『ミッキーマウスのストライキ!  アメリカアニメ労働運動100年史』

トム・シート著 『ミッキーマウスのストライキ!  アメリカアニメ労働運動100年史』




著者のトム・シートは1975年からアニメーターとして活動をはじめ、ディズニーで『リトル・マーメイド』や『ラオン・キング』、ピクサーでは『シュレック』などの作品で活躍する。また92年からアメリカアニメ労働ユニオン(現在のアニメーション・ギルド=TAG)の委員長を務め。2001年からTAGの終生名誉会長になっている。

この経歴からもうかがえるように、本書はアメリカアニメ史であり、またアニメ業界を中心としたアメリカにおける労働運動史となっている。ディズニーの伝説的なアニメーターの引退や3Dアニメの勃興といった栄枯盛衰を身を持って体験してきたアニメーターの回想としてアニメファンは興味深く読めるだろうし、有名な1941年に起こったディズニースタジオでのストライキのように、これまで経営側からの目線で語られがちであった事柄に労働運動側からアプローチしているという点では、労働運動の当事者やそれに関心を持つ人にとっても興味深く読めるだろう。


シートはアニメーターとなってもしばらくはユニオンから距離を置いていた。「たいした腕もない絵描きが若手を職場に入れずに自分たちの地位を保全するために作った内輪の組織」で、会費が搾り取られて、職を与えてくれた恩人であるはずの「雇用主の足をひたすら引っ張るようなことをし続ける以外、ろくなことをしない連中に思え」ていたからである。

ところがそのシートは、一定期間内にユニオンに加入することが義務付けられているユニオン・ショップ制で作られる映画に参加するために、しぶしぶながら加入したのだった。82年にストライキのため8週間ピケに参加せざるをえなくなると、ますます反感はつのった。「一流のアーティストになればユニオンなんて要らなくなる。仕事を取る交渉は自分一人でやるんだ」と誓った。

若く健康で能力があれば、労組など有害無益に思えるかもしれない。しかし、「詐欺にはまり、整理解雇をくらい、家族の一員だといわれたその後に裏切られ整理解雇をされることを繰り返し、ようやく自分はユニオンが私にとってどんな存在なのかを理解するようになった」。

シートはもちろんユニオンの重要性をアピールしているが、ユニオンを神聖化して肯定的な歴史のみを扱っているのではない。過激な主張を繰返すことで組合員の人心を失っていく指導者の存在も取り上げ、やむにやまれずスト破りをした人を一方的に断罪しているのでもない。そういった負の歴史や課題があろうとも、それでも労働者にとってユニオンがいかに必要なものかを訴えている。

シートは本書を「アニメ業界のユニオンに関する研究の決定版とはいうまい」としているが、確かに学者の仕事ではないせいか、いくつか訳注で訂正されているように誤りも散見されるし、とりわけ(アメリカ)労働運動に詳しい人からするとかなり荒い点もあることだろうし、異論反論もありそうだ。しかし類書があまりないだけに議論の叩き台としては非常に貴重な一冊になっている。


本書の価値をさらに高めているのが、久美薫による「訳者解説」である。
僕はアニメファンというわけではないし、アニメ業界の内情についても通り一遍のことしか知らないが、それでも日本のアニメーターの、過酷というよりも惨状とでもいうべき待遇についてはある程度イメージできる。つまりそれほど悪名高いということだ。

本書を読めばアメリカのアニメーターたちも様々な苦境を味わっていることがわかる。たとえば手描きアニメからの撤退が始まりデジタル化されていく過程で、それに適応できない多くのベテランアニメーターが職を失ったことは想像に難くないだろう。そしていささか乱暴いいうと、このような状況はどの労働者にでも起こりうることだ。しかし日本のアニメーターの置かれている環境はそういった労働者に誰でも起こりうるものとは異質であるようにも映る。こういった事態がなぜ起こり、深刻さが認識されながらもなぜ改善されることがないのかを、日本アニメ草創期から現在までの歴史を辿ることで探っている。この「訳者解説」はアニメファン、アニメ業界人、そして何よりもアニメーター志望者は必読だろう。このテーマだけで十分一冊になりそうだが、どこかの出版社がやらないのだろうか。


