『MONKEY vol.5』

『MONKEY vol.5』





特集は「死者の歌――イギリス・アイルランドの物語」。ヴァージニア・ウルフの「幽霊屋敷」、ディケンズの「眉に唾をつけて読むべき話」などの短編やコンラッドの『闇の奥』の抜粋が柴田元幸訳で読める。

巻末に柴田先生の個人的に好きなイギリス・アイルランド小説がベスト10形式で紹介されているが、そこでジェームズ・ジョイスについて、「『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』がものすごいのはわかるけど、『ダブリナーズ』みたいな<普通にすごい>小説をジョイスがあと二、三冊書いてくれていたらなあ」というスチュアート・ダイベックの言葉が紹介されているが、これには同意する人は多いかもしれない。ピカソが優れたデッサン力を持っていたからああいった作品を描けたように、ジョイスが「<普通にすごい>小説」を書けるからこそ『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』を書けたのだろうが、とはいえあそこの領域まで行ってしまうとついて行くのが厳しいという人も多いのだろうし(もちろん僕もそのうちの一人)、それによってジョイスの「<普通にすごい>小説」がはじめから敬遠されてしまうようなこともあるかもしれないと思うと、少し残念でもある。今回久しぶりに「死者たち」を読んでみて、もう一回ジョイスの「<普通にすごい>小説」を再訪したくなった。




柴田選のイギリス・アイルランド小説10作は以下の通り。




今回訳されているのは古典が中心だが、現代作家ではマグナス・ミルズとジェームズ・ケルマンも紹介されていて、どちらもなかなかいい感じ。ミルズはピンチョンも称賛した『フェンス』などが訳されているが、ケルマンはまだ邦訳はないのかな。ケルマンみたいな作風は日本でも結構ファンができそうなので、そのうち出てほしい。





ハワイのマウイ島で妻と独力で熱帯雨林を育てながら詩作をするW.S.マーウィンの詩とエッセイとマーウィンへの訪問記もあるが、写真では一瞬おじいさんなのかおばあさんなのかわからなかった(笑)。谷川俊太郎がマーウィンに捧げた詩も読める。





マーウィンの「いかにも詩人」な生き方は極めて散文的な人間からは少し遠くも感じてしまうのだが、その詩を読むと、詩というのは詩でしかあり得ない表現であり、その詩でしかあり得ないものを掴み取ることができる人だけが詩人になれるのであって、ライフスタイルというのはおまけでしかないのだということがわかる。

「母に」の一部を。

今晩まさに ぼくは
あなたが死んだ時の歳になる
何十年もの日々を戻って
何層もの雲の向こうをぼくは見る
あなたはあのとき 庭を覆う
暗い秋の空を見ていて
その何ヶ月か前にあなたは
驚きの装飾音付きでぼくに
わたしはもうお婆さんなのよと言い
その言葉のひびきに笑ったものだった
ぼくが生まれて以来 あなたはいつも言っていた
死ぬことに怯えはしないと
あなたの声は ぼくに言ってくれる声だった
ぼくも怖くはないのだと
あなたは立ち上がって 家の中に入った
その夜は雨になると知っていたから







岸本佐知子さんの「死ぬまでに行きたい海」は「赤坂見附」。
かつて勤務していた某酒造会社があった赤坂見附を再訪し、今はその会社も移転しすっかり様変わりした街を歩きながら、会社員生活になじめずに自尊心を蘇らせるためにカードで服を買いまくったあの頃や、会社以外に居場所がほしくて翻訳学校に通うことにし、英和辞典を購入した本屋へと思いをはせている。僕は78年に東京近郊で生まれたもので、80年代半ばから後半のあの時代の空気感とでもいうものが全く想像がつかないというわけではないのだが、実際にあの頃東京で会社員をやるというのはどんな感じだったのだろう。なじめなかったことは間違いないのだろうが。


村上春樹の連載「職業としての小説家」は「小説家になった頃」。
普通なら大学を卒業をして就職をして結婚するところが、結婚して店を始めてようやく卒業し、「群像」新人賞をとったころまでを振り返っている。

