『古書の聖地』

ポール・コリンズ著 『古書の聖地』




初めての本となる原稿(後に『バンヴァードの阿房宮』として出版される)を編集者に渡すと、コリンズは一家でイギリスへ引越すことに決める。サンフランシスコは生活費がかかりすぎるし、一歳半の息子を田舎で育てるのもいいじゃないか。目指すはそう、古本の町、ウェールズはヘイ・オン・ワイだ。

ヘイ・オン・ワイは昔から古本の町であったわけではない。1960年代には町は「ジリ貧」状態だった。それだけに趣はあるが使い勝手の悪い古い建物がたくさん残っていた。1962年にリチャード・ブースという変わり者が旧消防署を買い取りたいとやって来た。ブースはそこで「アンティーク」と本を売り始め、次第に町全体に古書店が拡がっていく。


本書は若く裕福とはいえない作家一家を描いた私小説風の作品としても読めるし、幼少期から古本になじんできたコリンズらしく、たくさんの本(いささか奇妙なものも含む)からの引用がふんだんにあるように愛書狂によるエッセイとしても、そしてブースというエキセントリックなキャラクターをはじめとするヘイ・オン・ワイのルポルタージュとして、またアメリカとイギリスのカルチャー・ギャップを描いたものとしても読める。
基本的にはユーモラスで肩の凝らないタッチで書かれているので、それほど古本や古本屋に興味がないという人でも楽しく読めることだろう。


古本屋めぐりが好きな人ならこんな箇所にはおもわずにんまりしてしまうだろう。

ときどき、とんでもないところから、選り抜きの本が、何冊もまとまって見つかることがある。まだ名前さえついていない部門で見つかることもあり、カヴァーがついたままであることも、しばしばだ。これらはおそらく、何年も前に他の本マニアによって大事に隠しこまれたまま、忘れ去られたのだ。今ごろ、その本マニアで、マンハッタンか、メルボルンか、ミラノで、『詩人たちの仮面』というあの本を買わなかったことを悔やんでいるだろう。もちろん、ぼくは大喜びで本の隠れ家を襲撃した。逆の場合もある。前の旅行のときは別の本屋で金をほとんど使い果たしたあとだったので、『アンクル・トムへの鍵』の初版本を、虫食いだらけの教育法規集の後に隠しておいた。半年後に現金を持って訪ねてみたら、本はなくなっていた。 (pp.126-127)

本を見えにくい所に隠してしまうというのは決してホメられたことではないし僕はそういうことはしないが、古書街に行って買おうかどうか迷った本をとりあえず保留にして一回り見てから決めようと思い、いざ買おうとその店に戻ってみるとなくなっていたという経験はよくあるので、気持ちはまあわからなくはない(古本屋さんからするといい迷惑だろうが)。高価な稀覯本ならいざしらず(僕はそういったものには興味はない)、どうしても欲しい本ならすぐに買っているわけで、結局はそれほどでもなかったということなのだが、すでに買われてしまったことに気づいた瞬間から無性に欲しくなってしまったりする。


あるいはこんな箇所は子育てエッセイ風でもある。

モーガンがよちよちと庭の向こう側に行ったので、ぼくは小走りであとを追った。ここには猫がいる。黒と白の猫で、尻尾を高く掲げて、ぴしぴし振りまわしながら、偉そうに歩いている。モーガンはミャーオと鳴くチューブでも絞り出すように猫をかかえて、抱きしめようとした。ぼくは押しとどめた。/「なでるんだ、モーガン。猫をなでなさい。そっとだよ」/モーガンは尻尾の先にそっと触れた。彼は八本ある歯を全部見せて笑っている。それからうれしそうにぼくを見上げた。/リャーオ、猫が言った。/それからだった。くすくす笑いが始まったのは。モーガンはこの生き物を見て、くすくす笑った。これまで絵の中でしか見たことのない、このよく似た生き物に向かって――。猫だと考えるだけで彼にはおかしいのだ。それから彼のくすくす笑いは止まらなくなった。そこでぼくも声をあげて笑い出した。なぜだかわからないが、ほんとうにおかしかった。彼の赤ん坊らしいくすくす笑いは、甲高くて、それはそれでかわいかったが、ときどきもっとハスキーな笑い声が入り混じった。これまで、こんなに一生懸命笑ったことがなかったからだろう。だが、ぼくはそこに子どもの声を聞き取った。赤ちゃんではない、小さな男の子の声だった。ほんの一瞬のことだった。 (pp.131-132)


