『アデナウアー』

板橋拓己著 『アデナウアー  現代ドイツを創った政治家』





サブタイトルからも想像がつく通り、本書は基本的にはアデナウアーを積極的に評価する立場で書かれた評伝としていいだろう。

後に触れるように、アデナウアーは必ずしも万人から高く評価される政治家ではないばかりか、とりわけ左派的な人からはむしろ否定的な印象を持たれている人物でもあろう。そのアデナウアーをこうした立場から論じるのは、著者の頭のなかに「日本政治の憂鬱な現状」があったためだ。著者は「歴史研究者としては失格の、時代も国際環境も無視した稚拙な所管」としつつ、「自国民のナショナリズムを煽り、あるいはそれに迎合し、国際社会における日本の立場を毀損していく自称「保守」の現代日本の政治家にうんざりするあまり、世論や自党にも抗して、「外圧」をうまく利用しながら、国際社会復帰のために粛々と補償を進める「保守」のアデナウアーに畏敬の念すら禁じえないときまであったことは告白しなければならない」としている。


まずはアデナウアーの略歴をざっと追ってみよう。

1876年生まれ。父親は控訴審裁判所書記官であったが裕福ではなく、三男ということもあって経済的事情から一時は大学進学が危うくなるのだが、奨学金を得てなんとか進学する。国家試験に合格し、ケルン市に就職すると、第一次大戦中の1917年には41歳の若さでケルン市長となる。ケルン市長として第一次大戦後の占領軍との折衝を行うことになるが、この経験は第二次大戦後に活かされることとなる。

1933年に1月にヒトラーが首相になっても、市庁舎に鉤十字旗を掲揚するのを拒否し、共和国旗で通した。2月に選挙戦の一環でヒトラーがケルンにやって来た時も、市長が首相を出迎えるのが恒例であるにも関わらず、「ヒトラーは選挙応援のために党人として来訪したのであり、首相としてではない」として、ヒトラーを空港に出迎えないばかりか市道に飾られたナチスの旗も撤去してしまう。当然ナチスからは激しい攻撃が加えられ、市長を罷免されるのみならず財産も没収、さらに逮捕まで経験する。この苦境の際にはユダヤ人財界人から支援を受ける。その後裁判によっていくらかの資産をとり戻し、以降個人としては比較的平穏に過ごすこととなるが、戦争末期には再び迫害が始まる。なおアデナウアーはレジスタンスへは参加しなかったが、これはレジスタンスが軍人・貴族といった旧エリート層によって担われていたことへの違和感と共に、すでに危険にさらされていた家族にこれ以上の危害が加えられることを恐れたからでもあったようだ。

第二次大戦後に、行政経験豊富でナチス政権に加わっていなかったアデナウアーが重要な地位を占めるのは当然の流れであったのかもしれない。曲折を経てついに1949年には西ドイツ首相に就任するが、この時アデナウアーは73歳、まさかこの後14年間も首相の座に留まり続けると想像した人はいなかったことだろう。63年に首相を辞任後もCDUの党首を務めるなど政界から引退はせず、1967年に91歳で死去する。


本書は基本的にはアデナウアーを積極的に評価する立場で書かれた評伝であるが、かといってアデナウアーを理想化しているのではない。ケルン市長時代は、よくいえばリーダーシップを発揮したのだが、言葉を変えれば独断専行で強引な市政が目立ち、「君主」であるかのようだった。当人としては民主主義者のつもりであったのだろうが、現在の視点で見ると傲慢で権威主義的な政治家であったように映るだろう。

アデナウアーが長期に渡って西ドイツ首相を務められたのは、その反共主義もあってドイツを「中欧」の国としてではなく「西欧」の国へと引っ張っていったことが西側諸国の利害と一致したという要素も強い。アデナウアーは1947年の手紙のなかで、ヨーロッパには「キリスト教的=西洋」と「アジア陣営」の二つしか存在しないとしている。アデナウアーは「共産主義とソ連を、全体主義、無神論、アジアといったシンボルと結びつけ」、「ソ連・共産主義陣営は、敵というだけでなく、攻撃的で交渉不能の相手と認識」していた。一口に反共といっても様々な考えがあるが、アデナウアーのそれがいささか稚拙なものであったことは否定できないであろう。

また、とりわけ首相時代末期には、権力の座に居座るためには手段を選ばず、ライバルのブラントの出自を中傷するなど、醜悪としかいいようのない言動も取っていた。
こういった負の側面の中で、もっともアデナウアーが否定的に評価されているのが、「経済復興と豊かな社会の建設、近代化に大きく力を注ぐ一方、ナチスの過去については殊更に言及」せず、「過去」の忘却を望んだ点だろう。この姿勢は「何よりも生活の安定を求めた西ドイツ市民の心情にピタリと合致するもの」でもあった。
アデナウアーは「ドイツ人の「集団的罪責」を否定し、むしろドイツ人をナチ体制の被害者と位置づけたとして、後世に批判されがちである」。

