『ニコラス・レイ  ある反逆者の肖像』

ベルナール・エイゼンシッツ著 『ニコラス・レイ  ある反逆者の肖像』




1978年、ニコラス・レイは経済的事情もあってニューヨーク大学映画学科の三年生の授業を受け持つことになる。レイはアルコール中毒のうえに手に入るドラッグは何でも試すといった破滅的な生活を送っていたが、さらに肺癌を患い、授業の始まる半年前には大きな手術も受けていた。そしてこの一年後に死去する。
レイを招聘したラズロ・ベネデックは、レイが二時間に渡って集中力を保つのは難しい状態であったが、幾人かは非常な恩恵を受けたはずだとしている。その一人に、大学教育に失望して中退を考えていたある人物もいる。ベネデックが彼に「レイの助手を勤めながら三年生をやってみてはどうかと勧め」たのであった。その学生の名はジム・ジャームッシュ。

レイは授業が始まって一か月もすると学校の中に足を踏み入れるのも拒むようになり、自分と学びたければ家まで来るようにと言い渡した。 ジャームッシュは学校という場ではなく教えを受けることにし、またレイと友人にもなった。

ジャームッシュは「細々とした演出のやり方だとか、その他映画にかかわるどんなことよりも、ニックの性格じたいから多くのことを学んだ気がする」と振り返り、さらにこう続けている。「彼にとって映画は、ものごとについて考える方法のひとつの側面にすぎないことがわかった……細々とした演出のやり方とかではなく、本、音楽、野球その他いろいろについてただ彼と話をするときのほうが得るものは多かった、ほとんどそんな気がする。彼は口癖のように言っていた、映画の学生の問題は、フィルムのいろいろな側面を学ぶことだけに関心を注ぎ、絵も見ないし、音楽その他の形式に興味をもたないということだってね」。

そしてジャームッシュはこんなことを思い出している。
「テレヴィジョンというロック・バンドがある。彼らのファースト・シングルをプロデュースしたのはテリー・オークだ。彼らのコンサートに行ったことがあった――一九七五年か六年のことだ、ニックにはまだ会っていなかった――、彼らが演奏していたクラブの外に手書きの掲示板があり、そこにはこう書かれていた、“情熱あふれる四匹の猫たち――ニック・レイ”。“情熱あふれる”とはまさにこのことだ……彼はいつもいろいろなことに首をつっこんでいた、他の領域で起こるいろいろなことにね」。

ニコラス・レイは1911年生まれなので、60代半ばにCBGBあたりに行ってテレヴィジョンなどを聴いていたようだ。

自分の話をすると、音楽の趣味は呆れるほど変らないものの、正直ここ数年は若いミュージシャンへの関心が著しく衰えたという感じが否めず、「あぁ、ついに来たか」と思ってしまっていたし、そういう状況を諦めをもって受け入れてもいた。ただこういう証言を読むとこんなこと言ってる場合ではないとも思えてくる。もしかしたら今この瞬間に、貴重なものを見逃し、聴き逃しているのかもしれないのだし、そうならないためには関心を持ち続けていなければならないのだから。


なお本書はニコラス・レイのフィルモグラフィーを一作づつ丁寧に追っているので、その作品にすでに興味を持っているという人にとっては興味深く読めるだろう。
ただ、レイといえば4度結婚しているばかりか、最初の結婚の時に生まれた息子のトニーが二度目の妻のグロリア・グレアムと結婚するというなかなかの出来事で有名だが(ウィキペディアによるとトニーが13歳の時にグロリア・グレアムとベッドにいるのを発見してしまったのだとか)、下世話な興味によって本書を読むと(正直に言おう、僕はまさにそのためにこの本を手に取った)、このあたりについては少々期待はずれに終わるだろう。

それでも『理由なき反抗』撮影時のデニス・ホッパーのこんな証言はしっかりとある。

「彼〔レイ〕とのあいだには、大変な問題がもちあがった。というのは、わたしら二人とも、ナタリー・ウッドと寝ていたんだよ。彼女の両親がそのことに気づき始め、ニックは、なんと、わたしを密告しやがった! わたしはかんかんになった。撮影所はうるさく言ってくるし、ニックのほうは知らんぷりを決めこんでいる。そこで、チキン・ランのシーンのとき、わたしは彼をわきに呼び、この場で決着をつけようじゃないかと言った。彼は、“まあ、いつかはきみも、どうやったら拳を使わずにうまく切り抜けることができるか、わかるようになるときが来る。頭を使うようになるときがな”。これを聞いて、わたしは喧嘩をする気がいっぺんに失せてしまった」。

ナタリーウッドが当時いくつだったかを考えると笑ってしまうのはためらわれるところでもあるのだが……

デニス・ホッパーとは77年に『アメリカの友人』で共演することになる。そしてこの作品の監督はヴィム・ヴェンダースは『ニックス・ムービー 水上の稲妻』でガン治療のための化学療法などのせいですっかり衰えたニコラス・レイの姿をカメラに収めるが、レイとは1930年代に左翼的な演劇運動に共に関わっていたエリア・カザンはヴェンダースの撮影に出くわし怒りを覚えたことを証言している。


あと『バレン』についての章では出演している谷洋子のスチール写真も収録されていているのだが、英語版ウィキペディアには結構詳しい項目が立てられているのに(こちら)日本版にはないというのはどういうことなのか。谷洋子の伝記というのも、あればなかなか興味深いものになりそうだが。



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