『ノワール文学講義』

諏訪部浩一著 『ノワール文学講義』




本書は『『マルタの鷹』講義』でハメットの『マルタの鷹』を詳細に読み解いた著者による「ノワール論」を集めたものである。「「『マルタの鷹』講義」補講』も収録されているようにハメットは本書でも特権的地位にある作家であるが、前著と違っていくつかの媒体に発表された文章を集めたものだけに、様々な角度からノワールについて語られている。

ある種の小説や映画に「ノワール」という言葉が使われるようになったいきさつについてはよく知られているだろう。第二次大戦終結後のフランスでガリマール社が「セリ・ノワール(暗黒叢書)」という叢書でハメットらのアメリカ小説を刊行し始めた。また「四〇年代に流行した映画ジャンルが、フランスで「フィルム・ノワール」と呼ばれた」ように、映画用語としてなじんでいる人も多いだろう。もっとも「フィルム・ノワールという言葉が頻繁に使われるようになったのは、大学で本格的に映画が教えられるようになり、とりわけフェミニズムを吸収した論者達が「ファム・ファタール」の存在に注目するようになってからのことと思われるので、七〇年代あたりまでは「ノワール」は耳慣れない言葉だったといっていいはずである」(p.6)ということにも注意が必要だ(本書ではファム・ファタールについても一章を割いて語られている)。

「ノワール」について漠然としたイメージは抱きやすいが、同時に「ノワール」とは何かという問いに端的に答えるのは難しくもある。ハードボイルド小説と重なる部分は多いが、だからといってイコールだとすることはできない。ノワールをノワールたらしめるものとは何なのか。

「初期ノワールの作家達は、自分が書いているものを「ノワール」という「ジャンル」として意識できるはずがなかった。そうである以上、多くのノワール作家達が共有する「コード」というようなものが見つかりにくく、「ジャンル」として定義するのが難しくなってしまうのは、やはり仕方ないだろう。ノワール研究の先駆である映画批評の領域においても、「フィルム・ノワール」とは一九四一年の『マルタの鷹』から一九五八年の『黒い罠』までを指すという了解こそ共通認識としてあるものの、それでもやはり「ジャンル」というよりは「表現形式」とか技法、あるいは「雰囲気」といったものを指すと理解されているのが実情なのである」(p.7)。

ではこの「雰囲気」とは何か、「ひと言でいってしまえば「閉塞感」であり、ノワール小説の「詩学」を考えるには、おそらくここから出発するのが妥当だろう。ノワール小説が書かれるようになった三〇年代は、先を見通せない大恐慌の時代だったからだ」(p.8)。

狭義の意味でのノワール作家のみならず、フォークナーら三〇年代のアメリカの小説の特徴から著者は「ノワール構造」をこう抽出している。「主人公が(1)閉塞した状況に置かれ、(2)そこからの脱出を望み、(3)それに失敗する」。これはそれぞれリアリズム、「典型的にアメリカ的問題でもある」ロマンス、そして悲劇に対応しており、「ノワールについて考えることは「小説」というジャンルそのものの可能性について考えることに通じているとさえいえるかもしれない(p.13)。

「ノワール文学」からこのような普遍性を読みとることも可能であると同時に、「閉塞感」の中身が時代と共に変っていくのも当然であろう。三〇年代には濃厚にあったリアリズムに基づく社会批判的雰囲気から、第二次大戦後は「自我が完全に分裂してしまう」作品を書いたジム・トンプソンに代表されるように、「「自我」なるものが深く損なわれるといったタイプの人物が繰り返し登場することになる」(p.36)。

これは上記の三つのポイントが「大戦後のノワールではのきなみ弱くなってしまった」ということでもある。「不況という「リアリスティック」な社会的背景がなく、主人公自身が単に異常であるということになると、読み手は主人公に共感するのがどうしても難しくなるだろうし、そうなるといささか逆説的なことに、提示される「悲劇」からは「不条理」の感覚も消えてしまうのだ(「頭がおかしいのだから仕方がない」と簡単に「納得」できてしまうわけである)」(p.38)。