アデナウアーの側近のグロプケはナチス時代にニュルンベルク人種法の注釈を書いた人物であり、彼の重用は内外から批判を浴びたが、「グロプケの有能さから、彼を手放そうとはしなかった」。権力維持のためには金権政治も厭わず、そのためには「旧ナチス層に対する懐柔政策もためらわなかった」。


しかし本書はまた、その限界を指摘しつつも、「アデナウアーなりの道義的な責任意識」にも注目している。アデナウアーは首相退任後もイスラエルを訪問するなど親イスラエルの立場を貫いた。そこには「西ドイツの国際的な信用を回復しようという意図」もあったのだろうが、それだけでというわけではなかった。

アデナウアーはドイツに一定の責任を認め、ユダヤ人への補償へと踏み出した政治家でもあった。
1951年には、「「ドイツ民族の名において」犯された「言語を絶する犯罪」を認め、反ユダヤ主義的煽動に対しては刑事訴訟で厳しく闘うという保証と、ユダヤ人に対する「道徳的・物質的な補償」を約束し」、「連邦政府は、ユダヤ人と、故郷を喪失したきわめて多くのユダヤ人難民を受け入れたイスラエル国家の代表とともに、物質的な補償問題を解決に導く用意がある」という「歴史的」と形容された演説を行った。

当時の西ドイツでは補償そのものへの支持は5割をこえていたが、同時に30億マルクという額は多すぎるという反応が圧倒的だった。それでもアデナウアーは、政権内部からの抵抗に合いながらもイスラエルとの交渉を進めていく。「アデナウアーは、イスラエルとの補償交渉に「新生ドイツ国家が世界において信用と名声と信頼とを取り戻すことができるか」がかかっていると理解していた。ドイツを国際社会に復帰させ、西側世界に結びつけるという彼の外交政策の大原則の延長戦上に、対イスラエル政策も位置していた」。

「とはいえ、国際政治的な配慮のみがアデナウアーを動かしてたわけではない。やはり彼なりのユダヤ人への共感と贖罪意識も働いていたことを見逃すべきではないだろう」。
アデナウアーは「外圧」だけではなく補償に積極的な野党SPDからの圧力をも借りて、補償交渉を進めていく。「アデナウアー時代は「過去の克服」の不十分さばかりが指摘されがちだが、イスラエルとの「和解」に着手し、ナチス迫害犠牲者に対するその後の補償への道を拓いたのはこの時代だったのである」。


西ドイツについてある程度の知識がある人ならば、西ドイツの「謝罪」や「補償」を理想化して日本のそれとを対比させようとする意見には違和感を覚えてしまうことだろう。とりわけアデナウアー時代の西ドイツは、政治的にも国民意識においても真摯に謝罪や補償に取組んだとは言いがたい部分は多い。

アデナウアーはしばしば吉田茂と対比される。その権威主義や反共、「西側」との結びつきを重視するなど共通点は多い。またアデナウアー時代の西ドイツと当時の日本が、「西側」の庇護のもとで「保守」が権力を握り、過去と向き合うことよりも経済成長と生活の安定が最優先とされたことも共通するものがある。西ドイツが過去と真摯に向き合い始めるのはSPDのブラントが首相に就いてから後のこととしていいであろう。個人的には(西)ドイツと日本の戦争責任と「過去の克服」を対比する際に最も重視すべき点は、非人道的行為などを国民自身によって裁いたか否かだと思っているのだが、この動きが西ドイツで本格的に始まったのも60年代後半以降だろう。一方日本では、あくまで「被害者」として戦争を記憶するということに重きが置かれた状況が大きく変化することなく現状に至っている。

しかし本書はかなり意識的に、反動的とすら見られかねないアデナウアーですら日本の権力者とはかなり異なるものであったことを強調しているかのようだ。もちろんこのような視点は、アデナウアーの限界よりも「功績」に焦点を向かわせがちになってしまうという点では危ういところもあるが、「あとがき」でも触れているように日本の「保守」の暗澹たる現状を思うと、そのように考えたくなる気持ちもわからなくはない。

ドイツはナチスのみを悪魔化し、全てをナチスにかぶせることによって「責任」を果たしてきたかのように振る舞うのは卑怯だ、というような主張をする日本の「保守」がいる。確かにナチスやそれに積極的に加担した者のみを悪とし、それ以外の「普通のドイツ人」が何も知らず何もできなかったとすることはできない。
無論、だからといって日本がこれによって免罪されるわけはない。むしろこのような主張は、日本が軍人・政治家・官僚などの戦争指導層を「悪魔化」することさえできなかったことの見苦しい言い訳だとするべきだろう。東京裁判が「公正」なものでなかったとして、ならば日本人自身の手で戦争責任者や非人道的行為を行った者たちを裁くつもりがあるのかといえば、日本の「保守」はむしろそのような者たちを免罪することをこそ望んでいることは明らかだ。

