『職業としての小説家』

村上春樹著 『職業としての小説家』




雑誌「MONKEY」に連載していた六章に書き下ろし五章を加え、さらに京都大学で行った講演が収録されている。「MONKEY」に連載していた時は、「村上春樹私的講演録」というタイトルが付けられていたが、なぜこういった文体(講演のような語り口調)をとったのかについては「あとがき」で触れてある。

その「あとがき」で村上は、「本書は結果的に「自伝的エッセイ」という扱いを受けることになりそうだが」としている。といっても網羅的な自伝ではなくあくまで「小説家」としての自伝的エッセイとなっている。またこれまでエッセイで書いてきたものと重複する部分があることにも触れられており、村上のエッセイを読んできた読者にとってはおなじみのエピソードもかなりある。それでも、「これまであちこちで述べてきたことを、系統的にひとところに収めたいという意味合いもあって」、この「語られざる講演録」は刊行された。

ではなぜあえて本書を刊行したのだろうか。一つには作風の変化があるのかもしれない。村上はこう書いている。

「ともあれ二〇〇〇年代に入ってから、僕は三人称という新しいヴィークルを得たことで、小説の新たな領域に足を踏み入れることができるようになりました。そこには大きな開放感がありました。ふとまわりを見回してみたら、壁がなくなっていた、みたいな感じです」(p.231)。

二〇〇〇年代以降の村上の長編は明らかに語り直しに入っている。もちろんこれらは厳密に一対一に対応しているというわけではないが、『海辺のカフカ』は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の、『1Q84』は『ねじまき鳥クロニクル』の、『多崎つくる』は『ノルウェイの森』の語り直しとしていいだろう。これを単なる焼き直し、あるいは物語を生み出す能力の枯渇と評する人もいるかもしれないが、また村上の言う「小説の新たな領域」とは物語の容器(「何を」語るか)にあるのではなく、「三人称という新しいヴィークル」をいかに乗りこなすか(「いか」に語るか)に主要な関心のある結果だとすることもできる。
いずれにせよ、村上の中の「物語作家」としての土台は肯定的にも否定的にも揺るぐことはなくなり、そうであるからこのタイミングで「系統的」に語ることが可能になったともいえるだろう。


もう一つは、「筆一本」で三十年以上職業小説家としてやって来たという自負心であろう。
例えば自身の作風や文体が、日本ではとりわけ玄人筋から否定的に評価され続けていたことに触れつつ、こう書いている。

「夏目漱石の文体やアーネスト・ヘミングウェイの文体も、今では古典となり、またレファレンスとして機能しています。漱石やヘミングウェイも、しばしば同時代の人々にその文体を批判され、あるときには揶揄されたものです。彼らのスタイルに強い不快感を抱く人々も当時は少なからずいました(その多くは当時の文化的エリートです)。しかし今日に至るまで、彼らの文体はひとつのスタンダードとして機能しています。もし彼らの作り上げた文体が存在しなかったら、現在の日本小説やアメリカ小説の文体は、今とは少し違ったものになっていたんじゃないかという気がします。更に言えば、漱石やヘミングウェイの文体は、日本人の、あるいはアメリカ人のサイキの一部として組み込まれている。ということになるかもしれません」(p.87)。

お前らからどう評されようとも自分は生き抜いてきたし、そればかりかこれまでの日本人作家にないほど世界的な成功を収めることができたのだぞ、ということが本書全体でもう少し控え目な言葉で穏当に綴られている。これは自慢や批評家筋への嫌味ということではなく(それもないわけではないだろうが)、「文壇」的なるものからどれほど冷淡に扱われようとも職業小説家としてサヴァイヴしてきたということが、実は村上春樹作品の性格とも密接に関わっており、それもまたこのような本を刊行する契機になっているのではないだろうか。

