『泰平逸民独語』

ある本を読んでいたらこんな箇所があった。

青少年少女の「ゆきすぎた所行」を見聞きすると、確かに「道徳教育」が必要なのかもしれない。しかし、メディアを見れば大人たちの醜い行動の数々がさかんに報道されており、こういう大人たちにも「道徳教育」が必要ではないか。
そして著者はこう続ける。「文部省方面の権力ある方々が、こうした大人たちの「道徳教育」については、てんで関心をもたず、ただ青少年の「道徳教育」のみやかましく言い立てておられるのは、片手落ちだし、実果はないだろうし、かえって思わしからぬことにしかなるまい、と心配しています」。

この著者は誰かというと渡辺一夫。『泰平逸民独語』は渡辺が1960年前後に書いたエッセイを集めたもので、この「道徳教育と僕」は1958年に書かれている。

渡辺は「昔戦犯だったり、二枚舌を使うのが上手だったり、法律で他人を縛ることだけをよしとしているような権力ある要路の人々や、金もうけのためなら何でもやる金力勢力を持った実業家たちは、皆、戦前、小学・中学時代に、「修身」というものを習ってきた人々です」と続けているように、「文部省方面の権力ある方々」の本音が「道徳教育」に名を借りた「修身」の復活に他ならないことを危惧して書いたのだろう。

敗戦にもかかわらずエスタブリッシュメントに居残った日本の右派がこの50年以上に渡って性懲りもなく同じようなことを試み続けていることがよくわかるのだが、こういったことが一笑に付されていったのではなく、少なからず実現していっていることを思うとさらに暗い気分にもなる。

これも1958年に書かれている「修身科の復活、その他」では、修身の復活と並んで紀元節の問題を取り上げ、三笠宮が反対の立場でこの件についてコメントするとそれを週刊誌が大きく書きたてて右翼が激怒したということに触れている。近年右派が天皇を「反日左翼」認定する日もそう遠くないという揶揄をする人がいるが、こういったことも50年以上も前にすでに起こっていたのである。


現在読むとこれまたいろいろ考えさせられるのが東京オリンピックをめぐってのものだろう。本書には東京オリンピックに反対するエッセイもいくつか収録されている。
「或る子供の日記」は、小学生の「ミー坊」が隣の「小父さん」と話したことなどを日記にしているという体で書かれている。この小父さんは学校が夏休みになったので少し暇になったらしく網戸を作り始めていて、ミー坊は本がいっぱいあるこの小父さんのことがなかなか好きらしく、よく家に遊びに行っている。

小父さんがオリンピックに反対する作文を都知事に宛てて新聞に書いたと知ったミー坊は釈然とせず、こう日記に書く。

「さっきも、そば屋の夏子ちゃんのところで、テレビを見ていたら、元は宮様だった竹田さんというにこにこした人が、「オリンピックは国を挙げてやりたい」とおっしゃっていたし、オリンピックは皇太子様の御結婚の時みたいに、一日中テレビでやるに違いないから、面白いに決まっている。元の宮様がおしゃった通り、僕らは、多少の不自由は我慢して、国全体で一生懸命になって、オリンピックを立派にせねばならないと思う。水道が出ないから、オリンピックを中止にしろという小父さんは、国全体の名誉ということを考えていないことになる。オリンピックの切符は高いから、僕らは、見にゆけっこないけれども、そば屋の夏子ちゃんと仲良くしてして置けば、テレビで見られる。僕らは、三度のごはんを二度にしても、オリンピック大会を立派にやらなければいけないと思う。元の宮様がおしゃった通りだ。どうも、小父さんには、愛国心がないし、自分のことばかりしか考えない。あんな新聞に小さく出た作文なんか、東都知事が読む筈はないから、よいけれど、読んだらきっと怒るだろう。昔スポーツマンだった東都知事は、オリンピックを日本でやる為には、うってつけの都知事だ。小父さんみたいに勝手なことを言ってじゃまをする人たちは、お巡りさんに言いつけて、少し叱ってもらったほうがよいかもしれない」。

