『経済政策で人は死ぬか?』

デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス著 『経済政策で人は死ぬか?  公衆衛生学から見た不況対策』




原題はThe Body Economic。「ボディ・ポリティック」を捩った、「ある経済政策の下に組織された集団。その政策に影響を受ける集合体としての国民(ないし人々)」を呼ぶための著者たちの造語であるが、サブタイトルのWhy Austerity Killsや邦題の方が内容をわかりやすく表しているだろう。

スタックラーは公衆衛生学と政治社会学を専門とするオックスフォード大学の政治経済学・社会学教授、バスは国連やWHOの仕事もこなす医師で、数学や統計学にも通じている疫学者でもある。

大恐慌時のアメリカ合衆国各州、90年代前半のロシアとその周辺の旧共産国、90年代後半のアジア通貨危機下でIMFの勧告を受け入れたタイ・インドネシア・韓国とそれを拒否したマレーシア、サブプライム問題やリーマン・ショックを端緒とする経済危機におけるアイスランドとギリシャなど、同じ危機に異なる処方箋を用いた国や地域を比較することで、経済政策でいかに人は死ぬのか、緊縮策がなぜ人の命を奪うのかを明らかにしていく。


旧ソ連崩壊後、スタンレー・フィッシャー、ローレンス・サマーズ、ジェフリー・サックスなどの経済学者たちは「ショック療法」と呼ばれる急速な市場経済導入を主張した。実はこれは経済学的な理由のみに基づくのではなく、共産主義の復活を防ぐという政治的な意味もこめられた政策でもあった。これに対してジョセフ・スティグリッツなどは漸進主義的改革を主張していた。この論争はロシアがIMFの緊急融資を受けることで決着がついた。IMFは緊縮策と急速な民営化をその条件としたからである。

この結果、90年代前半から半ばにかけてロシアの平均寿命は一気に下がった。ソ連時代は確かにモノはなかったが、その代わりに社会保障はそれなりに充実していたし、共同体も機能していた。しかし緊縮策と急速な民営化により、仕事がなくなったうえに社会保障制度もガタガタとなり、酒に溺れたり鬱を病むなどして、多くの働き盛りの男性が命を落としたり、自ら命を絶ったりしていったのである。旧ソ連や東欧の中には漸進主義的改革を選んだ国もあった。これらの国でも混乱はあったが、平均寿命が一気に低下するような社会の崩壊はみられなかった。

急速な改革を訴えていた多くの経済学者が誤りを認めスティグリッツなどが正しかったとしたが、全てがそうだったわけではない。サックスはこれを認めずに著者たちの論文に難癖をつけ、「改革」を煽った英誌「エコノミスト」は過ちを認めるどころか、改革のスピードが速すぎたのではなくむしろ遅すぎたのが問題だったと居直るばかりか、死者を蘇らせてグラフを改竄してまで印象操作を図るのであった。

結局ロシアは「ほんの一握りの新興財閥〔オリガルヒ〕が富と権力を掌握する格差社会」となり、あの「改革」の失敗から経済的にも社会的にも立ち直れないでいる。


IMFの指導下で緊縮策が進められたタイでは、エイズ予防のために配っていた無料のコンドームの資金を捻出できなくなったためにエイズが蔓延してしまうなど、公衆衛生の悪化で緊縮策がかえって「高くつく」というケースは枚挙に暇が無い。

現在進行形でいえばギリシャ問題もまさにこの例にあてはまる。経済危機に陥ったアイスランドでは、「銀行より国民を優先」させる国民投票が通り社会保障制度が維持され、死亡率の上昇など大きな混乱は起こらなかった。一方ユーロに加入してしまっていたギリシャでは緊縮策が進められた結果、経済も社会もボロボロとなり、現在に至っている。


財政危機に陥った際、IMFの勧告に忠実な国ほど経済状況がより深刻化した例は山のようにある。不況時に緊縮策をとれば経済はより悪化する、このようなことは素人にも想像がつきそうなものだが、IMFは近年になってようやくその誤りを認めるようになった。とはいえなぜ未だに経済学者や政策担当者の中にはそれに固執する者が多いのだろうか。答えの一つはイデオロギーだろう。本書ではしばしばイギリスのキャメロン政権の政策が辛辣に評されている。

いわゆる「オバマケア」導入以前のアメリカでは、無保険であったり質の低い保険にしか入れなかったために怪我や病気の初期段階で病院に行かなかった結果として病状が深刻化し、個人にとっても(州)政府にとっても「高くつく」ことが頻繁に起こっていた。ある糖尿病の患者が、棘が足に刺さったものの医療費を気にして病院に行けなかったために起こった悲劇が本書でも取り上げられている。

保険会社は経済危機によって大きな利益を得た。「保険料をつり上げたり条件を厳しくしたりして、自社にとって得にならない顧客を「パージング」したことで、保険金の支払いが減り」、まるで濡れ手に粟のごとく利益を確保したのであった。
著者たちが指摘しているように、「医療の世界では市場原理はうまく働かない」のである。しかしキャメロンはNHSの解体を目指し、事実上一部を民営化する政策を押し進めた。案の定サービスが低下したうえに不効率と不正とが横行する事態となっている。

