『ジャージー・ボーイズ』

『ジャージー・ボーイズ』



「シェリー」や「君の瞳に恋してる」を一度として耳にしたことがないという人の方が珍しいことだろう。タイトルは知らなかったとしても、少しでも聴けばすぐにあれだとピンとくるはずだ。一方でフォー・シーズンズ、あるいはリード・ヴォーカルのフランキー・ヴァリについてはどうだろうか。僕も、もちろんヒット曲は知ってはいたのだが今まで真剣に聴いたことはなかったし、恥ずかしながら本作が映画化されるまで、日本では「タモリ倶楽部」のオープニングが浮かばずにはいられないあの「ショート・ショーツ」の共作者であるボブ・ゴーディオが、フォー・シーズンズのメンバーにして中心的ソング・ライターだということを知らなかった有様だった(多分どこかで見聞きしたことはあったのだろうが、重要な情報だとは思わずに記憶から消えてしまっていたのだろう)。


映画において「君の瞳に恋してる」といえば、なんといっても『ディア・ハンター』のあの場面が鮮烈な印象を刻み付けている(クリストファー・ウォーケンの起用はこれを意識したものなのだろうか)。田舎町でヴェトナム行きを控えた若者たちが合唱する「君の瞳に恋してる」は、彼らにとって、そしてアメリカという国家にとってイノセンスが名実共に永遠に失われることを予言するかのような、心温まる、それゆえにどこまでも哀しいものであった。

この場面について、僕は長らくある勘違いをしていた。『ディア・ハンター』の公開は1978年で舞台は60年代後半。「君の瞳に恋してる」は「懐メロ」として唄われたのだと思いこんでいたのだが、実際には「君の瞳に恋してる」の発売は67年のことなので、作中内の当時のヒット曲なのであった。なぜそんな勘違いをしていたのかというと。60年代後半といえばロックがもっとも輝いていた時代といってよく、そんな時代にあって「君の瞳に恋してる」はあまりに古めかしいものに思えたからなのだろう。

フォー・シ-ズンズのメンバーは、リーダーのトミーが1928年生まれ、フランキー・ヴァリは34年生まれ、ボブ・ゴーディオは42年生まれなのでポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソンと同い年なのである。「シェリー」のヒットは61年で、チャートの上では60年代半ばまでアメリカではビーチ・ボーイズのライバルであったのだが、今フォー・シーズンズの曲を聴くとそのような印象は受けないだろう。

そして『ジャージー・ボーイズ』も、このような同時代の音楽シーンから切り離されているかのようだ。ファッションの変化やヴァリの娘の取る行動、そして「君の瞳に恋してる」の発売にまつわるエピソードなど時代を感じさせる部分が皆無なわけではないが、ビートルズのアメリカ進出や若者の音楽的嗜好の変化、ドラッグやヒッピー、ヴェトナム戦争などが直接的に影を落とす部分はほとんどない。

本作はフォー・シーズンズというグループの栄枯盛衰を描いた伝記映画なのであるが、そのような作品にありがちな特徴とは一線を画している部分もある。
固い結束を誇っていたバンドが、売れるにともなって崩壊していくというのはこの手のお話のお決まりのパターンである。あるいはマフィア映画などで、尊敬していた兄貴分に引き上げられてキャリアをスタートさせるが、大物になっても兄貴分がいつまでもチンピラ気分が抜けずに次第に邪魔になっていくというのもよくあるものだろう。
『ジャージー・ボーイズ』もあらすじ的にはこのような話といえばそうなのであるが、その後の展開はいささか異なる。ヴァリは妻から「聖人」と揶揄されるが、ヴァリの下すある決断は妻からするとたまったものではないだろう。このあたりがどこまで史実に基づいているのかはわからないが、「ありがち」な展開を予想していると、やや意外な感じがしてくるものとなる。

この作品ではヴァリ以外のメンバーがナレーション代わりに心境や状況をカメラに向かって観客に直接語りかけるのだが、ヴァリだけはなかなかそうしない。そして最後の最後に、「人の記憶は信用できない」という言葉を受けた後になって、ようやく心情をカメラに向かって吐露するのである。こう考えると本作全体を、いわば「信頼のできない語り手」による「聖人伝」とすることもできるのかもしれない。


こういった「ねじれ」た構造を持つ作品はクリント・イーストウッド監督らしいもののように思える。しかし実際に作品を観ると、とりわけ前半部は一つ一つのエピソードが深められることがなく、駆け足で進みすぎるかのような、ダイジェストを見せられているかのような印象もあり、イーストウッドならではという感じは薄いかもしれない。
おそらくは、評価の高かったミュージカルをイーストウッドが映画化したのは、作品そのものの「ねじれ」に惹かれたということではなかったのではなく、ヴァリを「聖人」に仕立てる「ジャージー流」の行動様式にあったのではないだろうか。

ヴァリはどれだけ売れようとも、あるいは裏切られ、苦境に立たされようともこの「ジャージー流」を捨てることはない。『グラン・トリノ』でコワルスキーが、象徴的な意味で「共同体」のために殉じたように、ヴァリもまたニュー・ジャージーで培った共同体感覚を守り続ける。

フォー・シーズンズというグループの伝記映画でありつつ「現実」から切り離されているかのようなこの作品は、イーストウッド的価値観、政治性と非常に共振するものでもあったのだろう。良くも悪くも、そこには「強さ」があると同時に危うさも孕まれていることになる。
最初にイーストウッドが『ジャージー・ボーイズ』を撮るということを知った時にはちょっと驚きも感じたのだが、見終わってみればなるほど、といろいろと納得させられるものであった。


ミュージカル色を比較的抑えた演出になっていたが、最後の最後にいかにもなドストレートのミュージカルなエンディングは近年のイーストウッドらしいという印象は受けないかもしれないが、あの多幸感はミュージカルならではのもので、やはりこういうのはスクリーンで見なきゃね、とも思わせてくれる作品でもあった。


ボブ・ゴーディオ、「シェリー」創作秘話を語る



やっぱりこれだよなあ……



今となってはただただ哀しい……



気分を変えるために……










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佐藤太郎(仮)

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