『バンヴァードの阿房宮』

ポール・コリンズ著 『バンヴァードの阿房宮  世界を変えなかった十三人』




「歴史の脚注の奥に埋もれた人々。傑出した才能を持ちながら致命的な失敗を犯し、目のくらむような知の高みと名声の頂点へと昇りつめたのちに破滅と嘲笑のただ中へ、あるいはまったき忘却の淵へと転げ落ちた人々。そんな忘れられた偉人たちに、僕はずっと惹かれつづけてきた」(p.9)。


 世の中には、どうしてそんな人たちのことを書いたりするのかと問う人がいるかもしれない。少なくとも、本書が刊行されたら絶対に誰かがそう言うだろう。輝かしい将来があると思われながら、その時代が終わる頃には弁解と後悔以外の何も示せなかった人たち――そんな者は軽蔑にしか値しない。わざわざ目を向けたりするまでもなく、ただ無視をしておけばいいのではないか。
 そのとおり、何と言ってもアメリカ合衆国は成功者の国なのだから――と、扇動家や広告業界の人々や弁舌巧みなペテン師は声高に言う。アメリカ人は、自分たちが善良な国民だと信じたがっている。意欲を持つ人なら誰にでも成功のチャンスがあると信じたがっている。だが、現実に僕たちが褒め称えているのは、大金を稼ぐ以外には何の能力もない人物、騙され侮られた人々を踏みつけにして成功した連中ばかりだ。それでも、彼らの成功には単なる強欲や幸運以上の何かがあると、アメリカ人は信じたがっている。敗者はもちろんだが、それ以上に、モラルのない成功などという考えは、アメリカ人には耐えられない。
 もちろん、モラルある成功もないわけではない。だが、勝利したイノベーション、その栄誉を勝ち得たひとりひとりの背後には必ず、同じ夢を追求して敗れた者がいるのだということ――僕が言いたいのはそういうことだ。この敗者たちはタイミングが悪かったのか。歴史上の勝利者たちの推進力である“非情なパーソナリティ”が欠けていたのか。あるいは、彼らが最終的に敗北に至ったのは、そのアイデア・思索そのものの素晴らしさとはほとんど関係のない、当人の性格的弱さによってであったのかもしれない……。
 というわけで僕はこの本を書きはじめた。その夢の追求において敗れた十三人の男女の物語――実のところ、このひとりひとりの人生を十全に伝えるには、それぞれ一冊の本を必要とするだろう。それがいつか実現できればと願いつつ、とりあえずはこのポートレート集で、彼らの夢と営為の一端を知っていただければと思う。 
 (pp10-11)


長く引用してしまったが、コリンズによるこの「まえがき」によって本書の内容、及び著者の姿勢というのが十分におわかりいただけると思う。絶頂からドン底まで落ちてしまった人々。ある人物は運がなく、ある人物は苦し紛れの嘘によって悔恨にまみれ、またある人物は誤った論理を事実だと信じそこから抜け出せなくなってしまう。このような人々を大仰な文体で笑いものにするのは簡単だろうが、コリンズは淡々と(そこにはいくばくかのシンパシーと憐れみもこめつつ)描いていく。


表題作でもあるジョン・バンヴァードはミシシッピ川の「全域」を書いたパノラマによって一世を風靡し、1850年代には世界一有名な画家にして億万長者でもあった。芝居や古代の遺物の展示でも成功を収め、「自分の手になるもので、成功しないものは何一つない」とさえ思えた。しかしその運命を変えたのが興行師のバーナムだった。その「人を出し抜く才能と、とんでもない誇大広告を際限なく繰り出す圧倒的な力」によって、バーナムの博物館は凄まじい人気を博す。バンヴァードはペテンによって巨万の富を築くバーナムを許すことができず、勝負を挑むことを決めるが……
バーナムが登場することもあって、なんだかミルハウザーの作品の世界の出来事のようにも思えてしまう。




まるで小説のようだというとウィリアム・ヘンリー・アイアランドの生涯もそうだ。シェイクスピアの自筆文書の偽造を始め、ついには偽の戯曲まで書いてしまう。ここまで派手にやれば早晩バレるのは当然のこと。アイアランドは逃亡し、貧困生活を余儀なくされる。しかしそのあまりに大胆な偽造っぷりは人々の興味を引き続け、真相を告白した本や偽造文書に高値がつくようになる。そしてついにアイアランドは「贋作の贋作」を作り始める……なんていうのは、まさにポストモダン的状況だ。

