『甘美なる作戦』

イアン・マキューアン著 『甘美なる作戦』




セリーナは数学が得意だった。高校では苦労なく首席になれたし、チェス・チームではキャプテンとなり、試合前には薄笑いを浮かべていた生意気な男の子を負かすことができた。セリーナは読書好きでもあり、ダラム大学あたりの英文科にでも行こうかと考えていた。しかし主教の妻として、夫からの愛という見返り以外は何も求めずに従順に役割を果たしていたかのように見えた母には、「因習的な外面の奥底にフェミニストの強靭な小さな核が埋もれていた」。母はセリーナにケンブリッジ大学で数学を学ぶべきだと主張する。1960年代後半、世界は大きく変ろうとしていたが、イギリスの大学はまだまだ保守的でもあった。英文科を出て平凡な主婦になるのではなく、その厚い壁を打ち破るべきだ、と。

こうしてケンブリッジの数学科に進学したはいいものの、セリーナには数学者としての才能も意欲もなかった。落第するほどではなかったものの、優秀な成績からは程遠く、ひたすら読書にあけくれていた。すると学生雑誌から、読んだ本についておしゃべりをするような軽い調子でコラムを書いてくれないかと誘いを受ける。その「非文学的な文章」は評判がよかったが、ソルジェニーツィンを取り上げたことから凋落が始まった。セリーナはソルジェニーツィンを熱烈に称え、そのコラムは反共色を帯びていく。政治的な理由ではなく、期待した調子ではなくなったということでコラムは打ち切られてしまう。

そんな時、ボーイフレンドのジェレミーの歴史教師、トニー・キャニングと出会い、セリーナはトニーの愛人となる。そしてトニーは彼女をMI5にスカウトし、そのための教育を始める。セリーナは読書好きといっても、その趣味は文学的なものではなかった。通俗的なハッピーエンドがお好みで、周囲が舌を巻くほどの速読であったが、注意散漫な読者でもあった。古典はろくに読んでおらず、歴史にも無知なセリーナに、トニーは読書の仕方や新聞の読み方を教え込んでいく。ところがトニーは突然、お前のせいで浮気がばれたとなじり、セリーナの元から立ち去るのであった。それでもセリーナはMI5の面接を受けることにし、下級職員捕として採用される。

安い給料に仕事は退屈な雑務のみという生活が続いたが、セリーナはついに、共産主義から距離を置く若手の有望作家に金銭的な支援を行い、共産主義やソ連に批判的なオピニオン・リーダーを育てるのが目標であるスウィート・トゥース作戦に抜擢されることになる。セリーナはトム・ヘイリーの担当となり、彼と恋に落ちてしまう……


この小説はいくつものジャンルを取り込んでいる。まずはなんといってもスパイ小説である。MI5とMI6、MI5と外務省、そしてCIAも絡んでくるという、組織の複雑な思惑が交差し、謎が謎を呼び、疑惑に疑惑が重なっていくその展開はジョン・ル・カレ風でもある。そしてセリーナの危うい恋の行方を描いた恋愛小説でもある。年上の知的な男性に教育を施されていくという点では『マイ・フェア・レディ』的な要素もあり、また甘い体験のみではなく失敗や挫折を重ねていくところは教養小説的なところもある。
また1970年代前半を中心とするイギリスの社会史という面もある。セリーナは性の解放とは無縁であったわけではないがとりたてて奔放というほどでもないく、一方で妹はヒッピー化して妊娠中絶を行い医学部を中退して社会からドロップアウトしてしまう。生真面目で保守的な姉としては妹の自堕落さや、また妹を甘やかす家族や社会システムを許せなく感じてしまう。当時のイギリスは経済の停滞に相次ぐストライキ、IRAのテロに政治の混乱と散々な状態であった。そしてなんといっても冷戦の最中であり、スウィート・トゥース(これは本書の原題でもある)作戦はまさに冷戦の落とし子であるといえよう。

第二次大戦後、いやそれ以前から米ソはプロパガンダによって双方を攻撃し、自陣営を称揚する思想戦を行っていた。もちろんイギリスもこの動きと無縁であったわけではない。ジョージ・オーウェルが死の直前に共産党シンパのリストを提出していたことに触れられているように、共産主義に批判的な知識人(必ずしも右翼のみとは限らず、オーウェルのような穏健左派も含まれている)や出版社、シンポジウムの開催などを支援していた。

