ人に交じって歩く姿」を「やすやすと想像できる」としている。この「暦作者」の姿からは、「鄙」が浮かんでくる。ヘーベルの幻視する黙示録的世界からの響きが「昨日のことのよう」思えても、それはハイデッガーのような夜郎自大的な「歴史」の利用とは異なるものなのである。

個の記憶が歴史と出会い、交わり、溶け合う。その奇跡的瞬間を祝福しつつも、いたずらに歴史との一体感に酔いしれるのではない。「解説」によると、ゼーバルト自身がオーストリアとの国境近沿い、スイスとの国境も近い人口二千人強のドイツの小さな村で生まれ育った。この鄙/田舎の静謐な光景は、ゼーバルトによる歴史への視線を示唆するようでもある。


「訳者あとがき」で、『鄙の宿』というタイトルがヴァルザーの「トゥーンのクライスト」の出だしから取られていることに触れられている。
このように、ゼーバルトにとってヴァルザーはとりわけ大切な作家である。そしてゼーバルトはヴァルザーの写真を見ると、その死を「いまだに乗りこえられないでいる」祖父を前にしているような気分になるとしている。そればかりでなく、振る舞いや習慣もそっくりなのだという。そしてヴァルザーと祖父は、同じ1956年に亡くなっている。

ヴァルザーは旅に関心を持つことはなく、憧れのパリですらその眼で見ることはなかった。そんなヴァルザーだが、スイスからドイツまで強行軍の徒歩旅行の経験はあった。そしてそのときただ一度だけ、気球に乗ってこの大地から離れた。

「こうした音なき空の旅のためにローベルト・ヴァルザーは生まれたのだ、と私は思う。どの散文作品をとっても、ヴァルザーはいつも重い地上から浮き上がることを求めている」。
そしてゼーバルトは、ナボコフが子どもの頃にお気に入りだった本について書いたナボコフの文章を、ここに重ねる。「乗組員たちは体を寄せあって寒さをしのいだが、一方、そこから離れたところにいる小さなひとりぼっちの飛行家は――彼の怖ろしい運命にもかかわらず私は彼がうらやましい――たったひとり、星と氷の深淵へと漂っていく」。


『緑のハインリッヒ』で当初ケラーが意図していたのは、「若い芸術家の経歴が悲劇的に断たれ、糸杉の暗みのごとき結末をむかえてすべてが死で終わる、といった短い小説を書いて、それできっぱりと筆を折る」ことだった。そのほうがよかったのかもしれない、「だがそうなれば、読者にとって失われるものは大きかった。なぜなら言葉の世界に囚われた哀れな作家たちは、しばしば読者の眼前に、実人生にはとうてい差し出すことのできない美しさと鮮烈さをそなえた眺望を開いてくれるのだから」(p.7)。

ゼーバルトの祖父の記憶からヴァルザーの体験した気球での上昇とナボコフの回想とが絡み合い溶け合うこの「眺望」の可能性がある限り、作家たちはいかに呪われようとも書き続けるのであろう。



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佐藤太郎(仮)

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