『トマス・ピンチョン』

麻生享志+木原善彦編著 『現代作家ガイド7 トマス・ピンチョン』




ピンチョンのエッセイ二編に様々な角度からの論考や情報、そして『ブリーディング・エッジ』までの全作品ガイドが収録されている。本書の編者の一人でもある木原善彦の『トマス・ピンチョン』が入手困難となっているので、待望のピンチョン入門書だとしていいだろう。


二編のエッセイはいずれも小説の序文として書かれたものである。バーセルミの未発表作品集のために「『ドン・Bの教え』への序文」を書くというのは、人間関係はともかく作家としての傾向を考えるとそう意外なものではないかもしれないが、ジム・ダッジの作品が「詩的で哲学的雰囲気が漂うが、全体にコミカルで、難解さはない。その作風は初期のジョン・アーヴィングやカート・ヴォネガットに似ている」ことを思うと、『ストーン・ジャンクション』に序文を書くというのはやや意外なことであったのかもしれない。

ピンチョンは1990年に『ストーン・ジャンクション』に短い推薦文を書き、97年に本書に収録されている長めの序文を寄せている。この時期を頭に入れたうえでこの箇所を読むとなかなか興味深い。

「『ストーン・ジャンクション』には、予言がちりばめられていると同時に、一貫して現金取引がメインであるがゆえに、デジタル的なるものの勢力が及ばない領域を称揚する姿勢が認められる。この作品はアナログ的であるのを意図したほぼ唯一の小説だと言えるのかもしれない。最近の作家は、単独の著者や直線的な物語という伝統そのものを疑問に付すばかりでなく、私たちの生活をますます詳細な点まで規定しつつある偏在的なサイバーリアリティーを認め、それを扱わないわけにはいかない。ジム・ダッジは当時、そうした状況が急速に近づいているのを予見していたに違いない。というのも、天の邪鬼なこの小説は少なくとも隙間的な市場――ひょっとすると、人間の根本にある欲望なのかもしれないが――の存続を相変わらず信じているからだ。デジタルの嵐に抗し、逆の道を歩むことに価値を置く生き方、それゆえに、単なる気晴らしよりもっとまともな追求を含む生き方を求める欲求を」。

ピンチョンは『重力の虹』に代表されるように、「単独の著者や直線的な物語という伝統そのものを疑問に付す」かのような作品(ポストモダン的と言い換えてもいいだろう)を書いていたのが、まさにこの序文が書かれた頃に出版された『メイスン&ディクスン』、そしてとりわけ『逆光』以降「直線的な物語」へと移行していった。ピンチョンはまたテクノロジーについてもアンビヴァレントなところもある作家であるが、小説がポストモダン的であることが最早当然となり、またコンピューターやインターネット隆盛の時代にその可能性と同時に負の側面にも焦点をあててもいる。ダッジの小説へのこの序文は、そのあたりのピンチョンの一貫している部分と同時に変化もまた表しているかのようでもある。ちなみにピンチョンはここで川端康成の『名人』に言及していて、この作品を読んでいることが確認できる。

『ストーン・ジャンクション』は未邦訳だがダッジの作品はいくつか邦訳が出ているが僕は不勉強にも未読。川端の『名人』も読んでいない有様で……




ピンチョンのエッセイは雑誌などでだいたい訳出されているものの、雑誌という性格上簡単には手にすることはできない。書評も含めると一冊編めるくらいの分量はあるので単行本化を実現してもらいたいものの、版権上難しいのだろうが。


麻生享志の「トマス・ピンチョン/スターターキット」はピンチョン論であり、ピンチョン及びピンチョン家の小伝にもなっている。
『重力の虹』のタイロン・スロースロップの祖先の話はピンチョン自身の祖先のエピソードをほぼそのまま使ったもので、この祖先であるアメリカから故郷のイギリスへと帰国したウィリアム・ピンチョンは植民地での利権をすべて息子のジョンへと残していった。ジョンは「植民地での勢力を拡大し、ノーサンプトン、ウェストフィールドといった町を開拓。同時期に入植したモルガン家(金融王手J・P・モルガンの創業家)と並び、植民地きっての名家を築き上げた」。

