『Wあるいは子供の頃の思い出』

ジョルジュ・ペレック著 『Wあるいは子供の頃の思い出』




この小説は二つの物語が交互に語られる構成になっている。一つが「とある小島でスポーツに専念している社会の生活」、及びその物語を書き始めるまでの「W」。そしてもう一つがペレック自身の自伝、あるいは自伝への試みである。

Ⅱ章でペレックは「W」について、十三歳のときに作ったもののその後忘れてしまっていたが、七年前にヴェネチアで突然思い出したとしている。そして当時描いたデッサンを見つけ、雑誌への連載を始めたものの、これをこの作品にまとめあげるまでには非常に苦労することになる。

同じくⅡ章で、「ぼくには子供の頃の思い出がない」と、「自信をもって、ほとんどむきになって」主張してきたと書いている。そして「この問題に関しては人はぼくに問いかけてはならなかった」。なぜなら、「大きな斧つきの歴史がすでにぼくに代わって答えてくれていた。戦争と強制収容所が」。

ペレックの両親は共にポーランドからフランスに移り住んだユダヤ人であった。第二次大戦が勃発すると、父はフランスの外国人部隊に志願する。そして負傷し、休戦の翌日に死亡するという、「愚かしく緩慢な死」を迎える。
そして六歳のとき、ペレックは赤十字の列車で自由地帯へと逃れるが、ナチス占領地域に残った母は強制収容所へ送られ、そこで死亡する。


記憶とは奇妙なものでもある。とりわけ幼少期のそれは。自分が本当にその出来事を記憶しているのか、あるいは周囲から聞かされたことを記憶として加えているのか、ただ自分の想像によって作り上げたものなのか、判然としないものも多い。幼い頃にペレックのような体験をすれば、それはなおさらのことだろう。

ペレックは母に連れられてリヨン駅まで行き、そこから赤十字の列車でグノーブルへと向かった。絵入りの雑誌を買ってもらい、その表紙がチャップリンがパラシュートで降下しているものだということは憶えている(後にペレックは兵役でパラシュ-ト部隊に入ることになる)。記憶では、負傷者に見せかけて列車に乗せるために 、ペレックは腕に包帯をしていたはずだった。しかし伯母はにべもなくそれを否定する。ただ戦死者の息子であったから乗ることができたのであって、規定どおりに乗ったにすぎなかったのだと。

あるいは学校でのこと。そこにはドイツ兵が徴用のためか姿を見せることもあった。ある日知らない女性が訪ねてきたことを憶えている。その女性は伯母だった。ペレックは後にその伯母の家で一年間暮らすことになる。「この訪問はおそらくそのとき彼女が回想したか、さもなくばまったく捏造された出来事なのだが、にもかかわらずぼくはそのことをいとも鮮やかに憶えている。その場面全体のものではなく、そのときぼくが感じた不信、敵意、警戒心の感情の思い出だ」。

自分のもとには知らない女性しかこないのだ、そういった女性に求め続けられ、拒まれ続け、自分がそうした女性のものになることもなければ、そうした女性を自分のもにすることもできず、ただひたすら疎んじることしかできないのかもしれない、それが真理の「顕現」のように思えてしまう。そんな思いを抱え続けてしまっている。両親をあのような形で失えば、その不安は当然のものかもしれない。そしてその感情は間違いなく真実であっただろう。しかし、その記憶は「本物」なのであろうか。

記憶というのは残酷なものでもある。それでも、いやそれだからこそペレックは「自伝」を書かなくてはならなかったのだろう。その不安定さにも、固定化にも抗うためにはひたすらに書くしかなかった。

「まさにぼくの繰り言の中には、書いた文章には存在しない、ある言葉の究極の反映、それらの沈黙とぼくの沈黙の醜態しかけっしてぼくはみつけることはないだろう。ぼくはなにも言わないだろうと言うために書いているのではない。なにも言うべきことがないと言うために書いているのではない。ぼくは書く。ぼくは書く。なぜならぼくたちは一緒に生きたのだから。なぜならぼくは彼らの一員だったのであり、彼らの影のあいだの一つの影、彼らの体のそばの一つの体だったのだから。ぼくは書く。なぜなら、彼らはぼくの中に消し去ることのできない刻印を残したのだし、そして彼らのその痕跡が書くことなのだから。彼らの思い出は書くことにおいて死んだ。書くことは彼らの死の思い出であり、ぼくの生の肯定なのだ」(p.65)。