イギリスといえば本書にこんな例があげられている。
57歳の警備員のブライアン・マカードルは脳卒中の発作を起こし、半身不随になり左眼の視力も失いはっきり話すこともできなくなってしまった。ブライアンは障害者手当てを受給し始めたが、「アトス」という会社から就労能力審査を受けるよう通知がくる。審査会場の四分の一は車椅子でのアクセスが不可能であり、不安にかられ、審査の数日前にも発作を起こしてしまったにも関わらず、ブライアンは会場に何とかたどり着き、審査を受けた。数週間後、「アトス」はブライアンに就労能力があると判断し、雇用年金局から障害者手当ての打ち切りが通告された。「イギリス政府はマカードル一家を見捨てたのだ。そして実際に支払いが打ち切られた日の翌日、ブライアンは心臓麻痺で死亡した」。
まだ13歳の息子のキーランは、「ぼくはどうしても許せません。あの人たちに罰が下らない限り、父さんの死を受け入れることはできません」と語った。

キャメロンは政権に就くと、公共サービスの大幅な削減を指示し、障害者手当てもその中に含まれていた。キャメロンは何十万もの人々が不正に受給していると主張し、フランスのシステム・インテグレーションを専門とする会社、「アトス」に医学的判定の業務を委託した。
しかし実際には障害者手当ての不正受給の額は全体の1パーセントにも満たないもので、およそ200万ポンドにすぎなかった。一方「アトス」はイギリス政府に対して委託料として4億ポンド(!)の支払いを請求していたのである。

「健康のためなら死んでもいい」よろしく、わずかな「不正」を根絶するためならどんな犠牲を払うことも厭わない倒錯したこのような反応は日本における生活保護バッシングを彷彿とさせるが、こういったことを目の当たりにしても、右派政治家やその支持者の意見を変えるのは難しいだろう。


しかしより深刻なのは、緊縮策を支持、実行しているのが机上の空論を弄ぶ一部の経済学者や右派ポピュリスト政治家のみならず、リベラルとされるような政策を指向している人たちの間にも依然として根深いことだろう(とりわけ日本では)。

メルケルはギリシャへの過酷な緊縮策の要求が懲罰的なものであり、他のユーロ加入国への警告であることを半ば認めている。ヴェルサイユ条約の反省から第二次大戦後に(西)ドイツが手厚い援助を受けて経済発展したことを思えばこの仕打ちはなんとも皮肉なことであり、ギリシャ人たちはこれに猛反発しているが、このようなドイツの姿勢がかなり広く受け入れられてしまっているのも、緊縮策こそが倫理的であり、放漫財政を放置してきたギリシャは堕落した「病人」であって、罰を受けるのもやむをえないという感覚が少なからず存在しているからだろう。

以前右派勢力によるケインズへの嫌悪感についてこちらに書いたが、右派はケインズの私生活と政府の役割を重視する政策とを結びつけ、どちらも非倫理的なものであるとして毛嫌いしていた。人格と政策とを結び付けないまでも、緊縮策を「倫理」的観点から評価しようとする傾向は右派にのみ限られたことではなく、リベラルや左派とされる人々にも散見される。
これも著者たちが指摘しているように、家計と国家財政とのアナロジーは成立しない。にもかかわらず、「家計でいえば○○しか収入がないにもかかわらず××も借金を抱えているようなものなのだから、支出を減らすのはやむをえない」といった印象論で緊縮策を正当化してしまうのである。

緊縮策によってまず犠牲とされるのは例外なく社会保障費であり、このあおりを一番苦しい形で受けるのが、経済的・社会的弱者である。しかし、「可愛そうかもしれないが、国の将来のことを考えるを仕方が無い」といった俗流功利主義によって緊縮策を正当化したり、犠牲を払いながらもそれを実行することがあたかも「倫理的」であり「責任ある政治家」の振る舞いであるかのように誇りさえしてしまう人もいる。


話を本書から少し脱線させると、共和党が優位な保守的な州であるにも関わらず、ネブラスカ州が最近死刑を廃止した。こちらの記事でも少し触れられているように、倫理的な問題や死刑に犯罪抑止効果がないことなどへの認識が深まったことも一因のようだが、もう一つ理由としてあげられているのが「コスト」の問題である。一見すると終身刑の方が受刑者を「養う」ことからコストが嵩みそうに思えるが、実は死刑の方が高コストなのである。倫理的理由から死刑に反対している人からすると「コスト」という観点から死刑を論じることには違和感を禁じえないであろうが、あのネブラスカで死刑が廃止されたように、保守・右派的な人々のイデオオロギーを打ち破るためにはこういった手法も有効であるという考え方もあるだろう。

貧困に陥った人、心身の病気に苦しんでいる人を見捨てることは許されない、そういった人たちを支援するのに特別な理由などいらない、という主張には全面的に同意する。しかし同時に、不況時の緊縮策や過度の民営化は倫理的に問題がある結果を招くばかりか、経済政策としても間違っており、不況を深刻化させ、社会保障費をむやみに削ることはかえって高くつく、といった観点からの批判も必要かもしれない。この方法によって全ての人を説得できるとは思えないが、自分の主張が倫理的に問題があるのみならず、論理的根拠がないことに気づいてくれる人を少しでも増やさないことには、「経済政策で人が死ぬ」という悲劇を減じていくことはできないであろうから。


先のイギリスの選挙におけるスコットランド国民党の躍進は、スコットランドナショナリズムもさることながらキャメロン政権の緊縮策への不満も追い風になったとされる(皮肉なことにイングランドナショナリズムが刺激され、保守党がこれを煽ることで勝利を得たともされるが)。
ギリシャのシリザへの評価は人によって大きく分かれるだろうし、スペインのポデモスもまだまだ未知数だ。しかしヨーロッパにおいては緊縮策対反緊縮策が政治の大きな(あるいは最大の)争点になりつつあることは間違いないだろう。
そして日本では、「財政危機」を理由に社会保障の一層の削減を主張する勢力がこれからも長く権力に留まる可能性が非常に高いという状況下で、それにどう対抗していくのかを考えるうえでも、本書から学べる点が大いにあるだろう。



プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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