ホーソーンの『七破風の屋敷』の「ピンチョン」がピンチョンの祖先をモデルとしているというのはアメリカ文学ファンにはおなじみだろう。「ピンチョン大佐は自宅建設用地を取得するため、地主マシュー・モールを魔法使いと告発し、処刑に導」くという悪役であり、『七破風の屋敷』はこの「ピンチョン大佐の末裔が辿る数奇な運命」が描かれる。ホーソーンは執筆時にはピンチョン家についてあまり知らなかったようで、トマス・ピンチョンの大叔父にあたるトマス・ラグルズ・ピンチョン牧師から抗議の手紙を受け取っているという。ピンチョン牧師は「ハートフォードのトリニティー・カレッジで総長を務め、神学のみならず、化学、地質学、動物学にも通じ」た人物であり、「文学の世界にエントロピーの法則をはじめ数々の化学知識を持ち込んだピンチョンの作風に通じうる視点と洞察を、ピンチョン牧師は示していたのである」。

『ブリーディング・エッジ』の発表に合わせ、ボリス・カチカは「今やピンチョンはアッパーウェストサイドに居を構える「ヤッピー」だと皮肉」る暴露記事を書いている。
ピンチョンはアメリカの「原罪」と同時に様々な可能性を持っていたもう一つのアメリカを意識し続けている作家であるが、これはまたピンチョン家の「原罪」と様々な可能性を持っていたもう一つのピンチョン家と言い換えることも可能かもしれない。

トマス・ピンチョンとは遠縁にあたるジョージ・M・ピンチョンは1895年にピンチョン証券を起こし、アメリカ有数の証券会社に成長させたものの、1929年に始まる大恐慌によって巨額の損失を出し、31年には取引停止を命じられてしまう。アプトン・シンクレアは『シンクレア、ウィリアム・フォックスを語る』においてピンチョン証券破綻の流れを論じているという。多額の負債に苦しんだピンチョン証券はアービング・トラスト社に身売りし、ジョージが40年に死去するとその息子のジョージ・ジュニアも、「父を追うようにロングアイランドの自宅で自殺した」そうだ。
「ITバブル崩壊直後の時代を背景に国際政治の暗闇にメスを入れようという『ブリーディング・エッジ』」では「セレブ風の生活」も登場するが、これはトマス・ピンチョンの現在を表すもののみならず、「案外トマス・ピンチョン本人の家族物語を遠巻きに映しだしているのかもしれない」。




カチカの暴露記事とはこちらのOn the Thomas Pynchon Trail: From the Long Island of His Boyhood to the ‘Yupper West Side’ of His New Novelのこと。これについては木原善彦が「明かされた人生 ボリス・カチカ「トマス・ピンチョンの軌跡」」で要約している。カチカは「十五歳の頃からピンチョンの愛読者だと語っているが、文章からはなぜかあまり作家に対する愛情が感じられないし、そのためか、記事にはかなりプライバシーに立ち入った暴露的なエピソードも含まれている」。木原はカチカのこの記事が「数々の新しい証言に加え、以前から知られている事実をも整理して提示しているこの記事は、やはり労作だと言えるだろう」とまとめている。


これは読んでなかったものでざっと目を通してみたが、確かにピンチョン家の来歴からピンチョンの子ども時代、両親との関係、学生時代や海軍時代の知り合いやさらには元ガールフレンドの証言まで集められており、ピンチョンの伝記についてとりあえず知りたいという人にとってはうってつけの記事だろう。

1990年に結婚するまで約30年間ガールフレンドがほぼ途切れることなくいたことや、大学時代に結婚を考えていた人がいたものの相手の親から拒絶されかなわず相当にに引きずっていたこと(この人は現在はピンチョンの近くに住んでいるそうだが、ピンチョンとつき合いがあるのかについては取材を拒否したそうだ)、一晩中書いて昼中寝ていたというかつての執筆スタイル、長い沈黙期にちょっとダウナーに入っていた様子など、作品解釈に関係あると強弁できないこともない事実から作品とは無関係にしか思えないことまで、いろいろなエピソードが書かれている。

この記事は確かにファン目線での愛情というのがあまり感じられないかもしれない。それを表しているのが、ピンチョンの親友であり、若くして事故で亡くなったリチャード・ファリーニャの最後についてだろう(『重力の虹』はファリャーナに捧げられ、またファリャーナの小説にピンチョンは序文を寄せている)。思わず涙してしまうような有名な話であるのだが、このあたりは割りとあっさりと片付けている。

これはゲスの勘ぐりかもしれないが、この記事を読むとどうもカチカはピンチョンのエージェントにして妻となったメラニー・ジャクソンのことが気に食わないのではないかと思えてしまった。この記事が皮肉めいた冷淡さでゴシップ的になったのは、彼女と付き合うようになってピンチョンがダメになったと考えて、裏切られたと感じてしまった結果なのかもしれない。

