『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したのか』

トマス・パワーズ著 『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したのか  連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルグの闘い』





第二次大戦末期、最も恐れらていた事態はナチス・ドイツがアメリカに先駆けて原爆を完成させることだった。これは根拠のない被害妄想ではなかった。「ドイツではすでに核分裂が発見されていたし、ヨーロッパにある唯一のウラン鉱はドイツの支配下にあった。さらに一九四〇年五月にはノルウェーにある世界でたった一つの重水プラントがドイツ軍の手に落ちていたのである」。

そして何よりも、誰もが天才と認める世界屈指の物理学者、ウェルナー・ハイゼンベルクが、友人たちによるアメリカ等へ亡命するようにという再三に渡る懇願にも関わらず、ヒトラー政権下のドイツに残る選択をしていた。ハイゼンベルクを中心に核兵器の開発が行われているのだとすれば、脅威はさらに高まる。「開戦時には、ドイツに有利な条件がすべてそろっていた。有能な化学者、豊富な資源、軍部の支持と関心」があった。

アルゾス調査団の責任者であるオランダ人のサムエル・ハウトスミットは戦前からハイゼンベルクと友人だった。それだけに危機感も強かったが、終戦後、調査のためドイツに入ったハウトスミットは呆れることになる。ドイツには原爆製造計画はなく、小規模な各研究プログラムがあるだけで、核分裂の連鎖反応を起こす実験は失敗を繰返していた。あまりにお粗末な初歩的な原子炉を目にすると、失敗の原因を説明するのに窮するほどだった。

連合国はハイゼンベルクの頭脳を買いかぶりすぎていた、ハウトスミットはそう結論を出した。しかしハイゼンベルクはそれとは異なる話をすることになる。彼はナチスの手に原爆が渡らないように、意図的に失敗を繰返していたというのだ。ハイゼンベルクは戦後、一時は雄弁に自己弁護を試みるが、次第にナチス時代について口を閉ざすようになり、大きな謎として残ることになる。その真相はどこにあったのか。


「ハイゼンベルクはただ遠慮して、計画がだめになるのを座視していたわけではなかった。彼自身が計画をつぶしたのである」、本書はそう結論づけられる。しかし本書を読み終えてもすっきりとした印象が得られることはないかもしれない。ハイゼンベルクという人物はどうも捉えどころがない。

ドイツで反ユダヤ主義の蔓延が本格化すると、アインシュタインの理論などを「ユダヤ物理学」と呼び、それとは別に「ドイツ物理学」を主張する学者が現れるなど、その波はドイツ物理学会にも及んだ。しかしハイゼンベルクはこのような反ユダヤ主義に染まることは決してなかった。そして彼はナチスに入党することもなかった。

友人の中には、ハイゼンベルクは反ナチだと一貫して信じていた人もいる。一方で、戦争が避けられないことが確実となったにもかかわらず、亡命の最後の機会にもハイゼンベルクはそれを拒否し、ドイツに残ることを選択する。このことなどからハイゼンベルクを親ナチだと考えた人もいた。

ハイゼンベルクはいくつかの言い訳をしている。自分がアメリカなどの大学でポストを得れば、その分ユダヤ人学者のポストが減ってしまうではないか。確かにアメリカなどの大学のポストの問題はドイツのユダヤ人学者にとっては切実な問題だった。ハイゼンベルクの主張は必ずしも根拠のないものではない。また自分がドイツに残り、有力な地位にい続けることで、苦境に陥った人々を救うことができる、ともしていた。この言葉も嘘ではなく、実際に幾人かの危機を救っている。とはいえ、すでに暴虐さを露にしていたナチスから逃れることが十分にできたにも関わらず、あえてドイツに残ったということには疑念を引き起こさずにはいられない。そればかりか、大戦末期になっても訪問先のスイスでソ連の脅威を訴え、ドイツを擁護し続けた。ヒトラー政府を支援していると批判されると、「私はナチ党員ではなく、ドイツ人です」と反論した。

ある人物はハイゼンベルクはナチではないかもしれないが度し難いほどの民族主義者だと評している。おそらくはこのあたりが実態に即していたのだろう。第二次大戦勃発後、戦況を優位に進めるドイツにハイゼンベルクはご機嫌で、ナチを嫌う友人から顰蹙を買った。ヒトラーを蔑み、ナチを嫌いながらも戦争の勝利を願う、これはドイツ保守層に少なからず見られた現象であり、ハイゼンベルクもその一員であったのだろう。
戦争を経て、久々にハイゼンベルクと再会したハウトスミットは「アメリカに来て、われわれといっしょに研究したいと思わないか」と訊ねた。ハイゼンベルクは「いや、私はこの国を離れたくない。ドイツは私を必要としている」と答えた。「これは、戦争が始まる前にハイゼンベルクが口にしたのと同じ言葉だった」。

