『べつの言葉で』

ジュンパ・ラヒリ著 『べつの言葉で』




1994年、ラヒリは初めてのイタリア旅行に備えて、ガイドブックではなくポケット版の辞書を買った。この日以来、個人レッスンを受けるなどラヒリは断続的にイタリア語の学習を続けてきたが、2014年にはついに一家でイタリアに引っ越すことにし、さらにはイタリア語での執筆まで始めるのであった。

本書はイタリアの雑誌に連載された、ラヒリがイタリア語で書いたエッセイと二つの短編小説から成っている。邦訳136ページの小著ながら、様々な視点で読むことのできる非常に興味深い本となっている。


まずなんといっても、外国語学習という困難な作業にまつわるエッセイとして読むことができる。ラヒリの感じる苦労は、外国語を学んだことのある人なら誰もが思わずうなずいてしまうものばかりだろう。

ラヒリは英語の本はもう読まないと決める。イタリア語の本を読むとき辞書は使わない。知らない単語や印象に残ったフレーズには下線を引き、後で辞書で確認し、自分用の単語帳を作っていく。

「新しい単語に出会うとき、それは決断のときだ。すぐ単語を覚えるためにちょっと止まってもいいし、メモしておいて先に進んだり、無視することもできる」。

「本を読み終えると、単語をしっかりチェックするために本文に戻る。本、手帳、数冊の辞書、ペンが散乱するソファに腰を下ろす。熱中し、かつリラックスしてするこの仕事は時間がかかる。本の余白に単語の意味は書かない。手帳に一覧表を作る。前は英語で意味を書いていた。いまではイタリア語だ。こうして自分専用の辞書、読書の進路をたどる自分だけの単語帳を作りあげる。ときどき手帳のページをめくって単語を復習する」。

手帳に書きとめていることがわかっている単語でも、使いたいときにすらすら出てくるとは限らない。「ページの上にはあるのだが、わたしの頭に入っていないから、口から出てこない。手帳に埋もれたままで役に立ってくれない。覚えているのは書きとめたという事実だけだ」。

「手帳を読み直しているうちに、何度も書かねばならず、わたしの記憶に逆らっている単語があることに気がつく」。「簡単だけれども頑固な単語」は、「たぶんわたしと一切関わりたくないのだろう」。

「手帳の中の単語はどれも肉体的、組織的な成長の印だ。子供たちが生まれたばかりで、毎週小児科に通って体重をチェックしていた数週間のことが頭に浮かぶ。一グラムまで細かく記録され、評価された。その一グラム一グラムが彼らがこの世に生き、存在していることの具体的な証だった。わたしのイタリア語の理解も同じように増している。わたしの語彙は一日一日、単語一つずつ豊かになっている。/とはいえ、わたしの語彙の成長には脈絡がなく、あちこちに飛び跳ねたり消えてしまったりする。単語は姿を現し、しばらくわたしに従い、そして多くの場合、何の予告もなしに、わたしを見捨てる」。


「イタリア語にはわたしを混乱させ続けている言葉がとてもたくさんある」。例えば前置詞。「わたしが持っている外国人学生用のガイドブックには、このような練習問題がたくさん載っている」。「うんざりするが、それでもやる。言語を身につけようと思うなら、抜け道はないのだ」。あるいは冠詞について。「いつ使って、いつ使わないのか、はっきりしない」。

日本語を母語とする人が英語を学ぶうえでも前置詞や冠詞は鬼門の一つであるが、イタリア語と同じ印欧語である英語とベンガル語を母語とするラヒリでもこうなのだから、ほっとするやら絶望するやらである。

また英語にはない半過去と近過去の違いもラヒリを悩ませる。「かなり単純なことのはずなのだけれど、どういうわけか、わたしにはそうではない。二つのうち一つを選ばなければいけないとき、どちらが正しいかわからない」。基本的な動詞には特に混乱させられ、「ローマでほとんど一年の間、この混同が悩みの種となる」。
イタリア語の先生はイラストなどを使ってわかりやすく説明してくれるのだけれど、今一つぴんとこない。ある時には「重要な鍵、もしかしたら法則を発見したと確信する」のであるが、本を読むと「法則などなく、混乱はますますひどくなる」のであった。ある小説を読みながら、essereという動詞が過去形で使われているところに全て下線を引いて、そのすべての文を書き写したのだが、「これはすべて徒労に終わる。結局のところ、わたしが学ぶのはただ一つ、文脈次第、意向次第ということだ」。

