レイ・カーヴァーについて語るときに我々の語ること

映画『バードマン』でレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」が重要な役割を果たすということで、「愛について……」と「ビギナーズ」を読み返してみた。

短編集『愛について語るときに我々の語ること』はある事情からカーヴァー当人にとっては必ずしも満足のいくものではなかった。カーヴァーの死後に、残されたオリジナル原稿をもとに、復元・編集し刊行されたのが『ビギナーズ』である。
ある事情というのは、カーヴァーファンには周知なように、この短編集全体が編集者のゴードン・リッシュの手によって大幅に変更されていたいたのである。このあたりについては『ビギナーズ』の村上春樹による訳者あとがき、及び村上編訳の『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』収録の「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」に詳しくある。





リッシュは「エキセントリックなまでに激しく文学に傾倒」し、小説家を目指すが優れた作品を生み出すことはできなかった。やがて小さな文芸誌の編集者となり、この頃に4歳年下のカーヴァーと知り合っている。リッシュは編集者としての能力が認められ、69年に一流誌である「エスクァイア」に迎えられる。リッシュはカーヴァーを引き上げることを請け合い、実際に全くの無名であったカーヴァーの作品はリッシュの尽力により「エスクァイア」に掲載されることになる。これだけなら美しい友情物語だが、リッシュは実はカーヴァーの原稿に大きな変更を加えるようにもなっていた。彼が行ったのは主として加筆ではなく、大幅に、暴力的なほどにセンテンスや語句を削り取ったり、順序を変えたり、タイトルを変更することであった。

70年代、名編集者としてリッシュの威光はますます強くなり、一方のカーヴァーは結婚生活の破綻や破産、アルコール中毒で入退院を繰返すなど、私生活上においてもどん底であった。しかしカーヴァーは70年代後半にテス・ギャラガーと出会い、アルコールを断ち、作家として新たな一歩を踏み出そうとしていた。大手出版社のクノップフに移籍していたリッシュはカーヴァーの短編集を企画する。これはカーヴァーにとっても魅力的な話であったが、リッシュはここでさらにカーヴァーの短編をいじりまわし、カーヴァーはこれに強く対応できないまま出版されてしまう。この作業中のカーヴァーによるリッシュに宛てた痛々しい手紙が『ビギナーズ』に収録されている。


リッシュの行った「編集」が、編集者と作家との関係を逸脱した過剰なものであったことは間違いない。ではカーヴァーにとって、リッシュとの関係はマイナスにばかり働いたのだろうか。
『愛について』に収録されている「風呂」は、リッシュと袂を分かった後にカーヴァー自身が書き直し、代表作『大聖堂』に収録される「ささやかだけれど、役にたつこと」(原題はA Small, Good Thing)となる。
リッシュは「カーヴァーのめそめそしたセンチメンタリズムに私は堪えられなかった」というようなことを言っている。リッシュによって「風呂」というあまりに即物的なタイトルを付けられた作品は不気味な電話の場面で唐突に打ち切られ、「ささやかだけれど、役にたつこと」のあの心を振るわせるパン屋の場面がばっさりと落とされてしまっている(元原稿から実に80パーセント近くが削られている)。まさに「めそめそしたセンチメンタリズム」を排除したのだが、この二作品を読み比べれば、多くの人が「ささやかだけれど」の方を優れた作品だと感じることだろう。






ではリッシュはこのように、カーヴァーの作品を何もかも破壊し損なっていたのかというと、必ずしもそうとも言い切れない。
何よりも、この「愛について語るときに我々の語ること」という、誰もが思わず使いたくなってしまうほど印象的なタイトルは(『走ることについて語るときに僕の語ること』『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』)、リッシュが本文から引っ張り出してきて「ビギナーズ」から変更したものである。

またそれだけでなく、「愛について」とその復元版の「ビギナーズ」を読み比べると、村上は「愛について」を「のびしろが今ひとつ不足している」としているが、僕の好みとしてはリッシュの手の入った「愛について」のほうが優れているように感じられてしまう。またこれは僕の主観のみにとどまらず、カーヴァーもそう感じていたのかもしれない。カーヴァーは生前に刊行した『ぼくが電話をかけている場所』に「愛について」を再録し、これが「決定版」として扱われている。カーヴァーはリッシュと袂を分かった後に自らの手によって多くの原稿を復元しているが、中にはリッシュの「編集」をそのまま受け入れている箇所もあり、「愛について」は作品全体をそうしている。リッシュとカーヴァーの間には感情的対立が生じたが、このあたりはカーヴァーの作家としての度量の広さを示しているだろう(あるいはこの作品は嫌な思い出すぎて考えるのも耐えられないということだったのかもしれないが)。