「MONKEY」連載時から読んでいたが、書き下ろし部分を加えてまとめて読むと、本書のテーマがはっきりと浮かびあがってくる。それは「個」と「フィジカル」である。

「小説を書くというのは、密室の中でおこなわれるどこまでも個人的な営みです」(p.163)とあるように、「個」あるいは「個人」について、繰り返し語られる。

文学賞の選考委員を務めないのはなぜかについて、こう書いている。
「どうしてかといえば、理由は簡単で、僕はあまりにも個人的人間でありすぎるからです。僕という人間の中には、僕自身の固有のヴィジョンがあり、それに形を与えていく固有のプロセスがあります。そのプロセスを維持するためには、包括的な生き方からして個人的にならざるを得ないところがあります」(p.72)。

他にも「小説家というのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなようにやること、それが僕にとっての自由人の定義です」(p.141)というのも「個」としての生き方のパラフレーズであろうし、また日本社会から逃げ場が失われ、その波が教育現場にまで押し寄せていることについて、必要とされているのは「個の回復スペース」(p.208)だとしている。

村上は「これはあくまで僕の個人的印象であり、確かな根拠・例証を示せと言われても困るのですが、歴史年表とつきあわせて振り返ると、その国の社会の基盤に何かしら大きな動揺(あるいは変容)があった後に、そこで僕の本が広く読まれるようになる傾向が世界的に見られたという気がします」(pp.284-285)と書いている。

村上作品はしばしば(嫌味をこめて)「癒し」がどうのという語られ方をすることがあるが、背景として常にあるのはむしろ「個」と「社会」(あるいは「システム」や「制度」)との摩擦であろう。この「社会」というのは政府や特定の団体・個人といった具象的な権力ではなく、もっと包括的な、それゆえに「魂」に迫る強圧的なものである。「社会の基盤に何かしら大きな動揺」起こっての混乱状態にあっては、何に抵抗すればいいのかすら見えなくなっていく中で、「個」が磨り潰され、押し潰されていくこととなる(このあたりについては梶谷懐著『「壁と卵」の現代中国論』あたりも参照するといいだろう)。

このように圧迫する「社会」(「邪悪」な存在としてもいいだろう)のある種の抽象性こそが村上作品が世界的な読者を獲得したキーの一つであろうし、逆に日本の批評家筋からの評判の悪さにもつながっているだろう。しかし「個」と「社会」の対立とは漱石の「自己本位」ともつながる意識であり、漱石もまた前近代と近代、東洋と西洋などのフリクションを描いた小説家であり、あるいは村上は自分こそが日本近代文学の(有り得た)可能性を示しているという自負心もあるのかもしれない。


創作活動のための持続力を身につけるためにはどうすればいいのか、「それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです――基礎体力を身につけること。逞しくしぶというフィジカルな力を獲得すること。自分の体を味方につけること」(p.168)。

村上が長期に渡って継続的にランニングを続けていることはあまりに有名であるし、文字通りの意味での「体力」の重要性も強調してもいるが、もちろんこれは比喩的なものでもある。

「日々走ることが僕にとってどのような意味を持つのか、僕自身には長い間そのことがもうひとつよくわかりませんでした。毎日走っていればもちろん身体は健康になります。脂肪を落とし、バランスのとれた筋肉をつけることができますし、体重のコントロールもできます。しかしそれだけのことじゃないんだ、と僕は常日頃感じていました。その奥にはもっと大事な何かがあるはずだと。でもその「何か」がどういうものなのか、自分でもはっきりとはわからないし、自分でもよくわからないものを他人に説明することもできません」(p.173)。

村上は漱石の作品への好意をこう表現している。
「頭で考えて作った小説じゃない。しっかりと体感のある小説です。言うなれば、文章のひとつひとつに身銭が切られています」(p.223)。

これはその「何か」を表すものであろうし、この「体感のある小説」を書くために必要なものこそが「フィジカルな力」であり、走り続ける(「続ける」というのが重要)というのは、比喩的な意味においてもそれを獲得し、発展させていくための方法の一つなのである。

「個」のサヴァイヴ、あるいは「フィジカルな力」から、ある言葉が浮かんでくる。それは「タフさ」である。

村上は「僕のようなタイプの作家」についてしか語ることはできないので一般化できないとしつつ、「職業小説家であるという一点に関して」、通低するものとは何かについてこう語る。

「一言で言えば、それは精神の「タフさ」ではないかと、僕は考えています。迷いをくぐり抜けたり、厳しい批判を浴びたり、親しい人に裏切られたり、思いもかけない失敗をしたり、あるときには自信を失ったり、あるときには自信を持ちすぎてしくじったり、とにかくありとあらゆる現実的な障害に遭遇しながらも、それでもなんとしても小説というものを書き続けようとする意志の堅固さです」(p.184)。

この「タフさ」は職業小説家に求められるものであると同時に、「個」が個としてサヴァイヴしていくのに必要なものでもあり、そのためには比喩的な意味での「フィジカル」を鍛えていかなければならない。「個」としての自立/自律はあくまで「個」内面に求められているのであり、それこそが社会と対峙する「フィジカルな力」へとつながっていく。しかしこれはマッチョイズムや社会ダーウィニズム的適者生存といったものとは異なる。
例えば日本の教育現場で起こっているような(と村上が考えている)「個」を磨り潰すようなことは、個々人がそれぞれ勝手に戦い、その結果として勝ち残ったものだけが生き残ればいいという社会ダーウィニズム的発想に立つのではなく、子どもたちがそのような暴力的な「制度」を出し抜く自分自身の「制度」を確保するために、「心のあり方=「個としての生き方」を理解し、評価する共同体の、あるいは家庭の後押しが必要になってきます」(p.211)としているように、子ども達、あるいは「個」が押し潰されようとしている人たちに向けてそのようなシェルターを築き上げ ていくことも、また「個」(あるいは大人)は責任として負っているのでもある。村上は小説を書くことによってロールモデルを提供したいと語っていたことがあるように、そのための方法の一つとして「物語」が、小説家が存在している。

村上は「職人的」な生き方やメンタリティへの共感というものをしばしばエッセイにいても小説においてもにじませているし、これはどのような環境にあろうがやるべきことをやる、その際にはとにかくベストを尽くす(これはハードボイルド的メンタリティでもある)という生き方への共感であり、また当人もそうしてきたという自負心もあるだろう。

衒いなく幾度か繰返される夏目漱石への好感にしても、村上が本書において小説家としてのアティチュードを非常に率直に語っていることは確かだろう。そしてまた本書の隠れたテーマは、村上春樹の作品はなぜこれほどまでに世界中で読まれているかについての自己分析でもあり、それを日本の読者に向けて語ったものでもあろう。


しかし、である。そうであればあるだけに、同時に読者はこの「率直」さに警戒感を持ってのぞむべきでもある。

一般論としても、自伝、あるいは創作者による自作解説は慎重に受け取るべきだ。とりわけ村上のように自作に対して比較的寡黙なタイプの作家が雄弁に語っているとすればなおさらだろう。

本書に収録されている京都大学で行われた河合隼雄についての講演で、村上は河合の本はユングの伝記一冊しか読んでいないし、ユングの本もきちんと読んだことはないとしている。
個人的には村上作品がそれほどユング的だとは思わないのだが、ユングと関連づけて語る論者もいる。ではこの村上発言によってユングからの影響というのは否定されべきことなのかといえばそうではないし、そうあってもならない。作者の言葉を決定打として特権化して作品を解釈することは控えねばならない。別に村上が嘘を言っているというのではなく(同時にその可能性も排除すべきではないが)、「物語」とはやはりそういった自己規定から逸脱していくものであるし、逸脱していくものでなければ優れた「物語」とはいえないだろう。

