『二十歳の原点』

高野悦子著 『二十歳の原点 ノート』『二十歳の原点 序章』『二十歳の原点』






1969年6月24日に、「二十歳と六か月」で自ら命を断った高野悦子の残した14歳からその死の直前までのノートは1971年から76年にかけて出版され、ベストセラーとなった。刊行順は執筆とは逆で、年代を遡る形で刊行されていった。

高野が生まれたのは1949年1月2日のこと。ちなみに同世代としては村上春樹は同年同月の12日生まれ。ついでにいうと僕の母親も49年生まれ(学年は一つ下)なもので、親の日記を盗み読んでいるような気分にならなくもなかった。

村上の実体験もふまえた『ノルウェイの森』は高野が命を断った69年を主な舞台としているが、村上が本書を読んだことがあるのかどうかはわからないし、仮に読んでいたとしても直子やその他の登場人物の造形に影響を与えたという可能性はかなり低いだろう。ただ1940年代後半生まれの大学生が70年前後に何を考え、どのような生活を送っていたのかを知るうえでは、当時を知らない人間にとっては、ちょっと嫌な言い方になるが「資料」としても読むことができる。


本書がなぜベストセラーになったのかというと、もちろん高野の悲劇的な最後ということもあろうが、それよりも高野の「普通」さが、同世代の人間には懐かしさを呼び、またやや下の世代の人間には姉/兄も同じような煩悶を抱えていたのだということへの共感を集めやすかったせいもあったのかもしれない。

14歳の誕生日から17歳までに綴った『二十歳の原点 ノート』を読むと、僕にとっては親の世代の日記とはいえ、ほとんど世代的な違和感なく読める部分も多かった。

中学では生徒会副会長を務めたことからもわかるように、学校生活では決してアウトサイダーではなかったのだろう。一方で自分には親友がいないということを気に病んだりもする。基本的には知的で聡明であったのだろうが、ずば抜けた早熟ぶりを発揮したというわけではなく、読んでいる本をみても、当時としてはとりたてて驚くようなものではない。これからしっかり勉強しなくてはと何度も決意するものの、ついダラダラとテレビを見てしまい反省する。それでいて志望校にはしっかりと合格するのだから、怠惰な生活にひたりきるわけでもない。

人間関係を円滑に結べないという不安や焦燥、男性コンプレックス、プライドが高く自意識過剰気味の傾向、そこからくる他者への優越感、そしてそのことを自覚しているがゆえの自己嫌悪。こういったものは思春期にはおなじみのものとしていいだろう。

中学の時、好意を持っている男の子が5時間目の授業をサボったので、6時間目に戻ってきたときに「どうしたの」と訊くと、男の子は「出張してたんだ」と答える。高野が「出張手当もらった?」とふざけて言うと、その男の子も笑顔を返してくれた。好きな男の子の軽口に冗談で返すことができ、それでなんだか通じ合えたような気がしてしまったことを日記に書くというのは今の中学生でもあるのではないだろうか。日々の心象を詩にしてしまったり、「がんばれ、悦子!」などと書いてしまうのも今でも十代の子にはよくあることではないだろうか。


日記というのは奇妙といえば奇妙なもので、有名人著名人ならば死後に読まれることをある程度想定して書いているのだろうが、一般人にとってもこれは同じかもしれない。僕自身は簡単なメモ程度ならともかく、日々の生活や心の動きを詳細に日記に書きつけることはしないのではなく、できない。まず「誰かに読まれたらどうしよう」という思いを捨て去ることはできないし、自分と正直に向き合うことも苦痛である。とりわけ十代であれば、その自意識やそれにともなう苦痛も大きなものとなるが、それを乗りこえるためには、あえてこの表現を使うと、「イタさ」のようなものも必要なのかもしれない。