日本のアニメーターが厳しい環境に置かれているのは手塚治虫が素人ながらに参入した結果、法外な安さと無茶なスケジュールで仕事を請け負ったことが起点になっている、とされることが多いが(僕もそのように認識していた)、そういった面もあるとはいえ、事態はそれだけで片付けられるほど単純ではないようだ。

日本アニメ業界における労働争議といえばなんといっても東映動画におけるそれであろう。ちなみに、東映アニメーションでは現在でも年度ごとの契約でありながら厚生年金と退職金に類する制度があるそうだが、これは社内労組が存続しているおかげであり、このような待遇は「無論、業界のなかでは例外である」という。この一点をもってしても、労組の重要さがわかるだろう。

東映動画における組合運動は、これも他の企業や業界と同じく労組結成がそもそも難題であり、ようやくそれを達成した後も様々な面で経営側と激しく対立することになる。高畑勲や宮崎駿がその中心にいたことは有名だが、皮肉なことに、この二人によって日本アニメの労働環境はさらに悪化することとなったようだ。

東映動画を退社した高畑のもとに、『アルプスの少女ハイジ』の監督の依頼がくる。高畑は当初、「品質を維持する製作体制を構築できないと難色を示したが」、最終的にはくどきおとされる。そこで高畑が編み出したのが、中核を宮崎ら少数の才能集団で固め(高畑や宮崎はこの頃、個人事業主ではなく今でいう契約社員のような待遇だったようだ)、「原画や背景などは外注で描かせ、高畑の元で中核スタッフがそれを休日返上でチェック・修正することで一定の品質を維持」するというやり方であった。この作品は商業的に成功をおさめたが、「歴史の冷徹な目で眺めなおすならば、時間や人材や制作費が足りなくても一定の品質のものは作れると『ハイジ』は業界内で見せつけてしまった、とはいえないだろうか」。

休日返上、睡眠時間は一日平均2時間だったともいわれるが、このようにして名作を生みだしたことを、「美談」としてのみ語り継いでいいのだろうか。
「訳者解説」でも詳しく触れられているように、日本が産業別組合ではないように日米にはそもそも組合のあり方が大きく違うし、その他にも様々な要因によって今日の劣悪な環境が生み出されている。しかし、それが認識されつつも改善されない一番大きな理由は、この業界での生き残っていく人間がこのような環境を勝ち残ってきた人間であるせいなのかもしれない。

渡邉美樹がワタミ創業のために激しい労働に耐えたことを否定する人はいないだろう。しかしだからといって他人にそれを強要する権利などないし、そもそも激しい労働に耐えられる精神的、肉体的強さのかなりの部分は先天的なものでもあるだろう。にもかかわらず「規準は俺」とばかりに法律なんぞどこふく風で過労死などを生み出すことになる。アニメ業界もまさに典型的な「ブラック企業」の論理で動いているかのようだ。
「やりがい」によって大量の求職者を集め、大量離職者を前提に大量採用する。採用の際は実家から通えるかが大きなポイントになる。実家住まいであれば、金銭的肉体的な搾取を少しでも長く引き伸ばすことができるからだ。またこの環境の中を生き残った少数の者が今度は経営に回り、自分の成功体験を規準に過酷な労働を強いることになる。

他の業種と比較が難しい部分もあることも事実だろう。絵を描く技術や、仕上げるスピードの個人差は大きい。技術が高くスピードが速いアニメーターが、労働時間のみを規準に同じ賃金であったらどうだろうか。レベルが低くスピードが遅いアニメーターの仕事に合わせてしまうということが生じてしまうだろう。そして労働環境が劣悪であることを知りつつも、アニメ業界に関わりたいという志望者の数は依然として多く、その結果嫌がらせとしか思えないしごきなども、「修行」の過程の一つとして肯定的な物語に回収されてしまってもいる。