また原爆開発についても、その真意は判然としないところもある。ハイゼンベルクからすれば、もし自分が核兵器製造を拒否すれば別の人間が代わりにそのポストの納まることになる、ならばあえてそれを引き受けつつ、サボタージュしたほうがヒトラーが原爆を手にする可能性が低くなる、ということになる。一方でこれを、核兵器に関しての自分の知識不足を糊塗しようとしているに過ぎないと見る人もいる。
核兵器の開発は理論上は可能であるが開発には長い時間を必要とするので今回の戦争には間に合わない、ハイゼンベルクは軍にそう説明していたし、実際に本腰を入れて開発に乗り出しても、数年間で当時のドイツが原爆を完成できた可能性は極めて低かっただろう。本当にサボタージュであったのか、実現不可能であると判断したため本気になれなかったのか、本書を読み終えても、ハイゼンベルクが何を語ろうが、あるいは沈黙しようが、全ては両義性の中に沈み込んでいくようにも思えてしまう。


原題はHeisenberg's Warであるが、邦訳で上下合わせて千ページに迫ろうかという大部である本書は、ハイゼンベルクの戦争のみを扱っているのではなく連合国側の動きも詳述されており、邦題のほうが内容をよく表しているかもしれない。

様々な学者や軍人、スパイのエピソードがあり、有名なものから本書で初めて知ったものまであった。比較的有名であろうが、一番面白く(少々不謹慎な言い方だが、やはり面白いのである)読めたのが、元レッドソックスの捕手にして多言語を操る言語の天才、モー・バーグに与えられたある作戦だ。バーグといえば日本では1934年にメジャーリーガーとして来日した際に東京の街並みを撮影したというあの人物として有名だろう。

OSSのスパイであるバーグは1944年12月中立国スイスに送られる。ここでハイゼンベルクの講演会が行われるのだ。バーグは、ハイゼンベルクが原爆の開発を進めていてその完成が近いことを臭わせたなら、その場で彼を射殺するよう命じられていた。世界を救うためとはいえ、やはり面と向かって人を殺すというのは並大抵のことではない。さらには、公衆の面前で重要人物の殺害を公然と行えば、バーグが生きて戻ることができないのも確実だ。

バーグは博識で他言語に通じていたがドイツ語はそれほど得意ではなく、おまけに付け焼刃の物理学の知識は高度な講演を繰り広げるハイゼンベルクの前ではまるで役に立たなかった。ハイゼンベルクの講演のテーマは「S行列論」で、「原爆とは何の関係もない抽象的なものだった」。「バーグには、ハイゼンベルクが何を話しているのかさっぱりわからなかったのだ。バーグは、何をどうやって決断したらよいのか、頭の中が混乱してきた」。バーグはハイゼンベルクを撃たずに立ち去った。

バーグはもとからその奇人っぷりは有名であったが、あるいはこの出来事はそれにさらに拍車をかけたのかもしれない。バーグは死を迎えるその日まで、この日の出来事を繰り返し思い出すことになる。ハイゼンベルクは晩年にバーグに関する本を読み、あの日自分があやうく命を落とすところだったということを知ることになるが、彼は驚くとともに殺害計画の出所が不明だったことから「とんでもない冗談だと一笑に付した」。
実際には、当時ハウトスミットはハイゼンベルクが無害だということを知る由も無く、むしろ危機感を強めていた。ハウトスミットはイギリス軍にハイゼンベルク誘拐計画に関心を向けさせようとし、一時は自らがスイスに赴く計画まで立てていた。ハウトスミットは特殊任務を帯びてスイスに向かうバーグにくわしい説明をしなかったが、バーグは「ハイゼンベルクを無力にさせなければならな」いと考えた。戦後再会した後、ハウトスミットはこのことについて沈黙することを選んだ。

バーグのこの作戦の部分だけでも映画にはうってつけの逸話のようにも思えるが、エンディングは派手な見せ場ではなく地味なものになってしまうだけに難しいのかもしれない。


なお、なぜ今この本を手にしたのかといえば、『ブレイキング・バッド』でウォルターが名乗る「ハイゼンベルグ」はこのハイゼンベルクに由来しているためであったが、実際のハイゼンベルクが単に天才物理学者というだけでなく、どこか掴みどころのないその生涯というのも合わせて考えると、これはなかなか意味深な見事な設定だということも確認できる。


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佐藤太郎(仮)

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