アイアランドについては日本語で読める文献も多い。




一流の物理学者であったルネ・ブロンロは未知の(というか存在しないのだから未知で当然なのだが)「N線」が「見えて」しまったがために学者生命が潰え、精神に異常をきたしたと噂されながらこの世を去る。
ブロンロがなぜN線を「見て」しまったのかについては、現在でも教訓とすべきものはあるだろう。それよりもさらに教訓にすべきは、N線理論の受容のされ方かもしれない。ブロンロがN線についての論文を発表すると、懐疑的な意見もあったものの、自分にも見えたとういう声にかき消された。ある出来事がきっかけであっさりと真相が暴露されると、「安堵した大勢の研究者たちから、自分たちもこれまでN線を見るのに失敗していたと認める大合唱が上った。それまで彼らが沈黙していたのは、多数の研究者がポジティヴな結果を得ている中で、自分だけが何も見えないことを公に認めるのはあまりに恥ずかしいことだったからだ」。安易に自分にも見えたとしてしまう研究者もうかつであるが、見えていないにも関わらず沈黙してしまった研究者もまた共犯者だとすらしてもいいのかもしれない。そして2014年の日本でこの話を読むと、やはりあの件が頭に浮かばずにはいられなくなってくる。


約千年前にアメリカ大陸にやって来ていたヴァイキングは、この地をヴァインランドと呼んでいた(ピンチョンの『ヴァインランド』はここから取られている)。このように北米大陸に自生のブドウは存在していたのだが、その後「新大陸」へ入植してきた人たちはヨーロッパ産のブドウを育てようとするがうまくいくことはなく、アメリカはブドウ不毛の地と思われていた。しかしついにコンコードに住むイーフレイム・ブルが自生のブドウをもとに品種改良を重ね、実が大きく甘いブドウを育てることに成功するが……

この話にはエマソンやホーソンが登場することもあって、アメリカの裏の神話という趣もあるが、あるいはあまりに皮肉な寓話とすべきなのかもしれない。ブルは世を拗ねた後半生を送ることになるが、その最大の理由がアメリカでは農作物に特許が認められていなかったせいである。この決定を下していたのはあのトマス・ジェファソンだった。ジェファソンは特許法を起草するにあたって、「意図的に生物を排除」していたのだった。1930年までアメリカでは植物品種を特許の対象とはしていなかった。時は下って1995年には、合衆国政府とデルタ&パインランド社が「遺伝子組み換え技術によって次世代の繁殖を不能にした種子」である「ターミネーター種子」を生み出す。そしてその後アメリカの種苗メーカーのモンサント社も悪名を轟かすことを思うと、ブルの生涯は「アメリカ」の歩みへの強烈な皮肉のようにも思えてしまう。


本書で語られた中で最も痛ましいのはディーリア・ベーコンかもしれない。
極貧家庭に生まれたが、女性のための教育推進活動をしていたキャサリン・ビーチャーが運営していた学校に入ることができた。クラスメートにはキャサリンの妹のハリエットもいた。ディーリアは素晴らしい才能を見せるが、同時に「批判に対して病的なまでに敏感」な面もあったとキャサリンは振り返っている。ディーリアは新聞の懸賞小説に応募し、「錚々たる競争者を差し置いて」見事一等に輝くなどその才能を示した。ちなみにその時の二等は誰かというと、「エドガー・アラン・ポーというボルティモアの無名の作家だった」(ポーは本書のこの他のエピソードにも顔を出している)。

ディーリアはニューヨークで私塾の教師を務めていたが、そこで「サミュエル・モールスといういっぷう変った画家と親しくなった」。ディーリアははモールスから「暗号が敬意を向けるに値する分野であること、かのフランシス・ベーコンも外交官としてのキャリアで利用すべく暗号を生みだした」ことを聞かされる。「現代の最新の驚異である電信に暗号を応用する方法の追求に没頭」していたモールスとは、あのモールス信号の生みの親であるが、この出会いはディーリアの生涯に影を落とすことになる。

ディーリアはシェイクスピアとはウォルター・ローリーとエドマンド・スペンサーとフランシス・ベーコンの共同のペンネームなのだという考えにとりつかれるようになっていく。この説に興味を抱いた著名な教育者であるエリザベス・ピーボディは妹の夫であるナサニエル・ホーソンにディーリアの論考に目を通してくれるよう頼むが断られてしまう。しかし親しい友人であったラルフ・ウォルドー・エマソンへのアプローチには成功し、エマソンはこれを評価する。ディーリアはこの説を証明すべくイギリスに渡り、エマソンの紹介状をたずさえてトマス・カーライルと面会するが、一笑に付されてしまう。カーライルは図書館でリサーチをするよう勧め司書宛に紹介状も書いてくれたが、ディーリアが目指したのはフランシス・ベーコンの墓だった。血縁関係はないものの同じ姓であることから墓所の中を見れるのではと期待を抱き。ベーコンの墓所の中さえ見れれば真相を告白した文書が見つかるはずだと思っていたが、管理人を説得することはできなかった。