またこの記事にはメキシコ滞在時にピンチョンがボルヘスを読んでいたとあり、これはいかにもなのだが、また同時期にコルタサルの「山椒魚」を訳していたともある。無論未発表であるが、これが事実だとするとピンチョン訳のコルタサルはなんとしても読んでみたくなる。




木原は「ゴシップ、そして論争 ジョージ・シーゲル『ラインランド』」でもピンチョンにピンチョンへのゴシップ絡みの本を取り上げている。
シーゲルは1954年にコーネル大学でピンチョンと出会い友人となり、ピンチョンの短編「生かすも殺すもウィーンでは」に「シーゲル」という人物が登場するが、これは彼がモデルになっているようだ。しかしピンチョンがシーゲルの妻と関係を持ってしまったことから疎遠になり、その顛末をシーゲルは1977年に「トマス・ピンチョンとは誰か……そして、どうして彼は私の妻を寝取ったか?」と題する記事を書いている。この記事は『ラインランド』にも収録され、ピンチョンをよく知る人物による証言として貴重なものとなっている。しかしこの本はそれのみを扱ったものではない。シーゲルは80年代にインターネットを利用するようになると、ピンチョンについてのディスカッションリストで自分が取り上げられているのを知る。シーゲルはそこに加わり、炎上したあげくリストを去るまでを描いたのが『ラインランド』という本であるそうだ。「インターネット時代を反映した実験的な本作りを意識」したようだが、「あまりうまくいっているとは言え」ず、「ピンチョン研究者にとっては基礎資料の一つとして必読書かもしれないが、ピンチョン愛読者にとっては魅力的な本とは言えないだろう」とのことである。シーゲルは「ピンチョンはロリコンっぽい」などと発言し顰蹙を買ったようだが、 カチカ以上に「裏切られた」という面がなせる発言のようにも思えるが、ピンチョンと関係を持った妻の写真を収録するなど、シーゲルの自己顕示欲のなせる業のようにも思えてもくるが。




と、ゴシップ系のを二つ紹介してしまったが、本書ではもちろんこういったことばかりが論じられているのではない。木原の「ピンチョン節とは何か?――文体的特徴について」では、ピンチョンがいかにOEDや百科事典を使いこなしているか、またOEDにはピンチョン作品から用例を引いていることが多く、そればかりかピンチョン作品が初出として引用されている例も多いことを取り上げている。
「『競売ナンバー』が「精神分析医」の意味で俗語“shrink”を英語文献において初めて用いたことは比較的知られているが、“karate-chop”や“sun-roof”という語もやはり同作で初めて英語文献に登場したということは、ピンチョン好きな読者にも、ピンチョンを読まない英語話者にもあまり知られていない事実だろう」。
他にもピンチョンがギリシア語源風であったりラテン語風の格調高いかのような大仰にして滑稽な造語を好んで使用することはおなじみだが、訳者としてピンチョンに質問し、その回答から、「普段のコミュニケーションでも同じようなことをしているよう」だという。

ピンチョン作品はその難解さと同時に「漫画的」な展開でもあり、その笑いの好みは子どもじみているとすら思えるような時もある。清濁併せ呑むというとちょっと違うが、ピンチョン家をめぐるゴシックめいた因縁話と共に、トマス・ピンチョンについてのゴシップもつい話題に上ってしまうというのもピンチョンらしいといえばそうなのかもしれない。


また「聖地をめぐる物語 『第七試験スタンド』」ではローベルト・ブラムカンプによる「物語とドキュメンタリーのコラージュ」である『第七試験スタンド』が取り上げられている。これは「ピンチョンが『重力の虹』の部分的映画化を初めて許可」した」作品である。虚実入り混じった構成に加え、フリッツ・ラング監督の『月世界の女』(1929年公開)も重要なモチーフとして取り入れられているようだ。
こちらが『第七試験スタンド』のオフィシャルサイト、監督のはこちらこちらでは予告が見れてストリーミングの購入もできる。


他にも面白い論考がいろいろとあったが、欲をいうともう少し入門的な性格を強く出した企画があったほうがよかったかなあという気もしなくはなかった。なにせ相手はピンチョンだけに、ハードルが高く感じてひるんでしまっている人も少なからずいるであろうし。かといってあまり敷居を下げすぎての単純化というのもピンチョンらしくないといえばそうかもしれないし、このあたりのバランスは難しいのだろうが。



プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR