『階級の日本近代史』

坂野潤治著 『<階級>の日本近代史  政治平等と社会的不平等』




本書は「一介の歴史研究者」である著者が、本職の日本近代史を辿りなおすことによって、出版時の2014年末現在の日本の政治、経済状況へ警鐘を鳴らすものだとしていいだろう。


1890年の政治状況をこう表している。
「「民党」が唱えた「政費節減」論は、今の言葉で言えば「小さな政府」論である。反対に政府の掲げる「富国強兵」の「国是」は、「大きな政府」論である。産業を育成し(「富国」)、軍備を拡張(強兵)するにはお金が必要だからである。保守派の政府とその与党が「大きな政府」論で、自由派の「民党」が「小さな政府」論だったのである。この伝統は、一二〇年以上後の今日においても日本では変らない」(p.45)。

第二次大戦後の日本では、革新勢力は「自由」や「平和」の問題には敏感であったが、「平等」の問題を置き去りにしてきたのではないか、という著者の見立てには当然反論はあるだろう。もちろん革新勢力はミクロレベルでは貧困問題や不平等に取り組み、実績をあげている例も多数ある。しかしまた、マクロレベルでは、貧困や失業問題を根本的に解決するためにはいかなる政策を取るべきかについては後塵を拝してきたという印象も否めない。著者はだから「革新」では駄目だと言っているのではなく、今こそ「自由」と「平和」とともに「平等」を掲げる中道左派の存在が必要であり、そのためには日本近代史が教える苦い教訓から学ぶべきだと訴えているのであろう。


日本で社会民主主義勢力が存在感を得ることができなかったのは、1925年の普通選挙法成立後の憲政会(民政党)の有り方に表れているだろう。吉野作造は普選法成立に先立つこと9年、「民本主義」を唱えていた。ここで吉野は「「経済上優者劣者の階級を生じ」ることが「民本主義の趣意に反する」」と明言している。
「今日の言葉で言えば「格差の是正」が、「民本主義」の目的の一つであり、観方によっては普通選挙制という「政治的平等」は、社会経済的な格差の是正の手段だったのである」(p.95)。

憲政会(民政党)、そして新たに有権者になった都市部中間層には二つの可能性があった。それは政治的に、「都市部の上層部に近づくか下層部に接近するか」である。「前者の途を採れば「資本家の時代」が到来し、後者を択べば「社会民主主義」への途が拓かれる」(p.94)。

憲政会の幹事長であった横山勝太郎は1926年にこう述べている。「率直露骨に言明すれば少数の有産階級と少数の特権階級の生活を引下ぐると同時に最大多数の階級殊に貧民階級の生活を向上せしむることが政治の全部であると信ずるものである」。

これなどまさに現在ピケティが主張していることであり、憲政会(民政党)はこのように社民主義の政党となる可能性を十分に秘めていた。しかし憲政会幹部の中には、普通選挙が求めたのはあくまで政治的平等であり、社会経済的な格差の是正は含まれていないと考えているものがいたばかりか、「あるいはこの方が同党の主流的立場だったかもしれない」。

その代表格が、後に行う粛軍演説で名高い斉藤隆夫である。「同じ憲政会幹部でも、斉藤は普通選挙法賛成演説の中で、「日本一の大金持ち」と「其日稼ぎの労働者」の存在には批判の眼を向けず、「政治の前」、「参政権の前」での「平等」に限ることをくりかえし強調している。先の横山勝太郎が「少数の有産階級(中略)の生活を引下」げ、「貧民階級の生活を向上」させることが普通選挙法後の議会の使命であると唱えているのとは、大きく異なっているのである」(p.97)。

ここを読むと現在の日本の民主党を想起したくもなるが、もちろんこのアナロジーこそが本書における著者の狙いであろう。
憲政会(民政党)は「資本家」に擦り寄ることで、みすみす社民主義の芽を摘んでしまった。
「筆者が机上で考えれば、労働組合に好意的なリベラルな政党が「積極財政」を採用すれば、普通選挙制という政治改革が、都市中間層と労働者の増大という社会変動を吸収できたと思われる。しかし、当時はもとより、二〇一四年の今日でも、リベラル政党は何時も「小さな政府」をめざす。戦前の憲政会=民政党然り、戦後の日本社会党=民主党もまた然りである。反対に保守政党は、戦前の政友会から戦後の自民党まで、一貫して「積極財政」の名の下に「大きな政府」をめざしてきた」(p.109)。