ペレックは「潜在文学工房」ウリポのメンバーとして、実験的な作風で知られていると同時に、「自伝」という形式へは強いこだわりをみせた。極論すれば作家の書くことのすべてが自伝だとすることもできようが、ペレックにおける自伝への執着はそのよううな一般論へと回収することのできないものであろう。
とはいえそこはペレックである。なぜ子供の頃の思い出に子供の頃の創作を合わせる形にしたのだろうか。


第一部における「W」のパートはわかりやすいとしていいだろう。
「ぼく」は前線から逃れるために良心的兵役忌避者の支援組織に助けられスイスで静かに暮らしていた。ある日手紙が届く。その送り主の要件は、「ぼく」が新たにもらった名前の、もとの持主についてだった。「ぼく」が逃れる際、支援組織に緊急事態が生じ、先天性でも病気によるのでもなく、精神的外傷による聾であった少年のパスポートを急遽使用したのであった。そしてその少年と母親と聾唖者教育の専門家らは船旅に出たが、船が事故にあってしまう。少年以外の遺体は回収されたが、少年は行方不明のままだ。その少年の名を名乗っている「ぼく」に、彼を探してほしいという依頼だった。

デイヴィッド・ベロスの『ジョルジュ・ペレック伝』によると、ペレックは兵役についたがそこに順応することができたようである。そして父がフランスのために戦死していたおかげでアルジェリアの前線に送られないことはあらかじめわかっていた。「W」で行方不明となるのは母親ではなく息子の方である。当時のフランスでは両親が戦争で亡くなっていた場合、兵役は免除された。そのためにペレックは宙吊り状態になっていた母の最後と向かい合わねばならなくなる。そして残り期間があと数ヶ月というところで、ペレックは兵役を免除されることになる。
つまりこれは、ペレックの経験を屈折させ逆転させた物語だとしていいだろう。

しかし第二部の「W」のパートがなぜペレックの自伝と結び合わされたのかは、なかなか見えにくいものとなっている。
南極大陸近くにあるWという孤絶した島国。アングロ・サクソン系の移民によって作られたことは間違いないようだ。島の設営と名称はウィルソンという男にまで遡ることができる。ウィルソンが何者であるかについては諸説あるが、そのうちの一つが、ウィルソンは「オリンピック」の企てに心酔したものの、クーベルタンが遭遇した困難に絶望し、オリンピックという理想が汚されたと感じ、「熱狂的愛国主義の紛争とかイデオロギー上の裏工作を離れたところで、新たな<オリンピック>を創設するために、あらゆる策を講ずることを決意した」というものだ。

Wを設営したのが何者であろうと、「本当のこと、確かなこと、まずもって瞠目させられることは、Wが今日<スポーツ>がその君主であるような国、運動選手たちの国家であり、そこでは<スポーツ>と生活が一つにして同じ絶大な努力のうちに一体化しているということである」。

そして物語は、しばらくWにおいてスポーツがいかなる地位を占め、どのように運営されているかの描写が続く。まるで古代オリンピックと近代オリンピックのパロディであるかのようなその物語は、間にはさまれるペレックの重い自伝とはそぐわないようにも思える。しかし次第に、Wがスパルタめいた国という面を持つことが前景化されていき、全体主義的ディストピア小説と化していくのである。

なによりも、ナチスがドイツ人こそが古代ギリシャの後継者であるとするイデオロギーを持っていたことを想起せずにはいられないだろう。そして嫌煙家にしてベジタリアンのヒトラーは「健全」さや「健康」への強いこだわりを持ち、心身に障害を持つ人々を「安楽死」させた。これは後に起こる強制収容所でのユダヤ人などの大量虐殺への予行演習ともなった。
一九三六年に行われたベルリン・オリンピックはまさに、ナチのイデオロギーとプロパガンダの結合を示す何よりの例証であった。そしてこの一九三六年とは、ペレックの生まれた年でもある。

「W」という物語を思いついた十三歳のペレックがどこまで自覚的であったかはわからないが、オリンピック、あるいはスポーツというものに本質的に国民を飼い馴らす道具として用いられることの危険性が孕まれていることを嗅ぎつけていたことは間違いないだろう。そしてそれがもたらす破局的結果についても。

歴史のifを考えるならば、一九三六年の時点で世界中がナチスの危険性を正しく認識していたとしたら、ペレックの両親は平穏無事な生活を営み続けることができたのかもしれない。
このあまりに残酷な可能性と、そして世界がいつまたその暴力性を露にするかという恐怖、この二つを描くために、ペレックによる自伝の試みと「W」という物語とを結びつける必要があったということなのかもしれない。





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佐藤太郎(仮)

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