『ポストモダンの正義論』

仲正昌樹著『ポストモダンの正義論』




まず一章から三章までは「右/左」「進歩」「普遍」などを
キーに啓蒙からフランス革命、保守主義の登場、ヘーゲル、
マルクス、スペンサーらを概観する。

四章ではマルクス主義における「正義」、
及びそれへの同伴的批判としての『啓蒙の弁証法』やベンヤミンなど。
五章ではポストモダンの登場、そしてポストモダンの「左転回」。
六章では「赤木的な問題」を通じて。そしてロールズの『正義論』へと。

仲正氏の著書はいくつか読んでいるけど
やはりこういう風に思想史などをわかりやすく
手際よくまとめるというのがうまい。
それほど予備知識がないような人もすっと読めていくのでは。


個人的にいろいろ考えたのが
六章で大きく扱われる例の赤城智弘氏の「丸山真男を―」とそれに対する
左派の応答、その微妙なピントのずれ方の部分。

赤木氏の「丸山を」とその関連文章というのはある意味メタ構造になっている。
清く正しい「左」の人からすれば敵を見誤って「右」にとりこまれた
かわいそうな人、ということになるのだが、その応答こそが
「既得権益の擁護者としての左」の証拠となる。
以後無限ループ……というのが僕の印象。

ベタな反応になるが、僕は赤木氏の言わんとすることは分かるつもりでも
ルサンチマンに基づく(と解釈されかねない)
「リスクの再配分」や「承認願望」というのにはやっぱり距離がある。
一方で「左」の人と赤木氏とでは意見の対立というより
認識のレベルでずれてしまっていて、それこそが「左の退潮」を
浮かび上がらせているようにも思えていた。

いわゆるアイデンティティ・ポリティクスの問題を考えてみると、
僕は基本的にはこの動きにシンパシーを感じるのだけれど、
これが換骨奪胎されてナショナリズムや人種差別に回収される危険性というのも
感じてしまう。
「承認」の問題はどうしてもこれがつきまとってしまうようにも思える。

というか正直に言うと個人的に「承認」というのがどうもぴんとこない。
もちろん人種などによって抑圧されている人々のことではなく、
はたから見れば「承認」を求める必要がないような人までが
過剰にそれを求めているのでは、という風に思えてしまうことがある。
それこそお前の鈍感さの証拠である、といわれればそうなのかもしれない。
ただ過剰な「承認願望」よりも「承認」を必要としないような社会を
築く方が重要に思ってしまうんだけど。
誤解のないように繰り返すとこれはあくまで「過剰な承認願望」へのハナシですので。

「リスクの再配分」、つまり「国民全員が苦しみつづける平等」というものは、
それを求めるのではなく、そういう欲求が生じかねない社会状況自体を、
実際的に回避すべきものであると思うのであります。

これは赤木氏の言わんとしていることの表層をなぞっただけの反応ということは
分かりつつあえて、ね。

僕はロールズ/ローティ的リベラリズムというのは
これらへの有効な回答になり得ると思っていて……
なんて考えながら読んでいたら仲正氏も(留保付きながらも)
最後にそのようなことを。
僕の思うところとは微妙にズレてる気もするけど。

また脱線してしまったがいろいろと考えるきっかけや
交通整理に非常にいい本だと思います。










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佐藤太郎(仮)

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