『脱構築とプラグマティズム』

シャンタル・ムフ編『脱構築とプラグマティズム』




「脱構築」と「プラグマティズム」、水と油のようにも思える両者だが架橋することも可能ではないのか。
1993年に行われたシンポジウムの記録である。

前にも書いたけどロールズ的な自由主義福祉国家を支持する者であります。
そしてロールズを(強引に?)継承しようとしたリベラルとアイロニーをキーワードにするローティの立場というのは結構しっくりくることが多くもあります。
本書では脱構築とプラグマティズムとのかみ合う部分とかみ合わない部分とが明らかになっていきます。

構成としてはローティーの発表、クリッチリーとラクラウの発表とそれぞれへのローティの反応。そして最後にデリダ登場となります。

シャンタル・ムフは序文的な一章でデリダとローティは共にに哲学の基礎づけ主義への拒否という見方を取っているとしている。

クリッチリーはローティの立場をこう説明する。

ローティにとってリベラルとは、残酷な行為こそあらゆるもののうちで最悪だと信じている人である。(中略)『偶然性・アイロニー・連帯』のヒロインはリベラルなアイロニストという、社会正義に深い関心を寄せて残酷な行為を忌み嫌うが、正義に対する自分の関心にはなんらの形而上学的根拠もないことを認めている人物である。(p.39)

ローティー自身は「倫理や政治は陳腐で身近な言葉で議論されるべき 」(p.31)としており、ここなんぞまさにデリダと対極にあるように思えるかもしれません。
しかしローティは同時にデリダを評価しており、一方で、特に英語圏におけるデリダ受容の仕方は批判してもいます。
またデリダを全肯定しているわけではなく、その思想が、とりわけレヴィナスに取り組む時などは否定的となります。

レヴィナスの無限者へのパトスは急進的、革新的な政治とは馬が合うが、改良主義的、民主主義的な政治とは合わない―しかし私は、この改良主義的、民主主義的な政治こそがイギリスやフランスや合衆国のような豊かな立憲民主制に必要な唯一の政治だと考えている。(pp.31-32)

一方でクリッチリーはプラグマティズムが陥りがちな保守主義ともなりかねないものからの脱却点としてはデリダのレヴィナス読解などが有効ではとも指摘する。
しかしローティはこの見方にはつれないのだが。

クリッチリーはまたデリダの『法の力』から有名な箇所を引用する。孫引くだが。

「正義それ自体というものが存在するとすれば、それは法の外部または法の彼方に存在する以上、正義それ自体は脱構築できない。脱構築それ自体というものが存在するとしても、それが脱構築できないのと同様だ。脱構築は正義なのである」(p.65)

そしてこうまとめている。

ローティとデューイーが似たような公的、政治的抱負を共有しているならば、なぜローティはデリダを強力な政治的味方とみなすことができないのだろうか。(p.70)

ローティの立場を雑にまとめると現実を変えるのに役に立たない理論を公の領域で弄ぶことなかれ、となるでしょう。一方でクリッチーやラクラウはローティが受け入れていないデリダの部分も役に立たないと決めつけるべきではないのでは、となります。
僕にとっては本書の中ではローティがいささか頑ななようにも思えてしまったのですが。

なぜそう思うのか、デリダを引用してみましょう。

私の言う「メシア性」の意味についてここで少し説明しておく必要があります。
 これは安易にユダヤ・キリスト教的またはイスラム的な言葉に翻訳できるようなメシアニズムの問題ではありません。(中略)語ることと行為とが同時に起こる約束という次元を含んでいない言葉はありません。約束では口を開いた瞬間にもう約束したことになります。(中略)たとえ守られなくても、たとえ守られないことがわかっていても、なされるのが約束であり、約束であるかぎりメシア的なものなのであります。この観点からみると、解放というモチーフやメシア的なものを放棄した場合に、どうして倫理の問題を立てることができるのか私にはわかりません。解放は今日では再び大きな問題になっており、解放という大きな言説についてアイロニカルである人々は―その人が脱構築論者であろうとなかろうと―許せないと言わずにおれません。
(p.158)

ローティが彼の論文の終わりのほうで、レヴィナスが私の著作の盲点であると書いたときに、彼が言おうとしたように、無限性という概念に見切りをつけることはできないと思います。レヴィナスのためにも私自身のためにも、責任の無限性を捨てれば、責任は存在しないと私は言いたい。(p.166)

ここらへんは後期デリダのいい入門ともなっているようにも思います。

僕の立場を簡単に述べるなら、空論を並べて現実の課題に現実的に対応できないのは非常にまずい。一方で「理想」というものを捨てれば、それは実は現実に向かい合っていないことになり、結局は現実を動かす力を失ってしまうことになるのでは、というあたりでしょうか。
ここいらを考えるいい手がかりになる本だとも思います。






プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR