『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』

山田宏一著『ゴダール、わがアンナ・カリーヌ時代』




この「わが」というのはゴダールを指すものであり同時に山田氏、そして読者をも指すものであろう。
構成は1997年のアンナ・カリーナのインタビューとゴダール小伝、そして『勝手にしやがれ』から『ウィークエンド』までのゴダールの「アンナ・カリーナ時代」の作品の解説。そしてこのほぼ全ての作品で撮影を担当したラウル・クタールへの1997年のインタビュー。

ヌーヴェルバーグとは何か、と訊かれたなら、僕はそれを瑞々しさと答える。
そして本書を含む山田氏のこの時代を扱った著作はこの瑞々しさというものを見事に再現している。
もちろん山田氏が直接にヌーヴェルバーグ勢と知り合いであるということも大きいだろう。
本書には山田氏が個人的に撮ったアンナ・カリーヌと『アルファヴィル』の撮影風景のスナップが収められている。

それだけにある種の苦さとしてゴダールの商業映画からの離脱という事実が残るのだが。
この点については本書に引用されているベルトリッチのインタビューがわかりやすい。

一九六〇年代のゴダールは現実と直接、生に結びついていました。しかし、その後の彼はある種の謙虚さを失ってしまったように思えるのです。観客に作品をゆだね、観客とともに歓びを味わい、喜怒哀楽を分かち合うという姿勢を失ってしまったのです。(pp.15-16)

面白かったのはアンナ・カリーナとラウル・クタールの証言がまるで食い違うこと。
カリーナはゴダールはちゃんと台本を書いてた、全部即興なんて役者ができるわけないと言ってるんだけどクタールは「即興伝説」を裏書している。

あとこないだヴィアゼムスキーの『少女』を読んだけどそこではゴダールがヴィアゼムスキーに惚れたことになっていたけどこちらではヴィアゼムスキーがアピールしたことに。
『ゴダール伝』は読んだんだけどどう書いてたかすっかり忘れちゃってる俺……

山田氏のこの系統の本を読んでいつも思うのはジャン=ピエール・レオーっていい味だしてるよな。
山田氏にとってはゴダールとかトリュフォーって高校生から見た変わり者だけどなんでも知ってる粋な大学生の「兄貴」みたいな感じに映る。そしてレオーはいっぱしの子分を気取ってるけど実は同じ高校生のような。
そしてアンナ・カリーヌはまぶしすぎる「兄貴」のガールフレンド。

ヴィアゼムスキーもいいけどやっぱりゴダールのヒロインはアンナ・カリーヌしかいないよな。
本書から引用すると「アンナ・カリーナの出ないゴダール映画はごつごつして、唐突でうるおいがない」(p.140)そして「アンア・カリーナの出ないゴダールはまるで「ユウモアのない一日」のように寂しい」(p.215)

ゴダールとカリーヌは64年に別れるのだが、それ以後の作品ってよりいっそう切迫感のようなものが強まったような気もする。それが良いほうの出たのが『気狂いピエロ』なんだろうけど。

やはり『ゴダール・ソシアリスム』見に行くべきなのか……

『少女』の感想はこちら




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