小父さんに好意を持っていたはずのミー坊も、すっかりテレビなどに煽られてナショナリズムに染まってしまい、高価なチケットを自分たちが買えないだろうとは思っていても、それでも三度の食事を二度にしてでもオリンピックを成功させねばと考えてしまう。「元は宮様だった竹田さん」の存在といい、今これを読むと既視感にかられてしまう。

ミー坊はここで書いたことを小父さんに直接言ってしまう。すると小父さんは悲しそうな顔をして、「カツマデハホシガリマセン。ナニガナンデモカボチャヲツクレ。イチオクイッシン。キョコクイッチ。…イチオクソウザンゲ…」とぶつぶつ呟いて書斎へ入ってしまった。

これは1959年に書かれているが、このような「愛国心」によって国家への奉仕と個人に犠牲を強いることを当然視し、それに反対する人物は「 お巡りさんに言いつけて、少し叱ってもらったほうがよいかもしれない」となってしまうことは実際に渡辺が見聞きしたのかもしれない。渡辺にとっては日本人があの敗戦から14年たっても本質的には何も変っていなかったのだということを突きつけられたかのような気分になったのだろうし、敗戦から70年を迎えてもそうなのかもしれない。こちらでも書いたように、丸山真男も戦後間もなくのスポーツの国際試合で、日本人がナショナリズムをむき出しにしたことを目の当たりにして強いショックを覚えている。

1961年に書かれた「熊さんと八さんの対話」で、渡辺は八さんにこう言わせている。
「つまらん話よ。一体全体、「国の為」とか、「愛国心」とかいうことが、わいわい言われている時代は、どうも、その国にとって、決して平和でもなく、幸福でもないらしんだな。俺らでも、月末の支払いや税金で、ふうふう言う時に限って、二宮尊徳みたいな考えになり、節倹貯蓄、忍苦力行なんぞというお題目を真剣に考えるからな!」


1960年に書かれた「悲しく卑しい智慧」では、ヨーロッパで15,6世紀ごろから用いられてきた「潰走する敵の退路には黄金の橋・白金の橋を作ってやれ」という格言を取り上げている。これは敗北した敵を必要以上に追い詰めると手ひどい逆襲にあうこともあるので、「潰走する敵には、思う存分、心の行くまで逃走せしめて、反省の余地を与えたほうが結局は得だという極めて打算的な謹厳にもなると思います」とし、「「金持喧嘩せず」という俚言と、心理的には相似的なところがあるようです」ともしている。

言葉を変えればソフトランディングの思想ということになろうが、ここには勇ましさや強さは欠けているだけに、「悲しく卑しい智慧」なのかもしれない。
このエッセイはこう結ばれる。

「あらゆる人間が、この卑しく悲しい智慧を持つようになり、これを実践できるようになりさえすれば、この智慧は、卑しくもなく、悲しくもないことが判るようになるかもしれません。そして、卑しくて悲しいのは、こうした智慧によってのみしか救われないにも拘らず、この智慧を省みない人間そのものだとも申せましょう。「金持喧嘩せず」という俚言が、誰しもの倫理となるほど、あらゆる人々が金持(特に精神的)になれる日は、いつこの地球を訪れることか、それは老残の身の知る由もありません。ただ、昔と比べて、人間が驚くほど機械化され、画一化されてゆき、集団の力と力との対立抗争が一切の解決法だというように思いこまれている現在、相手を金持にして喧嘩を避け、お互いに、「黄金の橋・白金の橋」を作り合うほうが、結局は皆の得だという卑しく悲しい智慧の実践のほうが、勇ましく、いさぎよい殴りこみよりも、はるかにむつかしいということを、この地上で、誰かが、時々思い出していてほしいと希うだけです。また、戦乱は楽で、平和は苦しいものだということを、誰かが、時々考えていてほしいと思うだけなのです」。




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