高野は日記を「小百合さん」と名づけ語りかけることにするが、「小百合さん」では吉永小百合が浮かんでしまうからとしてジュディー(!)と名づけ、この仮想の人格に語りかけるという体裁を試みる。これは「正直」に自分を語るための手段だったのかもしれないが、今でいうところの「黒歴史」というものの範疇に入ってしまうだろう。そういえば『glee』のスー先生も「日記さん」に語りかけていたが、日記に架空の人格を持たせるというのは広く行われていることなのだろうか。

「正直さ」の試金石になるのが、とりわけ十代であれば性の問題だろう。高野は1963年11月3日にこう書いている。「ジュディー、あなたには私のすべてを告白します。私は自慰をします。そういうことは男女が自然のなりゆきでするのが自然の姿だと思っています。しかしその快感に負けてしまうのです。私はこういうことを平気でいってしまうんですから、異常なのかもしれません。でもジュディー、私はゆうわくに負けず、しないように、と思います。私にはこれらのことについても、正しい知識を持って正しくして行きたいんです」。

十代半ばの頃には、ほとんどの男性が自分の性欲が異常なのではないかという疑念を抱いたことがあるだろうし、もちろん性欲というのは女性にも存在しているのであるから、女性が自分の性欲やその処理について異常なのではないかという疑念を抱くこともあるのだろう。このあたりについて「正直」になれたのかというと、僕には無理であったし、こういうのを無理と思ってしまう人間には日記をつけ続けるというのは難しいのだろう。

『二十歳の原点 ノート』には高野の書いた『アンネの日記』の読書感想文も収録されており、高野はまさにこの日記をつけはじめて半年ほどした頃に『アンネの日記』を読み始めている。ときおり中断するとはいえ、これだけ長く日記を書き続けたのには『アンネの日記』の影響もあったことだろう。
『アンネの日記』といえば、刊行当初は父によって性にまつわる部分などがカットされており、今ではそれらの部分も含めて刊行されているが、高野が読んだ頃にはこのあたりの事情は知られていなかったのではないだろうか。『二十歳の原点』には父親によるあとがきがあるが、とりわけ男親にとっては娘のこういった面は直視したくないだろうし、ましてや人目にさらすことには躊躇もあっただろうが、このあたりは編集されることなく収録されている。


とりわけ『二十歳の原点 ノート』では「普通の中、高校生」といった印象も強いのだが、高野が平均的な家庭に生まれ育ったのかといえば必ずしもそうとはいえないだろう。父親は京大卒で(高野は栃木出身ながら立命館大学への進学を希望し、それを叶えるが、当然ながら父の存在の影響もあったのだろう)、地方公務員とはいえ祖父の遺産もあり高校時代から娘二人を下宿に出したり、大学に通わせる経済力があった。当時としてアッパー・ミドルに含めてもいいだろう。

父親は権威主義的で抑圧的という印象は受けないが、それでも大学進学後は、ただでさえ4大卒は嫌われるのだから在学中にお茶や料理などの花嫁修業をしっかりやらなければだめだと説教をしたりもする。当時としてはこのような考え方はそれこそ「普通」であったのだろうし、高野家が特別封建的であったりリベラルであったりしたわけではないようだ。

また高野は幼少期に心臓の疾患が疑われ、高校時代に始めたバスケットもこれにより断念させられ、選手ではなくマネージャーとなったことの葛藤も綴られている。
このあたりの「普通」さや「平均的」な部分と、またそこからはみ出す部分があるからこそ、読者にとってはよりなじみやすい世界ともなったのだろう。


本書を手にするほぼ全ての読者は著者の最後を知ったうえで読み始めることになるのだが、当然ながら早い段階から自殺願望をしきりと書いていることに注目せざるをえない。
ただこれも、当初は「病的」であったり過度にパセティックであったりするわけではないという印象でもある。ふとした瞬間に、このまま死んでしまいたい、自分が死んでしまったらどうなるのだろうか、一番苦しまずに死ぬ方法は何なのか、どうすれば家族に迷惑をかけないだろうか、といったことを考えてしまうことは、思春期の子にとってはそうめずらしいことではないだろう。実際死について同級生と話したことも記されているし、少なくとも中、高時代には極度の鬱状態であったり精神的な疾患を疑わせるような印象は受けない。


