堀辰雄の立ちション

堀多恵子著 『堀辰雄の周辺』




夫堀辰雄と親交のあった人々の思い出をまとめたもので、1994年から95年にかけての新聞連載を中心に96年に刊行されている。ん、94年? 堀辰雄ってかなり昔に亡くなっているのでは、と思われた方もいるかもしれないが、辰雄は1953年に48歳で亡くなっているので、この連載は夫の死から40年を経ての回想となっている。 多恵子は2010年に96歳で亡くなっているが、数十年前に亡くなった夫を回想するというのがどういうことなのかは、独り身のこちらとしては想像するのはなかなか難しい。

堀辰雄といえば現在では宮崎駿のあの作品もあって「風立ちぬ」や「菜穂子」が一番有名だろう。そのモデルとなった婚約者の矢野綾子が亡くなったのが1935年、「 風立ちぬ」を完成させたのが37年で、翌38年に辰夫と多恵子は婚約をしている。自分の結婚相手の代表作が亡くなった婚約者をモデルにした作品であるというのがどういう気分なのかというのも、これも当事者でないと想像するのはなかなか難しい。

もっとも本書はそういった生の感情が吐露されているわけではなく、懐かしい人たちや出来事をセンチメンタルになることなくふり返っている。


笑ってしまうと同時に意外だったのが佐々木基一についてのこんな箇所。

「軽井沢の芝生の庭の一隅で藤椅子にかけて二人がとりとめのない話をしているうちに、辰雄の口からプロレタリヤ文学の平野謙の名が出て、佐々木さんはおやと思ったようだ。そしてまた話の途中で辰雄が立って生垣のそばに行って小用をたしたのに気付き、二度、吃驚されたらしい。私はその日のことをよく記憶していないが、辰雄が屋外で用をたすことに、その頃はもう慣れていた」。

「辰雄が屋外で用をたすことに、その頃はもう慣れていた」ということは、我慢ができずについということではなく、日常的に庭でじょんじょろとやっていたということなのだろうか。僕は堀辰雄の伝記について詳しくないもので、イメージと全然違うよ!と思ってしまったのだが(佐々木も驚いたということは直接の知り合いでもやはりイメージと違ったのだろうが)、あるいは有名なエピソードなのだろうか。


角川源義とは戦前からつき合いがあり、独立する際に角川が「飛鳥書院」という社名にしようかと考えていると、辰雄は「それはどうも少しいかめし過ぎはしませんか」と返事をしたそうだ。また角川源義は「私の理想とするところは矢張『風立ちぬ』『菜穂子』の作者にあつて、下品な卑屈な小説を売り出す作家の作品はいくら売れても出したくないのです」という手紙を辰雄に送っているという。
角川源義は75年に亡くなっているが、その時息子たちや角川書店はどう映っていたのか、そして今の角川を目にしたら何を思うのだろうか。


中村真一郎についてはこうある。

「中村さんは大変な読書家である。そのことは有名な話だが、辰雄も負けずおとらずの読書家であった。中村さんは本を読むのが早い。辰雄は中村さんに「芥川さんは本を速くしか読めない人だった。君もそんなに速く読んでいると芥川さんのようになるからもっとゆっくり本を読むように」と言ったそうだ」。

芥川龍之介についてもあり、そこには芥川は「辰雄が文学の上でも、又人生の上でも師とよぶ人だと私は思う」としている。「堀辰雄は芥川の稚児……」という噂まで出て、「芥川家では大変お困りになって、まだ学生服を着ていた辰雄の所にわざわざ謝罪に来られたという話を私は辰雄から聞いたことがある」そうだ。
それほど芥川と親しく、また心酔していた辰雄が「芥川さんのようになるからもっとゆっくり本を読むように」と言っていたとなると、これは軽口などではなかったのだろう。確かに本を速くしか読めないというのは一種の呪いなのかもしれないし、ましてやそれが文学者とくればなおさらであろう。


また本書全体である意味で印象深いのは、戦争の影の薄さかもしれない。食糧難に触れているところはあるが、戦争について直接に触れているところはあまりない。その象徴的なのが加藤周一についてだろう。
昭和16年の夏に当時大学生だった加藤は中村真一郎と共に軽井沢に辰雄を訪ねてきて、親しく話しをするようになる。加藤の父の別荘が信濃追分にあったので、加藤が中学生の頃から追分駅前のテニスコートでテニスをする加藤のことを辰雄は知っていたようだ。加藤などに福永武彦や野村英夫も加わってヴァレリーの『ユーパリノス』の輪読をするようになる。この「〔昭和〕十六、十七、十八年の軽井沢の初夏から秋にかけての生活は、辰雄にとって一番ゆたかな、楽しい日々であったと思う」とある(そういえば加藤の自伝である『羊の歌』でこのあたりについて触れていたっけか、大分前に一度読んだきりなもので忘れてしまっているので、いつか再読してみないと)。

この時期にヴァレリーを読むこと自体が一種の「抵抗」という面もあったのだろうし(「風立ちぬ」にはヴァレリーが引用され、堀辰雄訳をさらに宮崎駿が引用している)、本書でも触れられているように辰雄は友人でもあった中野重治と違い政治からは距離を取ったが、また時局に流されてファナティカルなナショナリズムに冒されることもなかった。しかし妻の目から見て、病に苦しみ続けた辰雄が「一番ゆたかな、楽しい日々」を送ったのが戦時下であったというのもまた一面の真実でもあろう。一言で「戦時下」といっても当然グラデーションがあるわけで、その時々において置かれている状況の違いによって「戦争の記憶」についても差異がでてくるのも当然だろう。またこのように日中戦争開始後のみならずアメリカと開戦した後もこのような生活が可能だった人が少数とはいえいたというのは、あれほど惨憺たる状況を迎えるまで戦争をやめることができなかったことの一因でもあろう。
無論本書の性格からあまり触れなかっただけで、実際には様々な出来事があり思うところもあったのだろうが、こういった面からもあの時代というものを捉える必要もあるのだろう。



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佐藤太郎(仮)

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