『ソクラテス裁判』

イシドア・F・ストーン著 『ソクラテス裁判』




ソクラテスは「若者を堕落させた」という罪により裁判にかけられ死刑判決を受ける。弟子たちからは逃亡を勧められ、それが可能であったにもかかわらず堂々と毒杯を仰いだ、というのは哲学史においてあまりに有名なエピソードである。

ほとんどの人が偉大なる哲学者が偏狭な権力者や愚かな大衆によって死に追いやられた悲劇と考えてきたことだろう。しかし著者は本当にそうだったのだろうかと疑問を呈する。そもそもソクラテス裁判を直接に記したものは弟子であるプラトンとクセノフォンの手によるものしか残されておらず、それを公正に歴史を記したものとしていいのだろうか。そして著者は同時代、あるいは後代などの資料を渉猟し、ソクラテスの新たな一面を浮かびあがらせようとする。

プラトンこそが全体主義の嚆矢である、というのはカール・ポパーをはじめ長らく議論されてきたことであり、『プラトンの呪縛』( 佐々木毅著)などでその流れを確認できる。「哲人王」による支配とは、独裁制を正当化するいい論拠ともなる。本書が特徴的であるのは、プラトンばかりでなくその師ソクラテスをも反民主主義的な人物として描いていることだ。ソクラテスは「無知の知」を武器にソフィストなどの欺瞞を暴いていったとされる。しかしソクラテスがここで愚弄した人々とは多くが民主制支持者であった。ソクラテスは民主制も寡頭制も支持しない。彼が支持するのは王制だったのである。

ソクラテスはプラトンと違い具体的な政治活動を行っていたのではない。よく言えば超然としていたのだが、現実政治に背を向けていたとすることもできる。このような態度は決して中庸なのではない。ソクラテスが裁判にかけられた時、アテーナイの人々には二度にわたる寡頭独裁政治とその支配下においての圧政が深く心に刻まれていた。民主制支持派はこの間アテーナイを離れたが、ソクラテスはアテーナイにとどまっていた。ソクラテスは、独裁者たちの中には弟子もいたにもかかわらず圧政を改めるよう働きかけることもなければ、批判や抵抗を試みることもなかった。

ソクラテスは寡頭制下においても民主制が回復した後も変らず民主制を攻撃し続けていた。そして親族にこの寡頭独裁に参加したものがいたプラトンをはじめ若者たちにしきりと反民主制を吹き込んでいたのである。
その裁判でソクラテスは言論の自由を訴えていれば無罪を勝ち取ることは難しくなかっただろう。ましてや死刑を逃れることなどたやすかったはずだ。しかしソクラテスはむしろ死刑を望んでいるとしか思えないような態度をとった。ソクラテスにとって嘲笑すべき民主制の価値観によって生き延びるくらいなら死んだほうがましだったのであり、陪審を愚弄し続け、望みどおりに死刑判決を得たのであった。


著者のストーンは政治ジャーナリストであり、ジャーナリストとしての優れた能力とともに赤狩り時代にも屈することがなかったその気骨のある姿勢から尊敬をこめて「政治学者」とされることもあるという。「訳者あとがき」でも触れられているように、著者は哲学や歴史の専門家ではない。従って「玄人」目線で本書を批判的にチェックすると、問題のあるとすることができる箇所も少なからずあることだろう。また著者は明らかに、これまでの広く共有されているソクラテス像からバランスを取るために民主制側に立った考察を展開しており、ソクラテス側から見ると様々な異論があることだろう。僕は哲学史に詳しいわけではないので印象論になるが、いくらなんでもソクラテスに厳しすぎるだろうという感じは強かった。

では著者は「現在」の価値観で歴史的な人物を裁こうとしたのだろうか。原著刊行時、齢80歳を越えていた著者による本書は歴史を題材に現在の社会にあてたメッセージとするべきだろう。その内容は明確だ。シニシズムこそが民主主義を終わらせるものである、ということに尽きるだろう。

犬儒派(シニシズム)についても少し言及がある。この犬儒派を開いたアンティステネースは「民主主義に対してはとりわけ冷笑的〔シニカル〕であった」。
ソクラテスもまた民主制派を嘲笑し続けた。ではソクラテスはあらゆるものを嘲笑的に扱ったのかというとそうではない。王制を支持し、スパルタにすら理解を示していた。そして王制に対して誰もが持つ素朴な疑問である、残虐であったり無能な人間が権力の座についたらどうするのかについては、ソクラテスはまともに答えることができない有様であった。

ソクラテスはポリスになんらの貢献をすることもなく、ただひたすらに民主制派を愚弄し続け、プラトンのような政治的野心を持った全体主義的傾向を持つ人物を育ててしまったのである。そのプラトンは政治的野心をかなえることができずにアテーナイに帰還し、アカデメイアを開き、言論の自由という民主制の原理に守られながら反民主主義的思想の普及に務めたのは様々な意味で皮肉であるが、しかしここから著者が高く評価するアリストテレスのような人物が輩出されることともなる。


丸山真男は「永久革命としての民主主義」を唱えた。つまり民主主義とは常に不完全なものであり、そうであるからこそ不断の努力を続けけていかねばならない。それを怠った時、民主主義は腐り始めることになる。
曲がりなりにも一度民主制が達成された以上そう簡単にこれが崩壊するわけがないという過度の楽観や(それは民主主義へのコミットメントの欠如を正当化することになる)、不完全なものであるがゆえに侮蔑や嘲笑をして構わないのだという居直ったシニシズムこそが民主主義を腐らせ、そこから枯れた巨木があっさりと倒壊するがごとく崩れ落ちていくことがあるのは、何も古代ギリシャまで遡る必要もなく様々な歴史が教えるところである。


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