『物の時代 小さなバイク』

ジョルジュ・ペレック著 『物の時代 小さなバイク』




長めの中編である「物の時代」と短めの中編(あるいは長めの短編)の「営庭の奥にあるクロムめっきのハンドルの小さなバイクって何?」の二編が収録されている。

1965年に発表されたペレックのデビュー作である「物の時代」は、「一九五〇年代の後半から六〇年代の前半にかけてフランス経済の繁栄とともに急速に出現した<消費社会>のなかで、しかもその消費社会の神話づくりにいそしむ広告業界で働きながら、物への渇望以外何の目的も情熱も持ち得ない一組の若い夫婦を主人公とした<六〇年代の物語>である」(「解説」)。

弓削三男は「解説」で、ペレックがインタビューでしばしばこの作品はフロベールの『感情教育』を手本とし、そればかりか多数のコラージュまで行っている、「模作というより<引用の芸術>だと言っている」ことに触れている。

金持ちになりたいと願い、それもただの金持ちになるのではなく金持ちであることをひけらかしたいという気持ちが起こらないほどの金持ちになりたがっていて、趣味のいい(とされる)「物」に囲まれていたいと願い、「物」にとりつかれている夫婦。最後にマルクスが引用されるように、とりあえずは晩期資本主義における欲望への風刺としていいだろう。

弓削は「この大衆社会、消費社会とそれに付随する諸問題はわれわれにも無縁ではない」としているが、この「解説」が書かれたのは1978年のこと。そして1980年には田中康夫が『なんとなく、クリスタル』を発表している。『なんとなく、クリスタル』は突っこみを入れているかのような「注」こそが「本文」であるという言い方がよくされるし、田中が資質的に小説家というよりも批評家よりであることをよくも悪くも表している作品だといえよう。一方で、では田中が登場人物たちの薄っぺらさを意地悪く冷徹にえぐりだしているのかというと、必ずしもそうではないばかりか、むしろある種のシンパシーすら抱いているという面もある。そして『なんとなく、クリスタル』は膨大な「注」の存在が示すように、「作者」は特権的にして超越的な地位にもある。

登場人物が書き割り的であるという点では「物の時代」も『なんとなく、クリスタル』も共通点があるが、しかし「作者」の視点は相当に異なるだろう。ペレックは基本的には明らかに左翼的な立場からこの小説を書いている。むろん単純な資本主義批判、消費社会批判ではなく、そこにはすでに触れたように『感情教育』をはじめ文学的パスティーシュに溢れた野心的な作品ともなっている。
しかしそればかりでなく、デイヴィッド・ベロスの『ジョルジュ・ペレック伝』を読んだ後に「物の時代」を読むと、この作品はペレックにとっては、作品のその外観とは異なり「実存的」な要素も多分に含まれているようにも思えてしまう。

「物の時代」の夫婦は、学士号をとったところで何の意味があろうかと大学を中退し、「社会心理調査員」として広告業界に足を踏み入れる。「社会心理調査員」とはマーケット・リサーチの末端のような立場で、様々な人にインタビューをすることで隠れた需要を掘り起こしていく。さらに広告業界は、需要のないところにも需要を生じさせるのが仕事でもある。皮肉なことに、この夫婦は自らが広告業界の一員でありつつも(あるいは、であるがゆえに、とすべきか)、広告業界が作り出す「物」にとりつかれてしまう。

「一般に広告業界は、ほとんど伝説的に左翼ということになっている」(p.90)とあるが、60年代のフランスでは左翼、あるいは左翼的な人々が広告業界にたくさんいたようだ。そしてペレック自身もそのような人間の一人だった。

ペレックもまた大学を卒業することなく「社会心理調査員」のような仕事に就いていた。つまりこの夫婦はペレック自身の体験がかなり濃厚に反映されている。自分の経験を基に物語を紡いでいくというのはごく普通に行われていることで、それ自体を過大視する必要はない。しかし以下の箇所を読むと、ことこの作品に関してはペレック自身の心理が様々にこの作品に投影されていると考えたくなる。

夫婦はアンケートの仕事が永続的なものとはなりえないことはわかっていた。そのうち失業か半失業の憂き目にあうか、あるいはどこかの代理店に正規の社員になるかのどちらかだ。二人は30歳までにはまだいくらか間があるが、しかしそれまでに決断しなくてはならない。