また映画の影響もあって、定義はされていなくとも「ジャンル」のように認知されて需要が高まることによって粗製乱造も起こり、そしてチャンドラーらハードボイルド作家のように「様式美」に傾くことによって迫力が消えていったという面もあるようだ。


このように三〇年代のノワール文学と第二次大戦後のノワール文学との間には差異、あるいは断絶があるが、これは間に映画が介在することによってその傾向が強められたのかもしれない。

「ノワール小説の可能性、あるいはフィルム・ノワール」ではノワールと映画について論じられている。
三〇年代に書かれたノワール文学が次々と映画化されるようになったのは四〇年代に入ってからである。なぜこのようなタイムラグが生じたのだろうか。

ハリウッドでは二〇年代からギャング映画が数多く作られたが、ヘイズ・コードの「犯罪を魅力的に描いてはならない」という規定によってこれまでのようなギャング映画は撮れなくなってしまう。その結果としてサイレント時代の「ヴァンプ映画」が「スクリューボール・コメディ」へと「ラディカルな変化を遂げ」たような副産物的な例もあるものの、「スクリューボール・コメディの規範転覆力は微温的なものにとどまってい」た(p.56)。

このような状況では暴力や妖婦が登場するノワール文学を映画化することなどできようはずもないように思える。しかし、そもそもノワール文学は激しい暴力や性の描写を行っていたのだろうか。「例えばケインの小説は「暴力」と「性」を描いているから「低俗」であるという通念は当時からもちろんあったわけだが、実際に『殺人保険』を繙いてみればわかるように、そこにはそもそも「暴力」と「性」に関する具体的な描写などない」のである(p.57)。

ハードボイルドにも大きな影響を与えたヘミングウェイは、「作者は水面に出ている氷山の八分の一だけを描き、残りの八分の七は読者に想像させるほうが高い文学的効果を得られる」という「氷山理論」を唱えた。
「言葉によっては語りつくせない大きな「現実」を、あえて「語らない」ことによって浮かびあがらせるというこのモダニスト的戦略」をとったフィッツジェラルドやフォークナーは「二〇年代のアメリカ文学を世界的な水準へと引きあげることに寄与」したが、この二人はハリウッドに招聘された作家でもある。またこのような戦略は「ノワール作家達の「ハードボイルド」的スタイルを特徴づけるもの」であり、これによってそれまでの「犯罪小説」とは一線を画すことになったのであった。

そしてハリウッドはこの戦略を発見することにより、ノワール小説を映画化することができるようになる。ここで注意すべきは、「フィルム・ノワールがノワール小説に「追いついた」ときに確認されるべきは、「小説」より「映画」がジャンルとして「遅れていた」ことなどではなく、「映画」が「小説」から何を引き出し、どのような道を進んだかという点だろう」(p.60)。

ケインの小説の主人公が殺人場面を語らないのは、それは彼が語りたくないためであり、そのことによって殺人犯は冷酷非情な存在としてではなく「人間」として描かれる。一方の映画は首をへし折る場面など撮るわけにはいかず、別の何かを撮らなくてはならない事情があった。
「それを「映さない」ことは、すなわち別のものを「映す」ことを意味した」。『深夜の告白』の殺人の場面で映し出される「瞬きひとつせず、仮面のような、そしてかすかに微笑んでいるようにさえ見えるその顔を映すことにより、ワイルダーは彼女こそが状況をコントロールしていることを示すのだ」(p.62)。

また「検閲を逃れるために何を見せておくかという問題は、限られた上映時間(一〇六分)の中で何をどう見せるかという問題と通底していたのであり、それゆえこの時期の「映画」は、効率よく物語を見せるために、個々のシーンに複数の「意味」をこめる技術を洗練させていった」(p.62)。
「『深夜の告白』が原作の『殺人保険』よりも芸術作品として優れているという定説は、こういった「語りの経済性」によっても確認される」。そしてそのことによって、「ノワール作品にとっての「核」となる主題が、原作以上に引き立て」られるようにもなった。

