『ブリッジ・オブ・スパイ』

『ブリッジ・オブ・スパイ』



最初に現れるドノバンはいかにも保険会社の代理人弁護士といった印象である。そして次第に、彼が真の意味での弁護士であることが明らかとなっていく。ソ連のスパイであるアベルが逮捕されると、弁護士を付けた正当な裁判を行うことでアメリカの倫理的優位を示そうとする。とはいえ検察側も裁判所側もあくまでこれは建前であり、実際には事前の筋書きに沿った展開に持っていくことを疑っていない。ドノバンはそれでも、依頼人の利益の最大化を図るという弁護士の職務に忠実であろうとする。そして裁判において彼が武器として考えるのが、アメリカ合衆国憲法でありデュー・プロセスなのである。

本作はスピルバーグのフィルモグラフィーにおいて『アミスタッド』、『リンカーン』に連なるものだ。そのメッセージは明快である。理想主義とプラグマティズム、この両者が手を携えることによってアメリカという国家は成り立っており、それは所与のものとしてあるのではなく不断の努力によって初めて維持され、発展していくのである。

独立宣言の起草者にして第三代大統領であるジェファーソンは奴隷主であり、初代大統領ワシントンも奴隷を保有していた。理想主義的な独立宣言に対し合衆国憲法に当初は奴隷制度の禁止が書き込まれなかったのは、奴隷主や奴隷制に支えられていた経済への「配慮」であったことは否定できない。つまりアメリカは建国時点で倫理的に汚れた国であったとすることもできる。

しかしスピルバーグは、そしてアメリカの多くのリベラルは、アメリカ合衆国はその発端から欺瞞に満ちているのでこの国家を根底から覆し、まったく新たな国家システムを築くべきだとは考えない。そこに倫理的欠陥があったことを進んで認めつつ、同時に独立宣言や合衆国憲法に可能性を見出し、それを掲げることによって、国家によってなされた不正義を正そうとするのである。

『アミスタッド』では、奴隷船の反乱をめぐる裁判で元大統領アダムズが憲法を武器に奴隷たちのために裁判で戦う。『リンカーン』は奴隷制度を禁止するための憲法修正をめぐっての議会工作を描いたものだ。『リンカーン』はアメリカ建国における倫理的欠陥を埋めようとする物語であるが、アメリカでは「改憲」ではなくあくまで「修正」であり、独立宣言と憲法の精神は一貫して守られている(ということになっている)。そしてリンカーンはこの不正義を正すために、高潔とは言い難い行動を取ることも辞さない。理想主義だけでは足りないし、プラグマティズムのみであればその行動規範の欠如が暴走を開始する危険性がある。あくまでこの両者は手を携えていなくてはならない。


ドノバンはアベルと、ソ連に拘束されたアメリカ兵パワーズとの交換交渉役を務めることになる。しかしそこにアメリカ人留学生プライアーが東ドイツに拘束されるという事件も起こる。手持ちのカードは一枚で、二人のアメリカ人を取り戻さねばならない。

ドノバンはアベルの死刑を回避するために、個人的に裁判官を訪ね、アベルを生かしておけば将来利用可能になるかもしれないと訴えていた。ドノバンの行動は弁護士といては逸脱行為かもしれないが、彼は死刑回避のためには手段を選ばなかった。ドノバンの予言が的中したかのようにスパイ交換が持ち上がる。ここでプラグマティズムのみに捉われれば、CIAがそうであるように、一対一でパワーズをとり戻せればそれで御の字ということになる。しかしドノバンはあくまで二人を取り戻すことに固執する。プライアーは重要人物でもなければ、アメリカにとって洩らされては困る秘密を知っているのでもない。それでも彼は、危険を冒してでも、ブラフを使ってでも、一枚の手持ちのカードで二人を取り戻そうとするのである。理想主義とプラグマティズム、そして大胆不敵な行動力。ドノバンはまさにスピルバーグが描くアメリカそのものだということができるだろう。

もちろんこの楽観主義、あるいは明るさに鼻白むという人もいるのだろうが、しかし建国以来様々な危機がありつつも国家が保たれ、まがりなりにも憲法を守り続けていることができているのは、この楽観主義と明るさに支えられた正義の観念によるものだろう。アメリカにおいて倫理的な拠り所となるのは合衆国憲法であり、これはリベラル派、保守派、双方に共通するものなのである。


東ドイツで登場する偽家族の抱腹絶倒っぷりやCIAの小役人感といったあたりは共同脚本のコーエン兄弟ならではのものだろうか。またスピルバーグの盟友カミンスキーの撮影は50年代後半のニューヨークや60年代前半のドイツを描くのにばっちりはまっている。全体的にカット割りやカメラワークはゆったりとしたもので、それがこの作品に重厚感を与えてくれている(個人的な好みでいうともう少しテンポアップして、上映時間をもう10分ほど短くしてくれていた方がよかったかなあとは思うが)。

スピルバーグの演出は手堅いといった感じで、作品にマッチしていたといえばそうなのだが、スピルバーグならではの奔放さというのもあってもよかったのかもしれない。もっとも、『シンドラーのリスト』のあの悪趣味極まりないシャワー室場面のように、もしそれがあれば作品に水を差すことにもなりかねないのだが。ちなみにシンドラーはプラグマティストではあっても理想主義者ではないだろう。つまり「アメリカ的」な人物ではない。スピルバーグはそのことを自覚しつつも擬装したことがあのエンディングのなんとも微妙な感じになっているのではないだろうか。


このように抑え気味の演出という点でも、『アミスタッド』や『リンカーン』の延長線上にある作品でもあるが、スパイものだけに「面白さ」でいうと本作が一番エンターテイメント要素が強いかもしれない。とはいえやはり「面白い」作品というよりも「良い」作品という形容詞の方がふさわしいもので、また奇をてらわない堂々たる作品であろう。




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Author:佐藤太郎(仮)
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