プリンス片岡

イギリス滞在中に南方熊楠が大英博物館の図書館に通いつめ、そこで得た膨大な知識を『ネイチャー』等の雑誌への寄稿に活かし、またここで二度に渡る喧嘩沙汰を引き起こして「追放」されたというのは有名なエピソードだろう。では留学生とはいっても大学などに所属していたわけではない熊楠はどうやって入館できるようになったのだろうか。唐澤太輔著『南方熊楠』を読んでいたらその経緯について触れた箇所があった。

文学博士、英国学士院名誉会員、英国古美術協会会長、王立美術院名誉会員、バス勲章受爵士と、錚々たる肩書きを持つ名士であるフランクスと熊楠は知合う。

「熊楠にフランクスを紹介したのは、片岡政行(一八六三?~?年)という人物だった。英国が誇るこの名士を知っているくらいだから、、片岡もさぞ名のある人物であろうと考えるのが普通だが、実はこの男、詐欺師であった。英国で自ら「プリンス片岡」と名乗り、日本の華族や皇族を装い、さらには海軍大佐を意味するキャプテンの称号を用いていた。また片岡は、日本美術の専門家を自称し、日本の安価な骨董・古美術品を英国で高価で売りさばき、大金を得ていた。富裕なイギリス人の未亡人から亡き夫の遺産を奪いとるなどの悪事も働いている。しかし、英国において、外国人である片岡がこれだけの悪事を働けたということは、彼がそれだけ英語、そして英国事情に通暁していたということでもある。/詐欺師の鼻は鋭い。同じ日本人である熊楠の論考が『ネイチャー』に掲載されることに、何かしら美味しい匂いを嗅ぎつけたのであろう。英国を中心に活躍し、すでに熊楠と知合いになっていた美津田滝次郎(一八四九?~?年)という軽業師(曲芸師)の家で、熊楠と片岡は知り合った。熊楠によると、片岡の「得意」にはフランクスもいたようだ。このような縁から、片岡は熊楠を知り合いのフランクスに紹介した」(pp.102-103)。

「当時、大英博物館の日本・中国などのコレクションは、未整理の状態」で、フランクスは熊楠の膨大な知識が役に立つと判断して古美術・古遺物の仕事を手伝わせるようになり、こうして熊楠は大英博物館及び図書館へ入館できるようになった。

それにしても気になるのは「プリンス片岡」こと片岡政行という人物だ。引用にあるように没年が不明となっているということは晩年の足取りなどはわかっていないのだろう。偽王族というのは洋の東西を問わず詐欺師の常套手段であるが、しかしこういった話を聞くたびになぜこんなことに騙されるのだろうかという疑問も湧いてくる。逆にいえばそれだけ口八丁手八丁の人物しかこういった詐欺師として成功することはないのだろう。「英国において、外国人である片岡がこれだけの悪事を働けたということは、彼がそれだけ英語、そして英国事情に通暁していた」とあるように、その才能を別の道に活かせばまっとうに成功することもできたのだろうが、そうはできないのも詐欺師の宿命なのかもしれない。

片岡の生涯についてはこれから何らかの資料が発掘されるというのは難しいのかもしれないが、小説などのネタとしては使えるかもしれない。「キャプテン」を名乗っていたということから『クヒオ大佐』のインターナショナル版として映画化しても面白くなるかもしれない。こちらも没年不明になっている軽業師、美津田滝次郎もなかなか気になる存在でもある。




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Author:佐藤太郎(仮)
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