これがもっともグロテスクな形で日本の歴史において禍根を残したのが、浜口雄幸と井上準之助のコンビによる、「超デフレ政策を意味する金本位制への復帰」の断行であろう。労働組合法の制定に期待をかけた総同盟は民政党を支持し続けたが、民政党は「その財政金融政策の点では資本家の利害と完全に一致していたのである。その後を継いだ政友会内閣が、「働きたいか、失業したいか」と訴えたのとは正反対に、「失業」というものにほとんど無関心だったのである」(p.113)。

1932年の選挙の際、政友会はこんなアピールを機関紙に載せていた。
「今回の政戦の題目は極めて明瞭だと思ふ。/景気が好きか不景気が好きか。/働きたいか、失業したいか。/生活の安定を望むか、不安定を望むか。/産業の振興か、産業の破滅か。減税をとるか、増税をとるか。自主外交をとるか、屈従外交をとるか」。

総同盟は犬養内閣を「社会政策絶望時代」の到来と評していたが、「自由主義政党がデフレをもたらし、保守政党がデフレからの脱却を唱えた時、労働者や小作農の大半は保守政党に投票したのである」。経済問題を訴えていたのに最後にさらっとタカ派主張をもぐりこませることも含め、やはり現在の政治状況を想起せずにはいられなくなる。


この後日本では軍が政治のファクターとして力を増してくる。では世論は一気に右傾化したのかといえば必ずしもそうではなかった。1936年の選挙で目につくのは、「ロンドン軍縮(一九三〇年)から五・一五事件(一九三二年)にかけて、保守政党政友会と陸海軍青年将校によって進められた「ファッショ」への道に、人口増によって有権者数も有効投票数も漸増していた「民意」が「ノー」を表明したことである。投票場に足を運んだ一一一三万人の有権者のうち、四四五万人弱の者が、自由主義政党の民政党に投票し、「ファッショ」に接近していた政友会に、わずかながら勝利したのである。天皇機関説攻撃で美濃部達吉を失脚させた政友会に有権者は背を向けたのである」(pp.157-158)。

この選挙の直後に二・二六事件が起こり、斉藤隆夫はそれからわずか2ヵ月半後に公然と軍を批判する。著者はその「斉藤の勇気には感動を禁じえない」としている。「しかし、反ファッショ、自由、平和はあっても、民政党の斉藤隆夫の演説には、「平等」という言葉は出てこない」。「大恐慌によって労働者は失業し、小作農だけでなく自作農も困窮をきわめていた」にもかかわらず、斉藤は11年前から認識を改めることなく、現行制度の維持論に立っていた。この部分について、「筆者の耳には、軍ファシズムとその同調者への痛快な罵倒というよりは、既得権益に守られた強者の開き直りのように響く」と辛辣に評している。


本書はまた、日本の民主主義の可能性を擁護するというテーマも内包されているようにも読める。

「はじめに」で、ある小作農が1937年の日中戦争の開始から45年の敗戦までの間に、副業が不要となりついには自作農にまでなった例があげられている。「政党政治の下では政治的民主化しか与えられなった小作農が総力戦体制の下で社会的民主化の恩恵に浴したのである」。

確かに「戦争の下で「格差是正」が行われ、独裁の下で「格差」が縮小した」。しかし、「同時に起こったことには、必然的因果関係があると思いがち」であるが、そうとは限らない。明治維新、自由民権運動、大正デモクラシー、そして「昭和デモクラシー」と、日本の「政治社会は「士」→「農」→「商」→「工」の順で、時間をかけて一歩ずつ、下に向けて広がってきた。この流れは「総力戦」や「総力戦体制」の有無にかかわらず、時代を動かしていく。「総力戦」の下でも、「総力戦体制」の下でも、あるいは占領軍の下でも、この流れは進んできた。それを「総力戦」のおかげ、「国家総動員法」のおかげ、無条件降伏のおかげと思い込むのは、単なる目の錯覚にすぎない。戦争はそれ自身の問題として是非を問われ、独裁はそれ自身の問題として是非を問われ、平等はそれ自身の問題として是非を問われるべきなのである」(p.188)。

ここで著者が注目するのが社会大衆党である。社大党は左翼から国家社会主義へと転じたとして否定的に語られることが多いが、著者はここで社会大衆党に、その可能性を見出そうとしている。