高野が村上春樹と同年同月生まれであることにはすでに触れたが、庄司薫(作者の方ではなくて登場人物の方)は二学年下にあたる。『二十歳の原点 序章』は17歳から19歳までの日記であるが、高校時代の文体などはどことなく薫クンっぽいところがなくはないような所もある。庄司薫(作者の方)はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の、とりわけ野崎孝訳から強い影響を受けていることは有名であるが、同時に『赤頭巾ちゃん気をつけて』が発表された当時、そのリアルな文体から作者は本当に日比谷高校の三年生なのではないかという噂も立ったともされている。庄司の編み出した文体が野崎訳サリンジャーの影響下にあるのは間違いないが、高野の文章を読むと、そればかりでなく当時の知的な若者の好んだであろう文体を庄司がきちんと学びとっていることも確認できる。サリンジャーも『ライ麦』発表時にはもう若者とはとても言えない年齢になっていたのだが、コールフィールド君の口調は非常にリアルに当時の若者言葉を再現したものだとされている。こちらもすでに若者とはいえなくなっていた(作者の方の)庄司は単にサリンジャーの文体や構成を模倣するのではなく、こういった姿勢も含めて影響下にあったとしていいのだろう。


このような柔らかな文体であったが、大学進学後は急速に言葉使いや文体が生硬になっていく部分もあるが、これは必ずしも成長や成熟を感じさせる変化とはなっていないようにも思える。

高野は行き当たりばったりに進学先を決めたのではなく、立命館の史学科に行くことを第一志望にしていた。父親によると明治などにも合格しており、立教への進学を強く勧めたが、最終的には当人の希望が尊重された。このことは父にとっては悔恨として胸に刺さっているようだ。

高野はこのことからも窺えるように、当時としても生真面目さというものを(後の行動も含めて考えるに)少々過剰に持っていたという面もある。そして親元を離れ、向学心に燃えて進学したこのような学生が幻滅を味わうのも無理はなかっただろう。

大学の大衆化が進むにつれ、「マスプロ授業」への学生の反発も増してくる。少なからぬ学生にとってはただ文句を言うためのいい口実という面もあったことだろうが、大学教育にある種のロマンを抱いていた学生にとっては心から失望させられるものであっただろう。それでも高野はすぐにドロップアウトするのではなく、まだ勉学への希望と意欲を完全に失ったわけではなかった。

高野の「生真面目」さが窺えるエピソードとしては、民青に加わるかどうかを真剣に悩んでいたことがあげられるだろう。当時すでに新左翼は隆盛を迎えはじめ、自己顕示欲が強く、頭の良さや過激さをアピールしたい学生は共産党よりも新左翼へ流れていく傾向にあったのではないだろうか。民青に留保つきながらも惹かれるというのは、周囲に愚直ともいえる印象を与えたかもしれない。またこの生真面目さゆえに、セクト間の争いは心痛めるものであると同時に、理解しがたいものとも映っていたのだろう。

一方で、「生真面目」さを徹底できるほどの「強さ」があったわけでもなかった。高野は「部落研」に入る。僕は東日本で生まれ育ったので実感したことはないのだが、東日本から西日本に移ると、被差別部落の問題の「近さ」にとまどう人も多い。もちろん東日本でも部落差別は存在しているが、隠微に行われていることが多い。西日本では差別がより直接的に行われるケースが多く、またそれだけに差別是正の運動も強くなる。高野が被差別部落問題を学ぼうとしたのには日本史への関心とともに、こうした環境の違いを感じたからかもしれない。しかし高野は間もなく部落研を抜け、ワンダーフォーゲル部に入ることになる。ワンゲル部の「明るさ」に驚き、それゆえにまた引け目や自分への失望感もつきまとったことだろう。

