『ナポレオンに背いた「黒い将軍」』

トム・リース著 『ナポレオンに背いた「黒い将軍」  忘れられた英雄アレックス・デュマ』




『モンテ・クリスト伯』や『三銃士』で知られるデュマ・ペール(父)ことアレクサンドル・デュマ。デュマ・フィス(息子)と呼ばれるその同名の息子は『椿姫』を書いた。このフランス文学史に燦然と輝く作家の父子に「黒人」の血が入っていることは有名だろう。デュマ・ペールはその自叙伝で、200ページ以上に渡って父について書いている。

著者がアレックス・デュマに興味を覚えたのもこの自叙伝を通してだった。しかしアレックス・ディユマの生涯は一般にはそれほど広く知られていないかもしれない。そればかりか、フランスでもまさに忘れられた存在となっており、文字通りの意味で金庫をこじあけるなどして貴重な資料を渉猟してこの伝記は書かれた。


18世紀のフランスは、相次ぐ戦争や浪費により国庫は空になろうとしていた。貴族たちも生活は楽ではなく、左団扇で安楽に生きていくことはできなかった。公爵パイユトリー家の長男で跡取り息子のアントワーヌも同様だった。アントワーヌは砲兵隊に少尉として任官しポーランド継承戦争に参加するが、味方同士の決闘(当時はありふれたものだった)に出くわすなどしたためか、軍務を離れることにする。弟のシャルルはその間フランスの植民地であるサン=ドマング(現在のハイチ)に砂糖プランテーションを開いていた。アントワーヌは弟のプランテーションに身を寄せるが、この兄弟は折り合いが悪く、兄弟喧嘩がついに身の危険を感じるほどにまでエスカレートしていった。

アントワーヌは奴隷三人を連れてプランテーションを脱出、シャルルは探偵を雇って兄の跡を追わせたが、当時は緑豊かだったハイチの高地に様々な理由で逃亡した白人や逃亡奴隷が逃げ込むと、手出しはできなかった。アレックスは天然の要塞のような高地の共同体でコーヒー栽培などを行うことにした。連れて行った奴隷の女性が高齢になると彼女を解放し、別の若く美しい女性を奴隷として購入し、その女性に三人の子どもを産ませた。

1775年、60歳がらみの男がフランスにやって来た。この男こそ長らく行方不明とされていたパイユトリー家の相続人だった。宿敵シャルルはすでに死亡しており、彼は訴訟を武器に財産を手にする。アントワーヌは帰国費用を捻出するために三人の子どもを奴隷として売却していた。ただし一人だけ、お気に入りの息子アレックスにだけは買い戻し特約をつけていた。こうして褐色の肌と縮れた毛を持つアレックスはフランスへ向かうことになる。

アレックスはすでに十代半ばになっていたが、遅ればせながら貴族としての教育を受け始める。アレックスにとって幸いだったのは、啓蒙思想の中心地フランスはイギリスやアメリカに先駆けて奴隷制度廃止運動が盛り上がり、それにより人種差別も軽減されていたことだった。フランスの黒人は「アメリカ人」と呼ばれていたが、その肌の色を美しいと受け止める人も増えていた。

アレックスは、若い女性を妻に迎え放蕩生活を送る父アントワーヌとは不仲になっていく。アレックスは家を出るため軍務に就くことにする。それも士官としてではなく一兵卒として。アントワーヌは家名を汚すことは許さないと申し渡すと、アレックスはパイユトリーの名を捨てアレックス・デュマと名乗るようになる。間もなくアントワーヌは死に、後には借金だけが残され、若い妻は路頭に迷うことになった。


時代は風雲急を告げていた。時恰もフランス革命。軍人として抜群の資質に恵まれ、次々と武勲をあげるアレックスは瞬く間に出世していく。彼は上司には臆することなく意見しては疎まれ、部下からは厚い信頼を寄せられるようになる。これがナポレオンの猜疑と嫉妬を招くことになるのは時間の問題だったろう。

ナポレオンの行った戦争の中でも屈指の失敗がエジプト遠征だった。戦局が泥沼状態に陥るとナポレオンは秘かに帰国し、取り残された軍人たちは自ら帰国への道を切り開かねばならなかった。アレックスも民間船をチャーターしてエジプトを脱出するが、ナポリ王国のタラントに流れ着き、ここで二年以上の捕虜生活を送ることになる。

苦労の末ようやくフランスに帰るが、この間の変化にはまるでワシントン・アーヴィングのリップ・ヴァン・ウィンクルのような気持ちだったのかもしれない。ただし「リップ・ヴァン・ウィンクルの場合、革命が起きて国王がいなくなっていたが、デュマの場合、革命が終わって国王のようなものが登場していた。そしてそれは、彼がエジプトで決別し、置いてきた国王だった」。
フランス社会も変化した。「革命時には“アメリカ人”としてもてはやされた黒人と混血の兵士は、今度は“アフリカ人”としてさげすまれ」るようになった。フランスは再び奴隷所有を認める国になってしまった。1802年、妻のマリー=ルイーズは三人目の末の息子を産んだ。「アレックス・デュマは人生最後の四年間を、この幼いアレクサンドル・デュマから片時も離れずに過ごした」。「だが、息子の誕生の喜びの最中にも、デュマ将軍は地位が格下げになったことを忘れられなかった」。
アレクサンドル・デュマは周囲の配慮から父の死の臨終に立ち会うことはなかったが、父の死の瞬間を幻視し、その強烈な体験を自叙伝に記している。


アレックス・デュマの生涯はなんだかアレクサンドル・デュマの小説の出来事であるかのように思えてしまうが、それもそのはずとすべきか、著者はアレクサンドル・デュマはその作品において父の経験を使ったとしている。無念の思いを抱えたまま命を落とした父を顕彰する目的もそこにあったことだろう。


トム・リースは1964年生まれの歴史学者・伝記作家であり、本書の著者略歴によるとハーヴァード大学を「卒業後日本に一年間滞在、ロックバンドを結成、ヤクザ映画に出演した経験もある」とのこと。
また謝辞にはこんな箇所もある。「ずばぬけて優秀なアヴェンチュリナ・キングは、中国に渡ってテレビ司会者、ポップス歌手、そして映画女優になるまでのあいだ、世界一のアシスタントだった」。
伝記作家のアシスタントからいかなる経緯で中国のテレビ司会者、ポップス歌手、映画女優になったのかは不明だが、リースの経験にしろキングの経験にしろ、このあたりについて本を書いても面白いかもしれない。




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佐藤太郎(仮)

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