高い技術を持つ人間とそうでない人間の給料に差が出るのは当然であり、質もスピードも違うのだから労働時間を一律に縛るのはおかしいし堕落につながる、と考える「勝ち組」のアニメーターが出てくるのも当然のことだろう。実際にこの「訳者解説」の中でも、「ラーメン屋がスープを仕込むのに何時間と営業時間外も働いてて『残業代』という奴いるか?」と発言をして顰蹙を買ったアニメーターの例が紹介されている。これは典型的な勘違い、あるいは詐術であるといえよう。この勝ち組アニメーターにとっては、アニメーターという職種は「労働者」としは映っていないのだろう。それが自己資本によって自分の店を営む自営業者であれば、時間をいかように使うかは当人次第かもしれない。しかし、チェーン店のラーメン屋の雇われ店主が、スープの仕込みを労働時間外にしなければならなず、おまけに残業代が支払われないとなれば、それは単なる違法行為であり、おいしいラーメンを作るためには努力をおしまないという「美談」などではない。

本来なら労働者として扱われるべき人を独立した「アーティスト」であるかのように装わせ、対等の取引関係にあるかのように扱うことで劣悪な労働環境や低賃金を正当化するというのは、「名ばかり管理職」の横行や安倍政権(第一次時代から延々と)や財界が固執する「残業代ゼロ」法などを考えると、アニメ業界以外の人にとっても他人事ではない。

では日本において、アニメ業界の組合運動は遥か昔にすっかりすたれてしまったのだろうか。
実は90年代前半に大きな動きがあった。90年に『うる星やつら 乙女のバジカの恐怖』の音声収録の際に、作画がほとんど完成していないのは製作側の怠慢ではないかと声優が収録を拒否し、録音監督もこれに同調した。声優も数多く所属する日本俳優連合もこういった事態が繰返されていることを改善するよう求めた。そして日俳連がこの原因を調査すると、アニメーターの置かれている人手不足と低賃金という劣悪な労働環境や、また企画決定の遅さなど現場の実情をふまえない製作体制が明らかとなる。そして日俳連とアニメ製作の現場の人間との共闘の気運が高まった。90パーセント以上の組織率を誇りストライキが可能な日俳連をモデルに、アニメのフリーの労働者の組合加盟の呼びかけも始まった。そして91年3月には800人が参加する共闘デモが行われる。制作費アップというアニメ組合側の要求が通らなかったため、翌92年にもデモが行われた。この時のチラシが収録されているが、野沢雅子のような大物声優と坂野一郎などの大物アニメーターが共に名を連ね、「「アニメ共闘」とある組織の長は、当時始まって間もない『美少女戦士セーラームーンの監督・佐藤順一であった」。

しかし当時このデモに関わったアニメ製作側の人間に話しを聞くと、「近藤喜文氏に誘われて組合の会合に数回顔を出したが、組合の論理になじめずに離脱した」「体力的にも時間的にも声優さんたちほど余裕がなく、その後も共闘を求められたが運動を共にできなかった」という証言がある。
組織率が5パーセントを切り瀕死の状態だった組合活動がこれで復活することはなく、むしろ最後の徒花であったかのような印象を与える。


「ガラパゴス化」という言葉があるが、現在の日本のアニメ業界はある意味では「成熟」しきってしまい、その内側のみで世界が完結してしまっているかのようにも映る。労働環境の異常さがいくら指摘されようとも一向に改められないのもその反映なのかもしれない。業界の慣習や因習をいまさら改めようにも、もはや手のつけようがないほど絶望的な状態なのではないかと、かなり暗い気持ちになってくる結びとなっている。


このような状況に一石を投じるためにも、本書、とりわけ日本ではこの「訳者解説」は広く読まれるべきだろう。
プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR