『遁走状態』

ブライアン・エヴンソン著 『遁走状態』




「遁走状態(fugue state)」とは、「記憶や人格を失って「徘徊したりする状態を意味する医学用語」(「訳者あとがき」より)である。表題作はまさにこのような、ディック的、あるいはデヴィッド・リンチ的現実崩壊感覚が描かれている。

冒頭に収録されている「年下」は、父親が精神を病み、母親が自殺した姉妹の物語である。姉は現実と折り合いをつけているのに対し、妹は「壊れて」しまっているままだ。妹は父親不在の朝に体験した出来事がトラウマとなっている。姉は何も起こらなかった、たいしたことではなかったのだとしているが、妹からするとあの瞬間に、間違いなく自分は損なわれてしまったのだという感覚が拭えないでいる。「普通」であらば姉が「正常」で妹が「狂気」におかされているとするべきなのだろうが、本当にそう言いきれるのだろうか。最後に収録されている「裁定者」では、ある人物が「おかしいのは私がおかしいからか世界がおかしいからか、私にはわからない」とひとりごちる。妹の反応こそが「正常」で、姉こそが狂った世界に順応しているだけだと考えることもできよう。「正常」な世界と「異常」な世界とを、きれいに切り分けることなどできるのだろうか。


「訳者あとがき」に、エヴンソンが毎日新聞の「新・文学ナビ」に寄せた文章が紹介されている。エヴンソンはある日、奇妙な動きをしている鳥を見かける。興味を惹かれて近寄ってみるとなんのことはない、それは「風に舞う木の葉」だったのだ。しかしエヴンソンは、「ある次元においてはそれはさっきまで鳥だったのでありそれがなぜ木の葉になったのだ、と考えずにいられなかった。はじめに私が見た鳥はいまなお現実なのだ、と」。「私の小説は、木の葉の中に隠れた鳥を再発見すること、人が現実を見るその見方と現実の真のありようとのギャップを経験することが主題なのだと思いたい」としている。

訳者の柴田元幸はこれを受けてこう続けている。「「木の葉の中に隠れた鳥」をただの錯覚として片付けることで、我々はひとまず健全な日常生活を営んでいる。だがエヴンソンは、鳥も木の葉も等しくリアルである世界を描く。常識の多数決によって認知された「現実」が疑わしくなる場、時にはそうした「現実」がほとんど姿を消している場を彼は描く。そのなかで、登場人物たちは、どうにか世界を解読しよう、理解しようとあがいている。そのあがき方は、時にひどく滑稽だったり、グロテスクだったりもするが、そこにはつねに、人が「不安定さを受け入れて生きようと苦闘」する生々しさ、切迫感が貫いている」。

表題作のようにディック的に世界が完全に溶け出してしまうものもあるが、もっと曖昧にして両義的な作品も多い。そして柴田が指摘するように、これはポーをはじめとする「「私」の連続性が保障されないアメリカ的自由と不安」を描く、アメリカ文学の伝統に連なるものであるかのようだ。

エヴンソンの作品はいくつかがすでに紹介されている。『居心地の悪い部屋』(岸本佐知子編訳)に収録されている「ヘベはジャリを殺す」などは、そのざらりとした暴力性が強烈な印象を与えている。この作品はエヴンソンの第一短篇集から訳されているが、エヴンソンはモルモン教徒の家庭で育ち、自身も信仰心篤かったが、この中・短編集Altmann's Tongueがあまりに暴力的な内容だとしてブリガム・ヤング大学での職を失い、さらに後には破門されているそうである。

Altmann's Tongueは未読なので全体の雰囲気がどういったものかはわからないが、『居心地の悪い部屋』や『遁走状態』に収録されている暴力的雰囲気の濃い作品は、どこかイギリスの作家であるイアン・マキューアンの初期の頃を思わせるようでもある。しかし柴田が近年のエヴンソンは次第に暴力が後景に退いていっているとしているように、この作風の変化はよりアメリカ文学的な流れの中に身を置くようになったということなのかもしれない。

「第三の要素」はポール・オースターのニューヨーク三部作の、「助けになる」はレイモンド・カーヴァーの「大聖堂」のエヴンソン風味という趣もあるが、何よりも「温室で」や「アルフォンス・カイラーズ」は、エヴンソンがエドガー・アラン・ポーの文学的直系の子孫であることを雄弁に語っている。

文学史的には「回帰」という面を持ちつつも、同時に多様なジャンルからエネルギーを取り入れるその混淆性、あるいは雑多性というのは、時代的「新しさ」であると共にアメリカ(文学)の「強さ」でもあろう。


モルモン教破門などのエピソードや初期の作風からすると、失礼ながらエヴンソンはエキセントリックな社会不適応者なのかと勝手に想像してしまうのだが、実際にはフランス文学の翻訳者でもありアカデミシャンという一面も持ち、「訳者あとがき」や「新潮8月号」のインタビューによるとブラウン大学の文芸家主任教授を務めるなど日常の職務を卒なくこなしている(というかこなすことのできる)人物であり、また良き家庭人でもあるようだ。B.K. Evenson名義でゲームや映画のノベライゼーションも行っており、『ロード・オブ・セイラム』が翻訳されている。これを始めて知った時も失礼ながらカネのためにやむを得ず行ったやっつけ仕事なのかと思ってしまったのだが、インタビューを読むと当人も結構楽しんで書いているようであり、エヴンソンを理解するためには簡単に無視してしまうべきではない仕事の系譜であるようだ。


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