『ブレイキング・バッド』完走

数か月に渡ってちょろちょろ見ていた『ブレイキング・バッド』をついに完走。一日最大二話までというルールを勝手に作っていたのだが(まとめて見ようとすると止まらなくなってしまう)ファイナル・シーズンはその禁を犯して一気見してしまった。

アメリカの人気ドラマといえばシーズン4あたりから主要キャストの降板やマンネリや梃入れとその失敗やらでグダグダになっていって、まだやってたの? といった状態で最後を迎えることが多いようなイメージがあるが、『ブレイキング・バッド』は最後まできっちりとした質を保ったまま終わりを迎えている。
『ブレイキング・バッド』に関しては事前にそういった心配が不要だということがわかっていたので、ある意味では安心して見ることができたのだが、ストーリー的には安心して見られるどころか、後半にかけては胃が痛くなるような話であった。

この作品はやはりネタバレなしで見た方がいいと思うので具体的な展開については書かなかったが、これから見るつもりで少しも情報を入れたくないという方は以下ご注意を。



個人的にはもう少し凸凹コンビが化学の力で危機を脱するといった「牧歌的」な(といってもS1の第一話からしてブラック・ユーモア満載であるが)話が続いてほしかったのだが、これではマンネリを迎えるのも早かったかもしれない。シーズン2の後半あたりからの展開はいささか性急にして大きくなりすぎとも感じてしまったが、このあたりは視聴者の感情の先回りをしたとすることもできるかもしれない。

しかし同時に、『ブレイキング・バッド』のすごいところは、安易に視聴者の感情におもねることをしないことでもある。視聴者の期待通りに話が進まないどころか、主要登場人物がむしろ共感を妨げるような言動を取り始めることになる。連続ドラマとしてはリスクもあった展開だろうが、脚本、演出、演技の質によって視聴者はもう離れることができなくなってしまう。

もちろん連続ドラマの宿命として全てをきっちりと計算しきることはできないので、少々おかしいところなどもあったりするし(某人物は非常に用心深い性格として登場するものの実際にはかなり軽率としか思えないのだが、まあ本当に非常に用心深かったとしたら話しが進まなくなってしまうだろうし……)、バトルものの少年漫画のようなインフレ傾向もなきにしもあらずでもあるが、そういったことがあまり気にならないぐらい見事なものであった。


ウォルターは化学者として富と名声を得るチャンスがあったが、今ではしがない高校教師に身をやつしている。「身をやつしている」というのは文字通りの意味で、なにせ洗車場でアルバイトをしなくてはならないくらいである。そんなウォルターが末期癌だと診断されてしまう。妻と障碍のある息子と、思わぬ妊娠でまだお腹の中にいる子のために何ができるか……
というところから物語は始まる。ウォルターの置かれた状況は確かに悲惨だが、あらゆることが絶望的だというのではない。事態を悪化させているのは明らかにウォルター自身でもある。

マーク・トウェインの未完の大作、『それはどっちだったか』の書評で星野智幸はこう書いている。
「ジョージが怯えているものの一つが体面である。自らの犯罪が次々に無関係の人を巻き込んで取り返しのつかないダメージを与えるさまを、「過ちの系統樹」として図に描くジョージは、そのおおもとを「偽りのプライド」と断定する。(中略)この小説世界を陰惨にしているのは、どの人物ももとは善良で親切な凡人たちであったという事実だ。普通の善人たちが、いかにして利己的な欲望や憎悪に囚われて怪物化していくのか、その過程の描写こそが、この小説の恐るべき魅力である」。

と、なんだか『ブレイキング・バッド』の評でも読んでいるような気になってしまったが、それはこの作品がアメリカ的メンタリティのある一面をこれでもかと映し出しているからだろう。

最もアメリカ的な印象を与える人物としてはウォルターの義兄のハンクかもしれない。陽気だが口が悪くやや粗野であるが、仕事はきっちりするし何よりも家族を愛し大切にしている。そのハンクが辿る運命を考えると、その「アメリカ的」なものへの批評となっているかのようだ。

ちなみにハンク役のディーン・ノリスは上半身が筋肉と脂肪とで非常に大きくなっていて、下半身とバランスが悪くなっているほどだが、こういう体型もアメリカ合衆国独特のもののような気がするし、こういう点でもアメリカ的かもしれない。後半に行くと微妙に上半身がしぼんでいっているようにも見えるが、あの体型を維持するのもなかなか大変なのかもしれない。

作中時間は全体でほぼ2年だが、1年間の出来事が大半を占めている。撮影期間は5年に渡っているので、まとめて見るとこのように一部の俳優は「フケたなあ……」と思ってしまうのだが、最後まで見たうえでそのあたりを振り返ると、こういったこともなんだか愛おしく思えたりもする。



あの場面でバッドフィンガーのこれだものなあ。涙せずにいられようか。



ところでラスト近くのある場面はポール・オースターの『偶然の音楽』をちょっと連想してしまったが、まあ意識はしていないのだろうが、ああいったイメージもまたアメリカ的光景ということなのだろうか。

『ハウス・オブ・カード』は面白そうではあるんだけど、きちんと終わってくれるのかはまだ油断ならないしなあ。次は『マッドメン』あたりにしようかな、と思う一方で、全部見ることを考えるとやっぱり時間がなあとも思ってしまうのだけれど、いくつもの作品をフォローしている人がいるけど、海外ドラマのファンってどういう生活を送っているんでしょう。





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佐藤太郎(仮)

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