アデナウアーと吉田茂、あるいはアデナウアーの葬儀に元首相として参列した岸信介の違いはどこにあったのだろうか。
アデナウアーは確かに戦後にナチス時代の官僚の復活や元ナチスの復権に手を貸した。しかしまた、アデナウアー自身はナチスによってケルン市長を罷免され、迫害まで受けている。吉田茂といえば第二次大戦末期の平和工作によって逮捕されたことが免罪符として利用されたが、吉田が反対したのはあくまで英米との戦争であり、奉天領事時代の悪名高き言動の数々に代表されるように、中国への侵略には積極的であった。岸については言うまでもないだろう。
戦後の日本の「保守」においては、アデナウアーと違い自身が汚点を持つ政治家が権力の頂点に登りつめるのみならず、その子孫が引き続いて権力の座を「継承」してしまった結果、戦争責任は「保守」政治家の私的な利害とも結びついてしまっている。岸の孫の安倍晋三や、吉田の孫にして麻生炭鉱の後継企業の経営者でもあった麻生太郎が戦争責任を直視しない/できないのは、極めて個人的な事情も作用している。こういった状況は改まるどころか、むしろ強化されていっているかのようだ。80年代後半以降、自民党において二世三世政治家の発言力が増し続けていっているが、これは日本が近代化に失敗した国/社会だということを端的に表しているのかもしれない。


ではアデナウアーと吉田、岸、あるいは西ドイツと日本の戦後を対比した時に、これだけが問題なのであろうか。
アデナウアーにはケルン市長時代から強引な市政が目立ち、戦後首相としてもその傾向に変化はなかった。一方でアデナウアーは、1946年に行った演説のなかでこのような考えを明らかにした。

「アデナウアーによると、ドイツ人は長いあいだ、国家、権力、そしてそれに対する個人の位置づけに誤った考えを抱いてきた。ドイツ人は国家を神格化し、個人の価値や尊厳を国家に従属させた」。このような「国家全能」という考え方はプロイセンで始まったとし、プロイセンを中心とした国家統一によってドイツ全体に広まったとする。

「思想史的には、ヘルダーやロマン主義者たちの民族精神論や、ヘーゲルの哲学が、国家の神格化を推し進めた。しかし国家は、現実にはヘーゲルが言うような「人倫の体系」などではなく、剥き出しの権力に他ならず、その神格化は個人を必然的に抑圧する。また国家権力の最も明瞭な表現たる軍隊の賛美にもつながる。こうして軍国主義も、ドイツ人の心情に根付いてしまった。 /アデナウアーは、以上のような国家権力への崇拝と、それに伴う個人の尊厳の抑圧というドイツ史の傾向が、ナチスを導いたと主張するのである」。

そしてアデナウアーはこうも述べている。「民主主義とは、議会主義的な統治形態に尽きるものではない。それは、一つの世界観であり、個人の尊厳や価値、そして譲渡不能の権利についての理解に根ざすものなのである」。

既に書いたように、現在の視点で見るとアデナウアーには様々な限界があるが、この民主主義への考え方は現在でも通用するものであろう。そしてこれほどまでに、同じ「保守」と括るのがはばかられるほど、アデナウアーと日本の「保守」との差は大きい。

繰り返しになるが、日本の「保守」はドイツがナチスのみを悪魔化することで責任を果たしたかのように振る舞うことを批判するが、これもアデナウアーにはあてはまらないようだ。「アデナウアーにとってナチ体制の犯罪性は自明であり、それに熱狂した国民にも責任はあると考えていた」。カトリック教会の責任が問われていた時、アデナウアーはボンの司祭に次のような手紙を書いている。

「わたしの考えでは、ドイツ国民にも司教や聖職者にも、強制収容所での出来事に対して大きな罪(schuld)があります。〔…〕大部分のドイツ国民、司教、聖職者たちは、ナチの煽動に同意したのです。彼らはほとんど抵抗なく、それどころか一部は熱狂的に〔…〕強制同一化に従ったのです。そこに彼らの罪があります。また、たとえ収容所での出来事の全貌を知らなかったとしても、個人の自由やあらゆる法原理が踏みにじられ、強制収容所のなかできわめて残虐なことがおこなわれ、ゲスターポやSSや、部分的にはわたしたちの軍隊までもが、ポーランドやロシアで、前例がないほど残虐なことを住民に対して行ったことを、知っていました。一九三三年と三八年のユダヤ人ポグロムは公然と行われたのです。フランスにおける人質の殺害もわたしたちは公に知らされていました。したがって、ナチ政府や軍司令部が自然法やハーグ条約や人道に根本的に反していたのを大衆は知らなかったなどと主張することは到底できません。もし聖職者たちがみんなで説教壇から公にそれに反対の立場を示していたならば、多くのことを防ぐことができたかもしれません。けれども、そうしたことは起こりませんでした。それゆえ、弁解は成り立ちません」。


本書はアデナウアーを理想化するものではなく、その腐敗や権力を正当化するためのロジックといったどの国の「保守」にもありがちな欺瞞を指摘するものでもある。しかしアデナウアーのこういった言葉を読むと、日本の「保守」との違いには嘆息するより他ない。日本国民の多数派がこういった日本の「保守」を現在に到るまで支持(とまではいかなくとも許容)し続けているばかりか、「保守」政治家の幼稚さや私的な利害によって「国際社会における日本の立場を毀損」することへの無頓着さがむしろ強化されている現状を考えるうえでも、本書が示唆してくれるものは多いだろう。




プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR