『ヒトラーとナチ・ドイツ』

石田勇治著 『ヒトラーとナチ・ドイツ』




「ドイツは、日本が近代化を遂げる過程で「模範」とした国でした。戦前の大日本帝国憲法はプロイセン=ドイツの憲法を参考にして作られたことは、よく知られている事実です。しかし、そのドイツがその後、二〇世紀になってどのような道をたどったか、詳しいことは、案外知られていないのではないでしょうか。/とくにヒトラーのようなレイシストが巨大な大衆運動のリーダーとなって首相にまで上りつめた経緯や、ヴァイマル共和国の議会制民主主義が葬り去られ、独裁体制が樹立された過程、さらにナチ時代のユダヤ人の追放政策が未曾有の国家的メガ犯罪=ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)へ帰着した展開は、ドイツ現代史・歴史学の枠をはるかに越えて、二一世紀を生きる私たちが一度は見つめるべき歴史的事象であるように思います」。

「おわりに」にこうあるように、ヒトラーとナチスの歴史はまさに「二一世紀を生きる私たちが一度は見つめるべき歴史的事象」であるだろうし、多くの人にとってそれは異論のないことだろう。しかしまたこれも触れられているように、「詳しいことは、案外知られていない」というのも現実でもあろう。歴史の教訓を現在にも活かすべきだという「善意」からドイツ近現代史に言及している人が、うろ覚えの怪しげな、あるいは全くの事実誤認に基づく前提によって議論を進めてしまっているという例も少なからず見かける。

本書は入門編としては幅広いテーマが取り上げられており(もちろんナチについてはいくらでも論点があるので網羅的とまではいかないが、これはやむを得ないことであろう)、二十世紀半ばまでのドイツに何が起こっていたのかの流れを確認するには十分であろうし、印象論で語る前に、ヒトラーやナチスについて知識を得たいという人がまず手にとってみるべき一冊になっている。

ヒトラーの生い立ちから第一次大戦での従軍体験、思想形成、ナチスへとつながる極右政党の結成と内部での勢力争い、その中でヒトラーがその地歩を固め、ついには権力の頂点に上りつめ、その結果として起こった数々の蛮行、そして自殺まで、ヒトラーとナチ・ドイツを考えるうえで必須のテーマが概観されている。もっと掘り下げて欲しかった部分や取り上げられていない出来事などもあるが、こういったものはそれ一つだけで一冊分になってしまうので紙数の関係でやむをえないところだろう。


よく言われるのが、「ヒトラーは選挙で首相になった」「ナチ党は世論の支持を得て政権に就いた」といったことだが、「この説明は一面では正しいが、ヒトラー政権がなぜ成立したのかという問いへの答えとしては十分とはいえない」。
躍進を続けていたナチ党だが、実は32年7月の国会選挙で第一党になった後は「党勢が伸び悩み」、同年11月の選挙では200万票余りを失うという「下降局面」に入っていたのであった。
ではなぜヒトラーが首相になったのか。それはヒンデンブルク大統領が首相に任命したからであった。ヒトラー政権は発足時には「伝統的な保守政党」である国家人民党とナチ党との連立であり、しかも両党合わせても「国会に多数派の基盤のない「少数派政権」であった」。

ヒンデンブルクはなぜヒトラーを首相に任命したのか、国家人民党はなぜ連立を組んだのか、といったことを考えるにはドイツの保守勢力について知らねばならないし、ヒトラーが権力を掌握した後に「国民の大半がヒトラーの息をのむ政治弾圧に当惑しながらも、「非常時に多少の自由が制限されるのはやむを得ない」とあきらめ、事態を容認するか、それから目をそらした」という心理状態となったのも、当時のドイツの政治的、社会的雰囲気をふまえなければならないだろう。

ヒトラーが短期間に絶対的な権力を掌握し得たのはヴァイマル共和国憲とその政治体制の抱えていた弱点によるものでもあり、そこを突いたのは何もヒトラーが最初というわけではなく、常態化していたからこそ危機に対する感覚が麻痺してしまっていたという面もあるだろう。
ヒトラーという特異なパーソナリティを持つ人物がいたからナチ党が権力を奪取し、それを絶対化することができたことは間違いないのだろうが、彼個人によってのみ可能であったとすることはできない。

第一次大戦の敗北による被害者意識に訴えかける失われたドイツを「取り戻す」という威勢のよさ、権力掌握後は外交に配慮して「平和」を唱え、反対勢力に対して激しい弾圧を行いながら「国民的和解」を呼びかけるといった言動は、批判的思考を働かせれば矛盾極まりないものであることは明白である。にも関わらず、それを積極的にであれ消極的にであれ多数派のドイツ人はそれを受け入れてしまったし、それを受け入れさせたのはヒトラー個人の資質のみに依るのではなく、ドイツ人のメンタリティや当時のドイツの置かれていた状況があってのことであるが、これはあの時代のドイツのみに起こりえたことではなく、ある一定の条件を満たせばどの国・社会でも起こりうることでもあろう。一度回り始めた歯車を止めることは容易ではなく、大衆からエスタブリッシュメント、各分野のエリートまでがむしろ歯車を進んで廻し始め、「文明国」であったはずのドイツにおいて、わずか数年で信じ難い蛮行を組織的に行うことを可能にしてしまったのである。


「「ヒトラーとナチ・ドイツ」の歴史は、これに真摯に向き合うことで、現在と、そして未来のための教訓をたくさん導き出すことの歴史」であるし、日本の現状を考えるとこの思いはいっそうのものとなる。そうであるからなおのこと、教訓を得るためにまずはきちんとした知識を得ることから始めなければならない。そのために大いに力になってくれるのが本書であろう。



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佐藤太郎(仮)

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