デビュー作『風の歌を聴け』について、村上は「「書いて楽しければそれでいいじゃないか」みたいな姿勢から始まっている」のであって、「その小説が思想的にどうかとか、社会的役割がどうかとか、前衛か後衛かとか、純文学かどうかとか、僕としてはまったく考えていません」としている(p.245)。まさに「気分が良くて何が悪い?」という姿勢であったが、それが徐々に変化してきたのが『羊をめぐる冒険』を書き出したころからだとしている。

確かに当時『風の歌を聴け』を熱狂的に迎えた人の多くが、これまでの日本文学とは異質の「気分の良さ」という開放感に惹かれたのであっただろう。では『風の歌を聴け』は「気分が良い」だけの作品だったのだろうか。こちらにも書いたように、『風の歌を聴け』は実際にはかなり直接的に戦争、それもアメリカとの戦争ではなく中国との戦争の記憶が響いている。村上が戦後生まれでこれが78年に書かれたものだと考えると、少々異様な印象を与えるほどに。

「気分が良くて何が悪い?」を修辞疑問として受け取ることは決して誤読ではない(いや、悪くない!)。しかしまた『風の歌を聴け』では「気分が良くて何が悪い?」が疑問文としても機能しているだろう(あの戦争は遠い過去の、自分とは関係のない出来事であったとしていいのだろうか)。
このどちらかが正解であるということではなく、解釈は開かれてなくてはならない。「作者の意図」がどこにあったにせよ、『風の歌を聴け』と、戦中の日本と戦後日本社会との連続性を描いたとするこのもできる『羊をめぐる冒険』の間には、それこそ断絶よりも連続性の方が目立っているという解釈は決して突飛なものではなく、テキストから根拠を持って導くことができる。


村上は「あとがき」において、なぜ実際にこの講演を行わなかったのかについて、「まずだいいちに、自分について、また自分が小説を書くという作業について、こんな風に正面から語ってしまうことがいささか気恥ずかしかったからだ」としている。それに続けて、「僕には、自分が書く小説についてあまり説明したくないという思いが、わりに強くある」と書いている。この二つのセンテンスにはズレがある。同じことをパラフレーズしているのではない。「自分が小説を書くという作業について」語ることと「自分が書く小説について」、「説明」することとはイコールではない。

村上春樹ファンにとっては確定的な事実として考えられていながら、村上が頑なに認めていないのが、『ノルウェイの森』のミドリのモデルが陽子夫人であるということだ。村上は本書でも、実在の人物をモデルにすることはあるが「それなりに用心深くみっちり作り変えているので、まわりの人にはたぶんわからないのだと思います。おそらく本人にも」(p.217)としている。またご丁寧にも『村上さんのところ』でもこのモデル説を否定している。ではこれをもってミドリのモデルは陽子夫人ではないのだとすべきかといえば、もちろんそうではない。もちろん小説のキャラクターのモデル問題というのは微妙なものであるし、ミドリ=陽子夫人だと等号で結んでしまうのもあまりにも短絡的だろう。ここで言いたいのは、作者の言葉はそれが本心から出たものであろうがなかろうが、特権化すべきではないといことだ。

「あとがき」にある「小説を書くことに関する、僕の見解の(今のところの)集大成みたいなものとして読んでいただければと思う」という言葉、これは職業的小説家としていかに考え、過ごしてきたかという姿勢という部分においては率直に語ったが(「小説を書くことに関する」という部分においては)、作品の解釈に関わる部分ではその限りではないし、そうすべきでもない、とすることもできる。
謙虚さというよりやや韜晦気味のようにも思える「あとがき」からは、当人がどう意図したかに関わらずそんなことを読みとることも可能であるし、本書をもって勇み足的に、小説家としての姿勢のみならず、作品解釈にまで敷衍しようとすることまでには慎重であらねばならないだろう。

いずれにせよ、村上春樹という小説家について肯定的であれ否定的であれ少しでも関心のある人にとっては、様々に興味深く読むことができるエッセイとなっていることは確かだ。


村上は漱石の『三四郎』の英訳に序文も書いている。





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