ケインの原作にあった「ノイズ」を消すことによってワイルダーは傑作を作り上げた。しかし「その上で強調していかねばならないのは、「ノイズ」を削り落とした完成度の高い作品が、さまざまな「ノイズ」を含んだ作品よりも、絶対的に優れていることにはならないという事実である」(p.69)。
「ノイズ」を消去した例としては、『郵便配達』において夫がギリシャ移民であるという設定をガーネットの映画版が削ったことがある。これは作品から階級の問題をなくしてしまったということでもある。

四〇年代にフィルム・ノワールが全盛期を迎えると、社会批判などの「ノイズ」を持っていた「ノワール」的雰囲気はアメリカの小説から消えていく。そしてジム・トンプソンらの登場は四〇年代のフィルム・ノワールの隆盛なくしては考えられなかったのかもしれない。
「彼らは初期ノワール小説にあった「社会意識」を発展させるより、フィルム・ノワールが「ノワール」の可能性として抽出した「主体」の問題へと直接切りこんでいく」ことになる。「新世代のノワール作家達の小説では、「金」と「女」といった外的要因のために理性を失うのではなく、あらかじめ「理性」なるものが決定的に――「実存的」なめでに――損なわれている人物が主人公とされることが多」くなるのである(p.73)。

「ノワール小説」と「フィルム・ノワール」の蜜月関係は続いていたが、これを終わらせたのは映画の側であった。テクニカラーやシネマスコープは「彩り」のない「閉塞感」を「映す」のにふさわしくはなかった。またスタジオ・システムの崩壊によってノワールから「B級映画」という媒体が奪われた。そして「決定的」だったのが、ヘイズ・コードが無力化していき六八年に撤廃されたことだった。
「「アメリカン・ニューシネマ」の勃興とほぼ同時に起こった「コード」の消失は、「映画」というジャンルから「映さない」ことへの自意識を奪うように機能した。ときに指摘されるように、一つの場面に複数の「意味」をこめていた「映画」は、このときからスクリーンに映されたものだけを見せる「スペクタクル=見世物」的なものとなっていくのだ」(p.74)。
観客は「暴力」や「性」を見ることを期待し、「映画」はその期待にこたえることを選ぶ。「しかしこの変化は、「目に見えないもの」を扱う「ノワール」にとっては受け入れがたいものだった」。


三〇年代のノワール小説が時代的背景の雰囲気を濃厚に持っていたのだとしたら、それは時代と共に変っていくことにはなるのは避けられないことだったろう。ノワールが独特の変遷をたどったのは、映画という異種からの影響があったとするのもまた時代性の反映ということでもあろう。また大恐慌時代も、そして実存的自我の崩壊感覚とも距離を持って生まれた読者はまた新たな読みを切り拓くことも可能になるのかもしれないが、そのためにはこのような歴史感覚も必要なことだろう。


著者は「ニューシネマ」は「ノワールではない」としている。『タクシードライバー』を含む「ニューシネマ」の批評性は「「宿命」に殉じて罪を犯してしまう人間という生き物に対する共感を、最終的に切断するものであるからだ。「共感」が「「物語芸術」の前提条件とならなくなった地点から「ポストモダン」の小説や映画が始まったといえるかもしれないし、だとすれば、「小説」と「映画」の「幸福な関係」が難しくなっても仕方がないというべきかもしれない。

「しかしそうはいっても、「物語」がある限り、読者や観客は「共感」を求め続けることになるだろうし、そうである以上、我々が「ノワール的世界」から安全に隔離されることもない。トンプソンの『おれの中の殺し屋』(五二)の語り手が最後に繰り返していうように、「ノワール」とは「おれたちみんな」の物語なのだから――「歪んだキューでゲームを始め、多くを望んで少なきを得て、善をなすつもりで悪をなしてしまったおれたちみんな」の」(p.77)。



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佐藤太郎(仮)

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