この可愛らしいモーガン君がコリンズの次作のテーマとなる。


ヘイで本に関わる商売をしている人のほとんどがヘイ以外の出身で、ロンドン、エディンバラ、リヴァプール、そしてアメリカ合衆国など、「ウェールズの片田舎をのぞく、ありとあらゆる場所からやって来た人々だ」。コリンズは「亡命」という言葉も使っているが、何かから逃れようとヘイに来て古本屋を始める人もいるのだろう。そもそも(古)本屋には少なからずそういう要素があろう。

本という商売は、気質的に他の仕事に向いていない人間にとって、一種の避難所になることがある。ぼくは、一九二〇年版モーレイの『幽霊の出る書店』という本を、ミルウォーキーにあるルネッサンス・ブックスで買った。ぎしぎし音のする、古い問屋だ。合衆国では、この店が一番、ブース書店に近いかもしれない。そこのむっつりとした店員は、ぼくが挨拶しようが、さようならを言おうが、答えもせず、一言も口をきかなかった。そして、お客のいないときにやる日課をぼくに邪魔されて、苛立っているという以外、顔には何一つ表情を出さなかった。その日課が何だったのか、ぼくには想像するしかないが、顔つきからすると、どうやらレモンを一袋分も齧っている最中にぼくが来てしまったらしい。 (p.206)


「どの町にもそういう本屋がある」とコリンズは書いているが、かつてはあったこういった本屋が成立しなくなってしまったから、ヘイに「亡命」してくる人がこんなにもいるのかもしれない。昔はよかったとは言いたくはないが、こういったタイプの人を社会やコミュニティがうまく吸収するという点では現在よりはマシだったのではないかという気もしてしまう。ではヘイで行われるフェスティバルが古本とは関係のないイベント化していることをどう考えればいいのだろうか。より大きなビジネスとなることでより大きなアジールとなるとすることも、商業化が進むことでこの場所からも「亡命」をせまられるようになるのではという危惧がわくとすることもできるだろう。このあたりのジレンマはヘイ以外の場所、とりわけそれがアジール的な場所であればあるほど多くが抱えているのだろう。

ちなみに最終的にコリンズは……ということを選ぶのだが(伏せておく)、僕はヘイには旅行者としてはぜひとも行ってみたいが、住むとなるとちと厳しいかなあという感じだった。


アメリカとイギリスのカルチャーギャップについてもいくつか触れられていて面白いが、一番気になったのはこれである。

コリンズはイギリスのある街で、子どもをどやしつけている父親を目にする。その口調と態度からおそらくは人目のつかないところでは殴っているのだろう。さらには……

子どもに革紐をつけている親も、二度見かけた。一度は少なくとも五歳にはなっている子どもだった。その子はとても美しい子どもだったが、ぼくの方に走って来ようとして、たちまち父親にぐいと引き戻されていた。確かに、小さな子どもを押さえておくには、便利な道具だ。それでもやはり心が痛む。ぼくも子ども時分、ああいう革紐をつけられていた。ぼくの両親は、アメリカの隣人が困った顔で見つめている中を、そんな風にしてぼくを育てあげたのだ。 (p.267)。


「ぼくの両親は、アメリカの隣人が困った顔で見つめている中を」とあるのは、両親はイギリス人でアメリカに渡ってコリンズを生み育てたため。
それにしても、コリンズのこの記述を読む限り、小さい子どもに革紐をつけて勝手に出歩かないようにしているのはイギリスではかつてはごく普通に行われていて今でもいくらかは見かけるというこどなのだろうか。

日本では子どもに紐をつけている親がいるということが前にちょっと話題になったことがあった。大抵は否定的な反応の中に、例えば親や子どもが聴覚などにハンディキャップがある場合は必要かもしれないというような擁護論を目にした記憶もあり、そちら経由で広まったのかとも思っていたのだが、もしかすると昔のイギリス由来ということだったのだろうか。

ということでちょっと検索してみたらテレグフのParenting dilemma: Should British parents put their children on leads?なる記事を発見。ただこれを読むと最近発売された商品について議論が起こっているということで、イギリスでは伝統的に行われていたとは書かれていない。日本ではハンディキャップのある人云々ではなくて時期的にこれを輸入して一部に広まったっぽい。ちょっと気になってしまったのだが、このあたりにつての文献とかどこかにあるのだろうか。


モーガン君については続いてこちらによって描かれる。



リチャード・ブースの自伝は邦訳も出ている。



コリンズが謝辞で芸術的なインスピレーションを受けたとしているのはこちら。


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佐藤太郎(仮)

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