かつてのクラスメートであるハリエットは『アンクルトムの小屋』を書きイギリスでも大評判となっていたが、ディーリアの説は顰蹙を買うばかりだった。ディーリアは貧困状態に陥り、パン屑で飢えをしのぎ、家賃を滞納している狭い部屋を暖める石炭もほとんど買えずに冬を過ごさねばならなかった。そして誰とも話をしなくなり、ハリエットがロンドンへやって来ても会おうとしなかった。ディーリアが最後に頼ったのはリヴァプールのアメリカ領事館に勤務していたホーソンだった。二人の間に文通が始まり、ホーソンはディーリアの借金を肩代わりし、彼女の原稿を読み、ついにディーリアと会うことになるが、ホーソンは彼女を見て驚いた。「亡霊のような姿」を予想していたが、「見る者を引きつける表情豊かな顔立ち」をした、瞳を輝かせた女性であった。ホーソンとの交流によってディーリアには生気が甦っていたのだった。ホーソンがディーリアに証拠となる文書の発見にいつ着手する気かと訊ねると、ディーリアはもうフランシス・ベーコンの墓所に侵入する気はないと言った。「ベーコンその人が私の過ちを教えてくれました」とディーリアは言った。「証拠はシェイクスピアの墓の中にあるのです」。そしてついにディーリアはシェイクスピアの墓へと向かう……

ディーリアの後半生は「深い狂気の底に沈みこみ、日常生活すらままならな」いものとなり、アメリカへと帰国し精神病院で暮らすようになる。ディーリアの死後、ホーソンは「ある才女の思い出」というエッセイで、この「とても哀しい物語」について書くことになる。

これでもかというほどのビッグネームが次々と登場するのだが、これだけの面々と知り合えた知性豊かな女性であったことを思うと、ディーリア自身もアメリカ文学史に今でもその名が登場することになっていた可能性も想像してしまうし、それだけにまた痛ましさというのもつのってくる。



ジョン・クロウリーの『古代の遺物』に収録されている「シェイクスピアのヒロインたちの少女時代」にもディーリアは登場人物から言及されていましたね。




他にも人工的普遍言語を音楽によって作り上げようとしたジャン-フランソワ・シュドルや(シュドルの開発したソレソ語はネットのおかげで「もはや絶対に死滅しない状況」にあるのだそうだ)、「日本人」、そして「台湾人」であることを頑なに主張し続け悔恨にかられながらある謎を残したまま死んでいったジョージ・サルマナザールなど、おもしろうてやがて悲しきといった話が満載となっている。

これがソレソ語!



サルマナザールの書いた「台湾の言語について」は『中国怪談集』に収録されている模様(むろんサルマナザールは日本語も台湾の言葉もまるで知らなかったが、「翻訳」まで行っている! 哀しきタモリという趣もあったりして)。



サルマナザールについてはこのあたりも。





著者のポール・コリンズは、「子供の頃から本に埋もれて過ごしてきた。と言っても研究者・学者の家庭だったわけではなく、両親があちこちの遺産整理の競売に行くたびに入手する得体の知れない古本(一九世紀の化学便覧、地質学の教科書から、ウィリー・レイの『ロケット、ミサイル、宇宙旅行』まで)を、ポール少年は片っ端から読んでいった」そうだ(「訳者あとがき」)。本書で語られる13人の人生は小説のタネ本に使えそうなものばかりだが、コリンズからして小説の入口のような子ども時代を送っていたようである。

本書の原稿はいくつもの出版社に突き返されていたが、「マクスイーニーズ・クォータリー」のデイヴ・エガーズの目にとまり出版にこぎつけた(エガーズも出来すぎた話のような自伝で名を上げたアメリカの文学的英雄でもある)。
本書の出版が決まるとコリンズ一家は念願の古書の街、ヘイ・オン・ワイに移住し第二作の『古書の聖地』を書くことになる。さらに第三作は息子が発達障害であることがわかった体験を基に、息子との「日々と自閉症をめぐる歴史的な追跡調査をまとめた」『自閉症の君は世界一の息子だ』となる。不勉強にも知らなかったが、この二冊はすでに邦訳が出ているのでそのうちに読んでみたいと思う。




最後に謝辞を引用しておきたい。コリンズは「忍耐強く相手をしてくれた図書館員の方々に心からの感謝を」捧げている。

「図書館は、過去の様々な思索や営為を保存するために存在している。こうした保存に時間をかけることのできる者は、もはや図書館以外にはない。図書館が集めている書籍や資料は、これから十年、五十年、百年、もしかしたら永遠に使われることがないかもしれない。そんな不確かさこそが、図書館を、人類が創造したものの中で最も英雄的な存在となさしめている」。

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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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