『マッドマックス  怒りのデス・ロード』

『マッドマックス  怒りのデス・ロード』



「マッドマックス」シリーズでは1と2は面白いとは思ったがハマったというほどではなかったし、『サンダードーム』にいたっては今になって初めて観たという有様なもので、はたして新作をどれほど楽しめるものかと不安がなかったわけではなかったが、実際に観てみると確かに前評判通りの傑作であった。

前3作それぞれとの関連が皆無というわけではないが、マックスがメル・ギブソンからトム・ハーディに交代したこともあってかリブートといってもいいほどで、いきなり『怒りのデス・ロード』から入っても問題なく楽しめるだろう(前3作を観ているにこしたことはないだろうが)。


本作の主人公は実質的にはシャーリーズ・セロン演じるフュリオサとしていいだろう。この試みは新しいといえば新しいが、過去作を見返してみると、マックスというのはもともとかなり受動的なヒーローであったともいえる。もっとも今作は受動的を通り越して、とりわけ前半部は狂言廻しに近い役回りとなっている。

代わりに前景化されているのが、すでに散々触れられているようにフェミニズム的モチーフである。これは『エンジェルウォーズ』的な「闘う女性(少女)萌え」的なものではない。逃げ去る「妻」たちが「we are not things」と書き残していくように、「モノ」といて扱われることからの逃走であり闘争である。アクション大作とフェミニズムといえば「エイリアン」シリーズがあるが、「エイリアン」が隠喩的であるとすれば本作は極めてストレートなものとなっている。
そして人間が「モノ」扱いされる状況というのは、女性たちのみに降りかかることではない。文字通りに「狂気」におかされているマックスは、受動的にこの闘いに巻き込まれながらも、次第に積極性を得ていくことで狂気の世界から逃れ、能動的にこの闘いへと加わっていく。そしてマックスは、死へと逃れるのでもなく、また死をロマンティサイズするのでもなく、「survive」するために闘う。これはフュリオサや「妻」たちの「モノ」扱いへの抵抗と共振していく。


この作品ではヴァルハラ神話と共に暗殺者にハシーシュ(大麻)を用いたという(虚構の)言い伝えに基づく「アサシン」の語源的なイメージも連想させる。
宗教的情熱を喚起することで末端の兵士の体制への奉仕と死への欲求とを掻きたてるのは世界的によく見られる現象であろう。ただ、戦争と死とを美学化することで大日本帝国が何を行ったのかということを考えると、あるいは日本が未だに性差別が著しく激しい国でもあることを思えば、この「モノ」扱いからの逃走と闘争を描いた作品は日本のような国・社会でより響くものかもしれない。


この作品はきっちり120分であるのだが、もし予備知識ゼロで観た場合、一体何分に感じられただろうか。全く退屈する隙もない作品であったのだが、逆に詰め込みすぎで疲れてしまったところもなきにしもあらずでもあった。
カット割りの非常に細かいアクションは悪く言うとせわしない印象もあって、個人的にはアクション作品でのこういった編集はあまり好みでないこともあり、こういう手法ならば100分前後くらいがちょうどいいのかなあとも感じられた。
一方で、バスター・キートンからの強い影響といえば近年では2013年の『ローン・レンジャー』があるが、こちらは後半のアクションは面白いものの全体としてはとにかく長過ぎで、このように無駄に長い作品がやたら増えている中、きっちり120分におさめてくれた、とも思う。


『怒りのデス・ロード』はある意味では「教科書」的なストーリーでもあって、マックスがフュリオサに信頼感を抱いた印としてあることを教える、あるいは「輸血」の意味合いが前半のそれと後半のそれとが逆転するといったあたりは定型的といえばそうかもしれない。
エンディングは、それこそ近年の凡百の大作映画ならダラダラと5分10分とひっぱりそうなものだが、こちらは抑制をきかせ、かつ感情移入も十分にできるものとなっている。昔のハリウッド作品を観るとそのエンディングの簡潔さに驚かされることがあるが、こういった点でも「教科書」的なものになっているのかもしれないし、これはこの作品の大きな魅力の一つだろう。それほど予備知識なしで観たもので、途中までは三つ巴の争いへと展開していくのかとも思ったのだが、このあたりもストーリー、あるいはアクションを過度に複雑にすることなく、抑制をきかせてもいる。


卵が先か鶏が先かという話になると、ジョージ・ミラー作品は日本の漫画・アニメに多大な影響を与えている。ギター男やら乳首男など、よくこんなものを思いついたものだという感じだが、これらなどはいかにも「漫画的」だ。
そして後半に登場するある人たちはモロに宮崎駿作品を連想させる。ポリティカルなメッセージを含みつつ活劇としても一級のエンターテイメントとして成立するというのはまさに(かつての)宮崎作品的だともいえるだろう。ジョージ・ミラーはジブリ美術館を訪れ宮崎へのリスペクトを口にしているが、宮崎が『怒りのデス・ロード』を観たなら、どんな感想を寄せるのだろうか。




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佐藤太郎(仮)

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