山川均とコカイン

『マルクスを日本で育てた人  評伝山川均』(石河康国著)を読んでいたらこんな箇所があった。

「しかし体調は相かわらずすぐれなかったらしく、薬の購入依頼はたびたびである。睡眠薬の常用や長時間の動悸がはじまったことまども菊栄につたえている。菊栄宛に「コカインは何時頃だったか、もう忘れるほど前からちっとも使っていない」(三〇年二月二五日)とある。山川はコカインをしませた麺棒を鼻につっこむのが癖で、「山川のエントツ掃除」として有名だった」(Ⅰ p.236)。

平野威馬雄の『陰者の告白』を読めばわかるように、当時コカインは処方箋があれば薬局で合法的に購入することができたのである。
何を持って麻薬とするかは時代や社会、文化、環境に左右される。フロイトが一時コカインを魔法の薬だと思って自分で使用するばかりか周囲にも勧めていたことがあったし、日本ではヒロポン(つまり覚せい剤)が合法的に出回っていたこ。またサルトルも覚せい剤の錠剤をポリポリとかじりながら(だっけ?)『存在と無』を書いたという逸話もある。今から数十年後には「昔の人ってタバコを公然と吸っていたの?」とか、「マリファナが違法薬物扱いされてたなんて信じられない」なんてことになっているのかもしれない。

ちなみに山川は薬局を経営した経験もあるので薬の知識は豊富で、「いろいろの薬を副作用なく制御して使いこなせたと思われる」とのことで、平野のように壮絶な中毒体験はしていないのだろうが、山川が1930年ごろにコカインをキメて文章を書いていたとしたら、と想像力を膨らましてみたくならないこともない。


現在から見れば山川に様々な限界があることも確かだろうが、現在読んでもその鋭さにうならされることも多い。山川の慧眼ぶりを示すものとしては、1932年のこんな分析がある。

2月の「衆議院予算審議で、失言をめぐり審議が長くストップした」。これは「議会制度そのものに対する疑惑と論議をひきおこし」、「『自ら墓穴を掘る議会』『ブルジョワ議会政治の末路』等々の言葉が、今日ほど公然とあらゆる新聞雑誌に現れたことはない」という状態だった。
山川はこれを、無産政党が議会で有力な勢力となっておらず、政友会と民政党という同じ階級基盤の内部の泥仕合であり、何も問題を解決できずに「政治の無能を暴露」するだけで、「いっさいの救いの希望がなくなった時にメシヤを待ち望むように、議会政治の与え得ぬものを、人々は、いっそう力強い政治に求めようとする」と、「議会政治の不信からファシズムが生まれうる条件に注意をうながした」(Ⅰ p.241)。
このあたりは現在読んでもなかなかの観察眼である。しかし皮肉なことに、この後山川が期待をかけていたはずの政治家のうち少なからぬ面々が軍部に接近していく道を選ぶことになってしまうのである。


またこんな点にも注目できた。山川菊栄の自伝『おんな二代の記』には、敗戦間際に岡山に疎開をする話がある。息子振作の妻が妊娠中であり、相模湾に米軍が上陸するという噂もあったことから振作に説き伏せられたというのである。この話にはどこか釈然としないものを感じていたのだが、本書でどういうことだったのかがわかった。

関東大震災後の混乱状態のうちに山川一家とも親しかった大杉栄、伊藤野枝らが憲兵甘粕正彦らに虐殺された。『おんな二代の記』にもあるように、山川一家も同じ運命をたどっていた可能性が大いにあった。振作が敗戦間際におそれていたのはまさにこれであった。「私には父にも母にも言わない心配が生じた。それはこういう戦局になったとき両親にとって恐るべきは連合国より前に日本政府特に日本軍である。……政府や軍が、山川均や菊栄を上陸まで無事におくはずがない。しかしこういう理由で避難をすすめても、父は絶対に承知しない、『僕は動かんよ、見物するよ』というだろう。私は一世一代のうそをついて両親を政治的にも軍事的にも意味のなさそうな岡山の山地に行くように頼んだ。口実は私の妻がその秋に出産の予定だったので安全なところに連れて行って欲しいというのであった」(Ⅱ p.91)。

振作の不安も無理のないことであったろうし、こういうことだったら納得なのだが、均や菊栄はこのことをわかっていたのか、あるいはいつ知ったのだろうか。


菊栄の『おんな二代の記』には鶉園を始めた山川夫妻の様子も描かれていて、本書にはそこに登場した映画にも出演した芸達者なカラスのアー公や学者犬マルの写真も収録されている。
山川はアー公を大変可愛がり、石堂清倫は執筆が難しくなっていた山川に『からす』を書かせた。
内容的には問題がなかったのだろうが、山川著ということで発禁になってしまう。菊栄が日本評論者に印税を取りに現れた。普通発禁になった本の印税の支払いは渋るのであるが、生活苦に陥っていることを窺わせるように菊栄のストッキングが両脚とも穴が開いており、このことを石堂が担当に伝えると、同情してすぐに払ったそうだ。このあたりは石堂の『わが異端の昭和史』に描かれているという。

この『からす』は意外な人物が高く評価した。それは山川の論敵であった、「福本イズム」の福本和夫である。「私が山川さんの数多くの著作中、もっとも興味をひかれて感銘深く読んだのは、この本であった」としている。福本はこれに影響されたのか、戦後『唯物論者のみた梟』という本を書き、山川に献呈したとのことである(『革命家裸像』)。




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Author:佐藤太郎(仮)
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