スウィート・トゥース作戦で当局が気を使うのは、当事者にプロパンガンダに加担していることを意識させないことである。資金は迂回させて政府が出所であることを悟られないようにし、作品の内容にも介入しない。あくまで自発的に共産主義を攻撃させ自由主義を称えさせ(少なくともそのように作者に信じさせ)、成功の後押しをする。従ってセリーナはトムと恋に落ちるものの、自分の正体を絶対に気づかれてはならない。逆にいうならば、正体さえ知られなければ恋人関係を持続できるという幻想を抱いてしまう。
このあたりのMI5を中心としての動きは、『エンカウンター』誌へのCIAの資金提供を含めて史実をふまえて書かれている。

そして何よりも、この作品は本を読むことについての小説であり、小説を書くことについての作品でもある。
セリーナは読書好きとはいえいわゆる「文学的」な趣味とは程遠いどころか、文学好きの人からは軽蔑される読者であろう。ひたすらページを繰ることを目的として、文体の妙や描写の巧みさを味わうことなど眼中にない(詩集を凄まじい速度で読み終えることになんの意味があろうか?)。また物語展開の好みも通俗趣味そのものであり、当時隆盛を極めつつあったポストモダン小説のような手法には怖気を奮う。

このようなセリーナの設定は作品全体の「肩透かし」感とでもいったものによって強調されている。年上の男性に無知な若い女性が教育されていくというのは旧態依然たる男性中心の世界のようでもあり、またスウィート・トゥース作戦も冷戦下のスパイ合戦を考えれば枝葉もいいところで、命を賭しての神経戦が繰り広げられるのではない。セリーナは優秀な読者ではなく、スウィート・トゥース作戦に起用されるのもセリーナが有能ではないが故のことなのである。ここで重要なのが、この小説の「作者」が誰なのかということである。かなりステレオタイプ化された世界観や登場人物の「薄さ」は(現実の)マキューアンに帰するべきではなく、そのことは最後まで読めばわかるはずである。

この作品にはマキューアンの伝記的事実がいくつか取り入れられている。セリーナとトムが編集者のオフィスを訪ねると、前の日にそこにピンチョンが座っていたことが想像できるか、という場面がある。ピンチョンは作中時間においては『重力の虹』を出そうかという時期であり、また現実においてはマキューアンとピンチョンは親しい友人なのである。これは明らかにピンチョンその人とマキューアンのファンへの目配せであろう。
そもそもマキューアンという作家は近親相姦をはじめとするセンセーショナルな題材の短編小説で注目を浴びた(本作でトムの作品として書かれている小説にはマキューアン自身の作品を想起させるものが多い)。その後小説家として大きく飛躍し、巧みなストーリーテリングで小説を引っ張りつつも、高度な描写力やポストモダン小説を経由したひねりの効いた展開もまた持ち味ともなっている。つまりセリーナのような読者をも満足させつつ、同時にトムのような玄人にも高い評価を受ける作品を生み出している作家、それがマキューアンなのである。

「わたしの名前はセリーナ・フルーム」と、この作品は一人称で書き始められる。このことにあえて触れたという時点である仕掛けにピンとくる読者もいるだろうし、あるいは何のひっかかりも感じない読者もいることだろうが、そのどちらにも満足を与えることのできる作品だといえよう。
いくつかの書評ではやや厳しい評価もあったようだが、この手法はマキューアンのある作品の一部でも使われたことがあり、そのあたりもふくめてインパクトに少々欠けるという見方もわからなくはない。それでも、僕は個人的に小説家志望の人が現役の作家で最も参考にすべきはマキューアンなのではないかと思っているのだが、マキューアンらしさというのは健在であり、その鮮やかな手さばきを堪能できる作品に仕上がっている。


マキューアンは謝辞で参考文献を挙げており、その中にはマッキンタイアの『ナチを欺いた死体』も含まれていて、作中でもちょろっと言及されている。この本も面白い。




その他で主だったものはこちら。




『甘美なる作戦』とは関係ないが、本作発表後にはThe Zhivago Affairという本が出版されているが、これは『ドクトル・ジバゴ』をめぐって米ソのプロパガンダ合戦を描いたもの。こちらはガーディアンの書評。




マキューアンによる冒頭部分の朗読。朗読会についてのトムの不安や失敗も本作に登場する。



マキューアンによる本作の紹介。





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佐藤太郎(仮)

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