『愛について』はミニマリズムの作品として受容され、カーヴァーはその騎手として一躍注目を集める。しかしこれは実はカーヴァーの作風ではなく、リッシュの「作風」であったのだ。「愛について」は老夫婦の回想シーンが削られ(またもや「めそめそしたセンチメンタリズム」の排除!)、その結果もあって不可解で謎めいて、暴力的にも思える冷やりとした緊張感に包まれている。個人的にはミニマリズムそのものにはシンパシーはないのだが、「ビギナーズ」にある温かさも捨てがたいものの、「愛について」のこの雰囲気はやはり素晴らしいものだと思ってしまう。

村上も書いているように、リッシュが編集者としてアドバイスをし、二人できちんと話し合い、納得のうえでカーヴァーが書き直すということなら問題は生じなかったし、そうであればさらに素晴らしい作品が書かれたのかもしれない。しかしリッシュのエゴはあまりに強く、カーヴァーは逆にリッシュの強引さの前にあまりに弱かった。作家志望であったリッシュのエゴの肥大化は止まらず、明らかに編集者としては逸脱した行為をとり始め、ついにはカーヴァーと共著者として名を連ねるべきだとまで言い始める始末であった。これは作家志望が叶わなかったリッシュの鬱屈した思いのなせる業でもあろう。その後リッシュのキャリアにも翳りが見え出し、ついにはクノップフを追われ、再び小説に挑むが、編集者には絶対に口出しはさせなかったという。いい作品を書けないままでいるリッシュの末路を、村上は冷ややかに書いている。


身体の大きなカーヴァーが日本に来ても困らないように、村上は自宅にカーヴァーも寝れる大きなベッドを購入するが、すでにガンに冒されていたカーヴァーは日本に来ることができないまま亡くなり、そのベッドがぽつんと残されたというのはキャロル・スクレナカによる伝記、『レイモンド・カーヴァー 作家としての人生』にもある有名なエピソードである。カーヴァーという存在は、村上にとっては小説家としてもさることながら人間としても(文字通りにも比喩的にも)大きな存在であったのだろう。

カーヴァーの関係者は総じてリッシュに対して非常に厳しいし、それは当然のことだと思う。編集者としては明らかに問題があるし、人間としてもとてもじゃないが好感は持てない(リッシュは手元にあったカーヴァーの原稿や書簡を売却しているが、これは村上の身に起こったあの事件も連想させる)。しかしまた、リッシュという存在がなければ、カーヴァーが早すぎる晩年のあの円熟した域にまで到達できたのかはわからないというのも、また否定しがたいことでもあろう。


文学と編集というのもなかなか難しいテーマで、有名なところではT・S・エリオットの「荒地」におけるエズラ・パウンドの果たした役割(事実上共作であったとすることもできる)がある。またカフカはマックス・ブロートに原稿を焼き捨てるように遺言を残しているが、この親友は約束を守らずにカフカの原稿を出版してくれたおかげで、我々は『審判』や『城』などを読むことができる。ブロートは当時は生前のカフカよりはるかに有名な作家であったが、編集者としてはかなりうかつで、その方法や解釈が後に強く批判されてもいる。このあたりについては『新しいカフカ』(明星聖子著)に詳しくある(これについては前にこちらに書いた)。


リッシュとカーヴァーとのケースをこれらと比較することは適切ではないかもしれないが、単純にとんでもない編集者と出会ってひどい目にあいました、という話ではないことは間違いない。カーヴァー作品の様々なヴァージョンを読み比較してみるのは面白い作業であることは確かなので、『バードマン』でカーヴァーに興味を持った人もぜひ試してみてほしい。


あとカーヴァーの初婚の相手であるメアリアンの回想の感想はこちらに書いたが、やはりここでもリッシュについて厳しく書かれている。もっともこのメアリアンの回想はうまくまとまっているとは言いがたいところもあり、この本の編集者はもっときっちり仕事をするべきだったんじゃないかと思えてしまったのはなんとも皮肉なような気がしてしまうが。


リッシュについてはこんなドキュメンタリーが作られている。








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