店を始めた当時について、「若い人が一軒の店を開くのに、今みたいにたいそうなお金はかかりませんでした」とし、「世の中全体にまだ「隙間〔ニッチ〕」みたいなものが結構残って」いて、「自分に合った隙間をうまく見つければ、それでなんとか生き延びていくことができた」としている。国や地域の経済状態もさることながら、こういった「隙間」の有無というのは漠然とした「息苦しさ」の有無と直結するものでもあろう。

とはいえ、やはりいざ自分で店を始めるというのは実際には容易いことではなく、資金繰りなどに苦しむこともあった。不渡りを出す前日にまとまった額のお金を拾ったことなど、村上ファンにはおなじみのエピソードが多く綴られている。

中でも最も有名なものが、1978年4月、神宮球場での開幕試合で、デイブ・ヒルトンの打った二塁打を見た瞬間に「エピファニー」を得たことで、それについてももちろん書かれている。ちなみに僕は、村上が店が終わった後に台所で『風の歌を聴け』を書き続けている時に母のお腹の中にいて、書き終えたころに生まれることになる。だからなんだと言われれば、別になんでもありませんが……。

『風の歌を聴け』執筆にまつわるエピソードでこれまた有名なものが、英語で書き始めたというものだろう。その経緯についても触れられている。もちろん日本語で書き始めたものの、当初はうまく書けずに才能がないのかもと思ったが、まだ「エピファニー」の感覚が残っていたためにそこで諦めず、英文タイプライターをひっぱり出すことになる。完璧にあやつれるわけではない英語で悪戦苦闘する中で発見したのが、「たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持って行き方によって、感情表現・意思表現はけっこううまくできるものなのだということ」だった。「要するに「何もむずかしい言葉を並べなくてもいいんだ」「人を感心させるような美しい表現をしなくてもいいんだ」ということです」。村上はここで、ハンガリー出身でスイスに亡命し、フランス語で小説を書き始めたアゴダ・クリトフに触れ、「彼女の小説を初めて読んだとき、そこに何かしら懐かしいものを感じた」としている。

「エピファニー」を得た翌年の春の朝、「群像」の編集者から電話があり、最終選考に残ったことを知らされる。その日村上は妻と散歩に出ると、翼に怪我をした伝書鳩を見つけ、いちばん近くにあった表参道の同潤会アパートの隣の交番まで鳩を届けに行く(届けられたお巡りさんはこの後どうしたのだろうか……)。

「原宿の裏通りを歩いて行きました。そのあいだ傷ついた鳩は、僕の手の中で温かく、小さく震えていました。よく晴れた、とても気持ちの良い日曜日で、あたりの木々や、建物や、店のショーウィンドウが春の日差しに明るく、美しく輝いていました。 /そのときに僕ははっと思ったのです。僕は間違いなく「群像」の新人賞をとるだろうと」。

ここを読むと、僕は「ああ、村上春樹だなあ」と思ってしまう。ここには「むずかしい言葉」もこれみよがしな美文調の「人を感心させるような美しい表現」があるのではない。語彙や情景描写としては一見、それこそちょっと気のきいた中学生にでも書けそうにすら思える。それでも、ここでの「感情表現」のための言葉の「コンビネーションの持って行き方」は村上ならではのものであり、また悪戦苦闘の末に勝ち取ったものでもある。

初めて『風の歌を聴け』を読んだとき(このデビュー作が初めて読んだ村上作品だった)、僕はまるで自分のために書かれた小説を発見したかのように心を掴まれたような感覚になったが、これはストーリーはもちろんのことだが、何よりもこの文体にあったのだろう。とりわけ80年代半ばあたりまでに書かれた作品に刻印された村上春樹の文体は、僕にとっていつまでも特別の感覚であり続けるのだろう。その気になれば今でもああいった文体でかつてのような物語を書き続けることもできるのだろうが、90年代以降はこれらとは別の容れ物を目指していくこととなる。それが僕にとってはしっくりいくものであったのかというと必ずしもそうとはいえないが、それでも好き嫌いといった次元とは別に、村上春樹という作家は僕にとっては「特別」な存在であり、いつまでもそうであるのだろうということを再確認したように思えた。



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佐藤太郎(仮)

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