『MONKEY vol.6』

『MONKEY vol.6』





特集は「音楽の聞こえる話」。今号の注目はなんといっても小沢健二の「赤い山から銀貨が出てくる」だろう(ご存知のように小沢は東大で柴田元幸のゼミ生だった)。

「旅行中、その土地に関する英語の学術論文を読む癖がある」と小沢は書き始める。なぜ英語なのかといえば、「世の中の論文の大多数は英語」で書かれており、例えばアフリカの二つの部族について知りたいと思えば、それぞれの出身者の書いた英語の論文を読むことができる。「そういう贅沢さと便利さは、有り難い」もので、「旅行先で読む学術論文には、旅行先で入るスタバのように、後ろめたくも、ちょっとホッとする感覚がある」。

南米ボリビアの、標高4090メートルにあるポトシ市では、「十六世紀から十七世紀のポトシでの銀の採掘について、夜な夜な夢中で論文を読んだ」。
ポトシには黒人奴隷がいなかった。あまりに過酷な環境のため、連れてきてもすぐに死んでしまうのだった。銀を掘り出したのはインディオたちである。アダム・スミスが『国富論』に「ヨーロッパが行った野蛮なひどいこと(savage injustice)は、人類全体に恩恵をもたらすことはなく、不運な国々に破滅と破壊をもたらした」と書いている。エドゥアルド・ガレアーノは『収奪された大地』に、ポトシの銀が掘りつくされた後に800万の死骸が残されたとしている。

ヨーロッパ人は南米のインディオの命を大量に奪ったが、変化したのは南米だけではない。ヨーロッパも大量に流入した銀によって変化した。小沢は90年代前半にまだ一般的ではなかった携帯電話を持たされた思い出と、2000年代に携帯が普及した後に携帯を持っていないことによって感じた社会の変化を比べる。携帯の普及によって社会が変わったように、かつてのヨーロッパも銀の流入によって大きく変化した。

小沢はヨーロッパのクラシック楽器の精巧さについて考える。スネアドラム、フルートやトランペット、ヴァイオリンとヴィオラ、そしてピアノ。アジアやアフリカなどの楽器とは明らかに異質である。旅行する時にはアメリカのギブソン製のクラシック・ギターを持っていくが、ボリビアでそれを取り出すと、「インディオたちの弦楽器、チャランゴとは比較にならない精巧さを見せびらかしているようで、やり過ぎ感があるというか、恥ずかしくなるくらいだった」。

ヨーロッパのクラシック楽器が恐るべき程精巧なのは、ヨーロッパ人が優れていたからではない。グローバル化、銀の流入によって莫大な余剰資本が生まれ、それを楽器や音楽家へ投資することができるようになったためだ。つまり、「そういう「ヨーロッパがした、野蛮でひどいこと」による「破滅と破壊」がなければ、あの甘美な楽器たちはなかった」。

世界のどこにいても英語で論文が読めその土地のことがわかり、スタバでコーヒーを飲んで一息つく。これは素晴らしいことかもしれないが、これは血塗られた歴史によって可能になったことなのでもある。では我々はこの歴史とどう向き合えばいいのだろうか。


ここ十数年の小沢の変化については、とりわけフリッパーズ時代から90年代半ばまでの熱心なファンにとってはいろいろと複雑な思いもあることだろう。180度方向転換し、すっかり別人になってしまったと感じる人もいるかもしれない。「赤い山から銀貨が出てくる」は小沢がこのところ何を考えてきたのかについての一つの回答になっているともできるだろう。

ギブソンのギターを抱えて旅しているように、一度その果実を味わった以上そこから逃れることはできないのかもしれない。しかしだからといって、どんな過去があったにせよ利便性が増し安楽な生活が送れればそれでいいではないか、と居直るのではなく、また「破滅と破壊」をもたらしたヨーロッパ的なものを全て打ち壊せというのでもない。矛盾とアンビヴァレンスとを抱えながら、それでも「ここを掘るな!」と怒鳴った雷のごとき音楽こそが今奏でるべきものなのだ、それが小沢がやろうとしていることなのかもしれない。





チャールズ・シミックの「ブルースにつける薬はない」も、ブルースの真髄に迫るような印象深いエッセイだ。少し長く引用してみよう。

「〔ファニー・パパ・〕スミスの歌には型どおりのところは何ひとつない。これはヴードゥー、エロティシズム、犯罪、その他神のみぞ知る何やかやから成る秘密の世界を、詩的かつ曖昧な通り言葉で語ったブルース・ソングなのだ。このブルースにも、そしてほかの多くのブルースにも、それ独自の想像力とイメージを備えた知られざるアメリカを私たちは垣間見る。ブルースの詩人は、私たちみなが行くのを恐れる場所に行って帰ってきたのだ――あたかもどこかにそんな場所があるかのように、私たちのなかにある私たちが人生の悲劇的感覚を経験しその驚異を経験する場所に対応する禁じられた場所がどこかにあるかのように。その安酒場で、そのオールナイトのブルース・ソウルクラブで、私たちは運命の重みをひしひしと感じ、自分の存在の核にある無を味わい、絶望と至福を同時に覚え、そうしたいっさいに唾を引っかけ、しくしく泣いて大騒ぎしたくなるのだ、なぜならブルースとは結局のところこの世界より古い悲しみをめぐる歌なのであって、そいつを治せるものなんてありはしないのだから」。







ハワード・モスの「インスタント・ライフ」打って変わって非常に楽しいもの。この本は「著名な作家、画家、音楽家の人生を数ページで、あることないこと(時にはないことないこと)交えて捉えた書物」。ここに訳出されているのはクラシックの作曲家篇であるが、僕はクラシックの知識が皆無に近いもので工藤智里の解説がなければどういったネタなのかほとんどわからなかっただろうが、何とも愉快なお話の連続なので、詳注付きで出てほしいなあ。





村上春樹の「職業としての小説家」は「時間を味方につける――長編小説を書くこと」。
連載は今号で最終回、加筆して九月に単行本化ということだが、このエッセイはこれまで断片的に書かれていたことも多いが、その分自身の経験とアティチュードとを割と率直に語っているものになっていると思うし、まとめられたものを読むとさらにその印象は強まることになるのかもしれない。



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佐藤太郎(仮)

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