麻生久らが軍に期待をかけた時期があったことは間違いない。しかし軍が財閥に接近することで、この期待は裏切られる。そして日中戦争勃発の約2ヶ月前に行われた選挙で、社会大衆党はその1年半前の選挙から議席を倍増させている。これについて当時の進歩的文化人たちは、「もはや社会大衆党を親陸軍のファッショ的政党とは呼ばず、今日の言葉でいう社会民主主義党の躍進と位置付けていた」。

社会大衆党最左派は「平和」と「自由」だけを重視し人民戦線を唱え離脱したのに対し、主流派は軍拡と国民生活向上をセットにした「広義国防」を訴えた。しかし石原莞爾らは三井財閥と接近する。社会大衆党はこれを「狭義国防」と批判し、37年末の選挙では「広義国防か狭義国防か」を争点の一つにした。「陸軍と三井財閥との接近によって取り残された社会大衆党の「広義国防」論は、いつの間にか「軍拡」に反対して「国民生活」の向上をはかるものとして、国民の間に広く人気を集めていた」。

戸坂潤らはこの流れを評価していた。河合栄治郎は社会大衆党に「ファッショ的思想傾向を持つものが少なくない」ことを認めつつ、「それは選挙での党勢が伸びないという「自党への無力への絶望」からきたもので、今回の総選挙での躍進により、絶望が希望に代わり、「ファッショ」から「社会党」に発展するであろう、と予想している。先の表現との統一をはかれば、河合も同党が「国家社会主義」から「社会民主主義」に転換することを予想し、かつ期待していたのである」(p.182)。


日中戦争が起こり総動員体制がしかれることがなければ「平等」が訪れることはなかったのだろうか。そうではなく、この時日本には、社会民主主義がようやく種から芽を出そうとしていたのであった……といったこのあたりは、正直にいうと、著者の論旨はかなり強引に思えてしまうし、社会大衆党主流派にあまりに甘すぎるとも思う。とはいえ、むしろその強引さゆえにここでいったい何をいわんとしているのかが伝わってはくることともなる。

「一九三七年四月から六月にかけての社会大衆党の躍進と、それに素直に感動する戸坂潤や河合栄治郎の言論を見ていると、社会的な「格差の是正」のためにわざわざ日中戦争を起こし、そのための「総力戦体制」を受け容れる必要はなかったように思われる。一九二五年に成立した「政治的平等」(男子普通選挙制)は、一二年経った一九三七年には、総選挙を通じて議会主義的に、「格差の是正」に向かっていたのである(p.183)。

おそらく著者は、赤木智弘の「希望は戦争」論と安倍政権による「富国強兵」路線とが不気味にリンクしているように思えているのだろう(日本の右派が「大きな政府」路線であったのは、あくまで「強兵」のためには「富国」でなければならないという動機であって、貧しい人々を慮ってのことではないし、この図式はそのまま安倍政権に当てはめることが可能だろう)。そのための対抗軸としては、左派、リベラル側は「自由」と「平和」だけでは不十分であり、「平等」を平行して掲げなければ駄目だということである。

「おわりに」で著者はこう書いている。「日中戦争がなかったら? 国家総動員法がなかったら? と問うのは、歴史研究者として馬鹿げていると言われるかもしれない。しかし、この「イフ」は意外と有効なように思われる」。
著者が「イフ」として、日中戦争が起らなければ社会大衆党の議席数が倍増し続けたのではないかというシナリオには無理があるように思えるし、また個人的にはやはりGHQが剛腕を振るわなければ農地改革などは実行できなかったのではないかとも思っているので、本書後半での著者の主張にはあまり説得力を感じていない。しかし、ここで著者が言いたいのは、あり得たかもしれない日本の可能性を提出することによって、現実に起こってしまった歴史を繰返してはならず、そのための政策の手掛かりを歴史に探れということなのだろう。

あえて「歴史研究者として馬鹿げている」かもしれない歴史の「イフ」についての考察を展開するという危うい橋を著者が渡ったのは、それだけ現状に対する危機感が強いことの反映であろう。そして「希望は戦争」にあるのではなく、「自由」と「平和」と、そして「平等」をともに携える社会民主主義という「希望」を今こそ再確認すべき時なのであると言っているかのようだ。


基本的には僕も著者と同じ危機感を持っているし、著者が何に「希望」を見出そうとしているかについても共感する点は多い。ただ本書は著者によるメッセージ性というものがかなり強く、また現在との対比に主眼が置かれているので、歴史書としてはいささか荒くまた弱いという印象は否めず、この点には少々注意が必要だろうとも合わせて思う。以前こちらに感想を書いた同じ著者による『近代日本の国家構想』あたりも参照したほうがいいだろう。



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