『帰郷  シチーリアへ』

ダーチャ・マライーニ著 『帰郷  シチーリアへ』




フォスコ・マライーニは1938年にアイヌ文化研究のために北海道大学へ向かう。ダーチャ2歳のときだった。1943年、政権を追われたムッソリーニがドイツの支援のもとサロ共和国を樹立すると、「海外居住者」のイタリア人も政権支持を強要され、多くの日本在住のイタリア人が署名したが、フォスコは反ファシズムの姿勢を明確にし署名を拒否した。
こうしてマライーニ一家などファシズムへの忠誠を拒否したイタリア人たちは日本の強制収容所に送られたのであった。


1947年、苦難に満ちた日本での生活を終えシチリアへと帰郷する場面からこの「小説」は幕を開ける。
本書は回想というよりはやはりあくまで小説であり、上記のマライーニ一家の苦境は「解説」に依ったものでこの作品の中でクロノロジカルに詳述されるのではなく、様々な記憶とともに断片的に語られている。

空襲にさらされ、飢えに苦しみそれをまぎらわすために自分の手に歯をたてるような日本での収容所生活。収容者が幼児を見る目には、人肉食への誘惑の光が浮かんでいた。両親はサロ共和国への忠誠を拒否したが、娘たちまで巻き込むことになるとは思ってもみなかった。連合軍が必ず勝つとする父、もし負けたらどうなるのかと不安にかられる母。両親は夜な夜な口論を繰り広げ、闇の中でそれを耳にしていたダーチャは「二人とも子供みたい」と思うのだった。石をごちそうに見立てて遊び、わずかな栄養分を横取りする回虫をお尻から引き抜くことを覚えるなど、ダーチャはたくましく生き抜く。


パレルモでは母方の家族が迎えてくれた。シチーリアも戦火で傷つき、また未舗装の道路が目立つなど近代化から大きく送れをとっている地域でもある。物質的に満ち足りていたわけではないが、「ナスのパスタ」「鰯のベッカフィーコ風」といった、日本在住時には話でしか聞いたことがなかったような食事を口にすることができた。

広場に映写機が設置され、何百人もの人が集って教会の壁面をスクリーンするめずらしい光景に立ち会った後、野外劇場が作られ、そのうちに本物の映画館が登場する。「しだいに絵緒がのなかで愛や接吻や抱擁があからさまになり、重要にもなったが、しかし女は映画館から閉めだされるようになった。若い娘が「映画館」に行くのは、たとえ同伴者がいても、「不道徳」だとみなされたのだ」、といったあたりはまさに『ニューシネマ・パラダイス』の世界といった感じだ。

少女が幾人もの男性の性暴力にさらされる様を描いているように、因習や抑圧の暗い面も炙り出すことになる。戻ったときには話すのはイタリア語より日本語のほうが楽で、英語の本にも耽溺したダーチャはよそ者の目でシチーリアを観察したともいえるだろうし、そのような視線が田舎で歓迎されることはないだろう。
マフィアがはびこり、また無計画な開発(そこには当然汚職がからんでいる)によって貴重な文化財(しかも自身の一族のもの)が失われるのを醒めた目で映し出し、何よりも自身の家系にも辛辣な視線を注ぐ。

自らに貴族の血が流れていることを憎み、一族のはみ出し者として島を離れた。「ジャスミンと腐った魚、高潔な心と鋭利なナイフの島をいつもペストのように避けてきた」が、叔母の手に渡っていた館を久しぶり訪れるのであるが、当然強い警戒心で迎えられることとなる。

こうして描かれる二つの帰郷は、シチーリアとの和解のための記憶として溶け合っていくのである。




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佐藤太郎(仮)

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