『インターステラー』

『インターステラー』



クリストファー・ノーランのことは嫌いなわけではないのだけれど、ノーランによるSF大作というと、期待よりも不安の方が強かったりもしてしまう。
とりわけ『ビギンズ』以降のノーラン(ノーラン兄弟とした方がより正確か)のやりたいことはわかるし、そのヴィジョンが実現したら凄い作品になるだろうとは思うものの(実際に『ダークナイト』は傑作だ)、「文学的」、あるいは「哲学的」とされるような高尚な作品にしたいという志しが空回りしている観も否めないだろう。

開始間もなくにクーパー親子がパンクした車で畑を突っ切り十年間も空を舞っていたインド空軍のドローンを回収する場面はちょっと宮崎駿っぽい雰囲気もあってわくわくさせてくれて今度こそはと思ったりもしたのだが(一度欲張りすぎずにこういうのを衒いなくやってみてほしい)、まあそこは良くも悪くもノーラン(兄弟)はやっぱりノーランだったという感じか。


ということで以下ネタバレ気味のところもありますので未見の方はご注意を。


『未知との遭遇』、『コンタクト』風味でもあり(そういえば『コンタクト』にはマコノヒーが出演している)、ナルニア国物語の『朝びらき丸東の海へ』なんかも連想させるが(一部モロに『ゼロ・グラビティ』と重なる部分があるが、撮影時期などを考えるとこれは偶然なのであろう)、なんといってもベースになっているのは『2001年宇宙の旅』であり、ストーリーだけでなく映像的にも強い影響下にある作品になっている。それだけにキューブリックとノーランの差異がくっきり浮き出ることともなっている。

地球外生命体との接触、高度な人工知能と自我の問題というのはSFの二大話といってもいいくらいであろう。『2001年宇宙の旅』はまさにこの両者を直接に扱ったものであった。
『インターステラー』の場合、物語が進むにつれて人間の感情の問題が前景化していくことになる。確かに人間の感情、とりわけ愛というのは不可思議なものであり永遠の謎といってもいいのかもしれない。しかしそれを強く押し出せば押し出すほど、これを描くのにSFという仕掛けを使う必要があるのだろうかという気がしてきてしまった。僕はとりたててSFファンというわけではないのだが、むしろそうではないだけにかえって「あぁ、そっちにいっちゃうのね」という感じがしてしまったのかもしれない。

地球では砂塵による環境破壊が進行しているのだが、これについてスタインベックの『怒りの葡萄』とからめて論じている人がいて、確かにそう言われるとなるほどとは思うものの、『怒りの葡萄』的要素を「宇宙」とうまく接着できていたかというとやや疑問に思えた。こういったところはアイデアはいいんだけどそれをうまく深められないノーラン節という印象だった。

『インターステラー』では陰謀をめぐらすのは人間であり、ジョークや軽口も叩くほど高度なAIを持つTARSは自我の問題をまったく抱えていないかのようだ(一部TARSが加担しているかのようなところもあるが、これも暴走したわけではない)。TARSの自身の存在をめぐる問いの不在はそのまま死の恐怖の不在であり、『ターミネーター2』の例の溶鉱炉場面や『のび太の海底鬼岩城』におけるバギーのような「感動」を呼ばないことにもなっている。TARSはあくまでこの後のクーパーの行動の引き立て役として、つまり一方的に人間に仕える存在であることは揺るがないのである。

浅田彰がこちらで『2001年』は『インターステラー』という「アップデート版によって上書きされようとしている」としているが、アップデートしたというよりはHALの「狂気」と比べると大きく後退したように感じられてしまった(浅田が留保付きではあるがかなり高い評価をしているのにはちょっと驚いてしまったが、そういえば浅田彰ってSFというジャンル全般についてどう考えているのだろう。それにしても相変わらず結構細かく海外ドラマとかチェックしてるのね)。

このあたりは僕が『2001年』が好きであるがゆえにそれとの比較にばかり囚われている結果であって、好みの問題でしょと言われたらそうなのだろうが。登場時からTARSの造形ってあれでいいの? なんかあそこだけ急に安っぽくなってしまっていないか、ということがずっと気になってしまったことなどもあって、中盤以降の乗り切れなさの一因となってしまった。


もっともこの手の作品で個別に「突っこみどころ」をあげていくのはあまり意味はないだろう。「突っこみどころ」がある程度生じるのはやむを得ないことであり、作品の良し悪しはその「突っこみどころ」をカバーするだけの求心力を観客に提供できるかどうかにかかっている。『ダークナイト』はその見事な成功例であろうし、『ダークナイト ライジング』は逆に求心力が働かずに欠点ばかりが目立つものとなっている。

『インターステラー』にもいろいろと突っこみたくなる所は多い。NASA登場あたりからはせかせかしすぎている割りに(NASAはパイロットを養成してなかったんかいな)クーパー出発後の地球にパートには時間を割きすぎ(マーフィーがあそこまでいじける必然性はあまり感じられないし、お兄ちゃんがひねくれてしまうくだりも必要性は疑問)。
演出的にも不恰好な肉弾戦なんて見たくないし(マン博士間抜けすぎ)、ディラン・トマスの詩は一回だけでいいのに繰り返しがちょっとくどくて、「ここ大事なとこだからね!」みたいなノリや、「複線回収して凄いでしょ!」的な感じもちょっと苦手なところでもあった。やっぱり弟だけじゃなくてきちんとSFをわかっている人やウェルメイドな脚本を書ける人も入れておくべきなのではという、ここのところのノーラン作品と同じ思いはしてしまう。

と、ちょっとくさしてしまったが、『インターステラー』にはそれらを補うだけの映像の魅力は十分にあったし、 3時間近くを退屈せずに見せてくれるだけのものは作り上げられていただろう。結局こうやってブーブー言いつつ見せてしまうというのが、ノーラン作品の魅力の一つではないかといわれればそうなのだろう。『インセプション』もいろいろ言いたいところもあるがなんだかんだで好きだし。個人的相性としてはこういう位置関係なのかも。


あと、どうでもいい偏った100パーセントの個人的主観だが、アン・ハサウェイの顔立ちって宇宙飛行士っぽくない気がしてしまう。「宇宙飛行士っぽい顔立ち」ってなんだといわれたらよくわからないけど、アン・ハサウェイとTARSが並ぶとちょっとコントっぽくなってしまっているように見えなくもなかったような……



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佐藤太郎(仮)

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