『氷』

ウラジミール・ソローキン著 『氷』




二人の男が縛られ、氷のハンマーで胸部を強く殴られる。加害者の三人は何かを待っている。「空っぽ」の男は死んでいくにまかされる。そしてもう一人の男の方は、その心臓が語り始める。彼らはこれを待っていたのだ。被害者も加害者もいずれも金髪碧眼だった。


いかにもソローキンといった奇想から物語は始まる。第一部では金髪碧眼揃いの謎の「兄弟団」が氷のハンマーを使って、年齢も性別も社会的地位も様々な金髪碧眼の男女の中から心臓が語る人物を探す模様が描かれる。

第二部では時間を遡り、第二次大戦中から「兄弟団」がいかに生まれたのかが語られる。ソ連の田舎の村をナチス・ドイツが占領し、退却時に12歳の、金髪碧眼の少女は収容所に送られる。そしてそこで氷のハンマーによって……

金髪碧眼によって象徴される人種主義、ナチス・ドイツにツングースカ大爆発、ベリヤをはじめとするソ連秘密警察の暗躍と、オカルト的雰囲気が濃密に漂う。『氷』は2002年に発表されているが、邦訳の出た2015年に読むと、このような作品のオカルト性とロシアの現状というものを重ね合わせての予言性というものに注目してしまう。

訳者あとがきに引用されているインタビューによると、ソローキン自身は「『氷』は現代の主知主義に対する幻滅への反応だとし、「根源的なもの、直接的なものへの郷愁」を感じており、「直接性」という「失われた楽園への郷愁」があるとしている。
「『氷』は全体主義の小説ではなく、失われた魂の楽園探しの小説なのです」。

この作者の言葉をどこまで真に受けていいのだろうか。すでに述べたように、本作は「全体主義」を描いたものだと受け取るほうが普通の反応だろう。一方で、ソローキンは本作を含む「氷三部作」によって「トルストイばりの巨大な長編〔ロマン〕」を生みだした。ソローキンは「長編の死」を宣告した前衛的な作家であったが、こういった点では「氷三部作」が「失われた魂の楽園探し」であることも間違いないのであろう。ただロシアで、あるいは日本を含む世界の少なからぬ地域の状況を考えると、やはり「全体主義の作品」という色彩が濃いように読者には受け取られるかもしれないし、またそういったことを恐れないことこそが「長編」の再生ということでもあるのかもしれない。ソ連/ロシア近現代史を作品に取り込むという点は本作に限ったことではないが、幅の広い読みの可能性を提供するとともに限定された読まれ方もまた引き受けるということでもあるのだろう。


「氷三部作」のうち本作は物語としては二番目に位置するが、邦訳では執筆順に刊行していくためにまず『氷』が最初に刊行されたとのことである。『氷』のみを独立した長編小説として読むことができるので、まずは本作から手にしてもとまどうことはないし、また三部作全てが刊行された時に、どんあ「長編」が顔をのぞかせるのかも楽しみである。

訳者あとがきによると、ソローキンは『氷』を東京外語大で教鞭を取るために日本に滞在していた2000年の夏に起こったある出来事から着想を得たのだという。ソローキンを招聘したのは『愛』の訳者でもある亀山郁夫であった。『氷』のなかに、ある人物の「サムソーノフ、エンクヴィスト、カメヤマの発見は、単にノーベル賞や国際評価に値するだけのものではありません」(p.327)という証言があるが、これはこのことへの目配せなのだろう。



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