「特に広告業界においては、使用者側は三十五過ぎの人間を採用しようとしないだけではなく、三十になってもまだ正規の社員であったためしのない者はなかなか信用してくれないのだ。彼らがまだ三十になっていないかのようにフリーで働きつづけたいと思っても、それさえ不可能である。不安定な生活は人に真面目な印象を与えないからだ。人間三十歳にもなれば、成功していなければならず、さもなければその人間は取るにたらぬ。三十までに出世して重要な地位につくことができず、自分の鍵、自分の事務室、自分の名札を持ちえなければ、成功したことにはならないのだ。/ジェロームとシルヴィはよくこの問題を考えた。三十歳までには何年か間があるが、自分たちの送っている生活も、享受しているまったく相対的な平和も決して確固としてものではないだろう。すべてが次第に崩れ去って、後には何も残らないだろう。自分たちが仕事に圧しつぶされている思いはなかった。生活は概して、どうにかこうにか、とにもかくにも保証はされていて、仕事だけに独占されているわけではないのだ。しかし、それがそういつまでも続くはずがないこともわかっていた」(pp.74-75)。

1936年生まれのペレックは29歳で「物の時代」を発表している。この夫婦の現状へのある程度の満足と将来への不安とはペレックのそれでもあったことだろう。
この夫婦は非常に薄っぺらい、書き割り的な存在であることは間違いない。しかしこの夫婦はまた、おそらくは当人たちの主観的にはどちらかというと自分たちを左翼的だと位置づけているであろうことも描かれる。ペレック自身が左翼であったことを思うと、これを単なるアイロニーとばかりは思えなくもある。全ては資本主義的欲望に絡めとられ、左翼的を任じているはずの人たちでさえ、「物」に獲りつかれる。需要のないところに需要を生じさせるのが仕事の広告業界にいる人間が、自分たちが作り出した欲望に押し流されていく。このようなアイロニーはある程度の経済発展を成し遂げた社会においてはしばしば描かれるものであり、日本でもとりわけ80年代以降よく見られることとなる。しかし「物の時代」におけるペレックは、登場人物を突き放したかのような作品の外観とは裏腹に、この作品をかなり「切実」なものとして書いていたようにも思える。

このあたりは『なんとなく、クリスタル』における「作者」とは最もその視点を異にする部分だろう。また日本では元過激派だった糸井重里がコピーライターとして一世を風靡するのも80年代のことであるが、80年代の糸井から「実存的煩悶」といったものは感じられない。このあたりのペレックと田中、あるいは糸井との違いというのは、フランスと日本における差異の表れなのか、あるいは60年代と80年代という差異の表れなのだろうかということも考えてしまう。

もっとも、『ペレック伝』を読んでいなければこのような「切実さ」を「物の時代」から感じたかというとそうはならずに、知的でアイロニカルで、「醒めた」ような作品だと思ったかもしれない。一般論としては小説を読む際にはとりあえずは作者の伝記的事実は括弧に入れておくべきなのだが、前衛的な作風の中にも自伝(あるいは自伝への試み)を濃厚に反映させずにはいられないペレックに関しては、伝記的事実をふまえたうえで読むべきなのではないかという気もしてしまうところでもある。


「営庭の奥にあるクロムめっきのハンドルの小さなバイクって何?」はそういう点でも興味深い。
アルジェリア戦争で前線に送られそうになった兵士がそれをなんとか逃れようとする物語なのだが、ペレックはこれをスラップスティック調に、造語を駆使した言葉遊びを徹底して使って描いている。『ペレック伝』によると、ペレックも兵役を経験しているがユダヤ系移民だった父が第二次大戦で外国人部隊に加わって戦死しているために前線に送られることはないことが初めから決まっており、また長らく行方不明という扱いをされていた母が強制収容所で亡くなったことが確定されたために、そもそも兵役に就く必要がなかったことが確認され除隊している。そればかりでなく、パラシュート部隊に所属していたペレックは、意外にも軍隊生活に順応したそうである。

「小さなバイク」を、軍隊という組織が持つ不条理性とその不条理さの犠牲となる兵士の悲劇を描いた反戦的な作品であるという読みもできないことはないが、「切実」さというよりもむしろ、ペレックの遊戯精神の方が目立つような印象もする。

このあたりはペレックの伝記に引きづられすぎということかもしれないが、一見すると道具的な仕掛けが施されているかのような「物の時代」に「切実」さがあり、「実存的」物語に昇華できそうな「小さなバイク」の方が軽やかさが感じられるようにも思える。この二編を合本としているのは原著に拠っているのではなく日本独自の編集だが、この二作が並ぶことでペレックという作家の独特の顔が立体的に浮かびあがるかのようにも思えてくる。





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佐藤太郎(仮)

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