またまた村上春樹に登場願うと、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』収録の「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」で部落差別にまつわる、無知から自分が加害者になってしまった高校時代のある苦い記憶について触れている。この時の村上の同級生が立命館に行って高野と知り合っていたとしても不思議ではない。

さらに村上つながりでいうと、村上は学生時代に寝袋をかついで一人旅によく出ていて、『ノルウェイの森』でもその経験を使っている。高野も高校時代から山登りなどを行っており、その流れでワンゲル部に入ることになる。当時の孤独感を抱えた若者にとっての山登りや寝袋をかついでの一人旅に代わるものは、今の若者にとってなんなのだろうと考えるとちょっと思い当たらないかもしれない。このあたりは同じ閉塞感といっても形を変えていっているということろもあるのだろう。


『二十歳の原点』に入ると、最後が迫っていることを意識せざるをえない読者は、痛々しさを抱えながら読み進むことになる。

大学には完全に失望し、学費を納めることも拒否することになる。またデモに参加して機動隊に殴られるなどするが、民青からは心が離れる一方で新左翼のセクトに加わることもない。勇ましいといっていいような、悪く言うと型にはまったような左翼的言葉使いが増えていくが(成長や成熟を感じさせるものではないというのはこういった点だ)、これも必ずしも信念ゆえという印象は受けない。マルクスなどを読まねばという気持ちはあるが、学生運動との心理的距離感はむしろ開いていった感もある。「居場所」を求めて学生運動にどっぷりつかるか、あるいは『ノルウェイの森』のミドリのように完全に幻滅を味わい何の幻想も抱かないようになれば楽であったのだろうが、中途半端な位置にとどまってしまっているかのようだ。

孤独感をつのらせ、男性を強く求める気持ちが湧くものの、「男性コンプレックス」もこびりついている。自分が父親の金によって生活できていることは意識しているが、いざ自立しようと働き始めると厳しさにうちのめされそうにもなる。自殺願望にしても、69年に入るとコードで首を絞めてみるなど単なる空想の域を超え始める。

この頃の高野は周囲にはどう映っていたのだろうか。これはまったくの推測だが、危険な行動に及ぶという兆候を表には出していなかったのかもしれない。高野が「普通」な印象であることには触れたが、この頃は学生運動にのめりこんでドロップアウトしたり、感受性豊かな若者が「自分探し」のようなことを始めるというのも珍しいものではなかっただろう。今の大学生はそれこそ三年生ともなれば、「就活」という強大なストレスにさらされることになるのだが、当時は少なくともこの方面からの圧力は今ほど強いものではなかった。父親や周囲の人たちも、「困ったことになったなあ」とは思ってはいても、深刻な事態になるとまでは想像できなかったかもしれない。
高野個人の性格や時代の状況が全て悪い流れに乗ってしまい、最悪の結末へと押し流す奔流から抜け出すことも、助け出すこともできなくなってしまったかのようだ。


『二十歳の原点』三冊の後半部分を現在の十代後半の人が読むと、全くの別世界の出来事のように感じてしまうかもしれないし、その問題意識や言葉使いから、現在の二十歳の人よりも遥かに知的で真面目であるかのように思えてしまうかもしれない。一方で前半部分は、十代半ばで書いた日記としてそう違和感なく読めてしまうことだろう。このあたりのねじれこそが、今現在読む本書の魅力であり、また高野の悲劇につながるところでもあろう。
いつの時代でも通じるような「若者」の普遍的な姿を感じ取れると同時に、高野悦子という個人の悲劇もまた浮かび上がってくる日記になっている。


なお『二十歳の原点』は映画化もされているが、ソフト化はされていない模様で未見。ちょこっとあげられている。






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佐藤太郎(仮)

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