「文脈による」というのは外国語を学ぶうえで一番勘弁してくれという言葉であるが、それでもラヒリはイタリアに住み、イタリア語の本を読み続け、イタリア語のレッスンを受け続けることで「いま、半過去と近過去の違いは前ほど面倒には感じなくなっている」というところまでたどりつけた。


イタリアに引っ越してきた直後、アパートに帰って来ると鍵が壊れていて中に入れなかった。バカンスの時期でオーナーはおらず、子供たちはショックと空腹とでアメリカに帰りたいと泣き出す。なんとか専門家を呼んで開けてもらうことができた。ラヒリはこの出来事を、イタリア語で日記に書き始める。「とてもひどく、まちがいだらけで、恥ずかしくなるようなイタリア語」で、「うまく使えない左手、書いてはいけない手で書いているよう」に思えたが、「ローマに来て最初の数か月間、イタリア語の秘密の日記は、わたしを慰め、落ち着かせてくれるただ一つのものだ」。


ではラヒリはこのようにイタリア語を学んで、いったい何をしようとしているのだろうか。
「いつか将来、辞書も手帳もペンも必要なくなる日が来ることを夢見るべきなのだろうか?英語を読むように、イタリア語がこのような道具なしに読めるようになる日を? こういったことすべてが目標ではないのだろうか?」

「ないと思う。わたしはイタリア語の読者としての経験は乏しいけれど、より積極的で情熱的な読者だ。わたしは努力が好きだ。制限があったほうがいい。無知なことが何かの役に立つことはわかっている。/制限はあるにしても、地平線が果てしないことは実感している。ほかの言語で読むのは成長、可能性の状態が永遠につづくことを意味する。見習いとしてのわたしの仕事は決して終わらないだろう」。

苦労してイタリア語の本を読むことは、「子供のころのよう」だ。「大人として、作家として、こうして読書の喜びを再発見する」。
「この時期、わたしは二つに分裂しているように感じる。わたしがものを書くのは読むことへの反応、返答以外の何物でもない。要するに一種の対話なのだ。この二つはしっかりと結びついていて、相互依存の関係にある」。

読むことと書くことは切り離せない。つまり、ラヒリは小説家であるにも関わらずこんなことをしているのではなく、小説家であるからこそ、徹底してイタリア語を学び、イタリア語で読もうとしているのであろう。

「日記はイタリア語で書く訓練になるし、習慣にもなる。でも、日記だけを書いているのは、家に閉じこもって自分自身と話をしているのと同じことだ」。

こうしてラヒリはイタリア語の小品を書くことにする。「子供のころのよう」に本を読むということは、書くという作業においても同じだろう。書くということのプリミティブな衝動と、荒削りの原石を磨き上げる作業とを思い出させてくれる。「ごく短い、だいたい一ページ以内の小品を、手書きで書き始める。ある人、時間、場所とかいった、何か具体的なものに焦点を合わせようとする。クリエイティブ・ライティングを教えるときに学生たちに求めるのと同じことをする。わたしは、このような断片は物語を創り出す前にしなければならない最初の一段階だ、と彼らに説明している。作家は存在しない世界を想像する前に、現実の世界を観察しなければならないと思う」。

ラヒリはカルロス・フエンテスのインタビューから、「ある種の頂点には決してたどり着けないと知ることはきわめて有益です」という言葉を見つける。
「作家にとってこれらの頂点は二つの重要な役割を持っていると思う。完璧さを目指して進ませ、自分の凡庸さを思い出させることだ」。「到達不可能に思えるあらゆるものの前で、わたしは驚嘆する。物事への驚きの感情、驚愕がなくては、何も書くことはできない」。
「もしすべてが可能だったら、人生に何の意味や楽しさがあるだろうか? /もしわたしとイタリア語の間の距離を埋めることが可能だったら、わたしはこの言語で書くことをやめるだろう」。

このように、イタリア語を学び、イタリア語で書こうとするラヒリの試みは、作家としての自身を見つめ直すという作業でもあったのだろう。


そして本書はまた、言葉というものに必然的につきまとうある問題についての、実体験をふまえた考察でもある。

ラヒリの両親の母語はベンガル語だ。しかしラヒリ自身はロンドンで生まれ、アメリカ合衆国で育った。ラヒリにとってベンガル語も英語も母語ではあるが、この二つの言葉は等しい存在なのではない。家庭ではベンガル語を使っていた。幼稚園に行かされたときは英語にショックを受け、「他人の言葉のように思っていた言語で気持ちを伝えなければいけなかった」ため、友だちを作るのも難しく、「ただ家へ、よく知っていて大好きなな言語のところへ帰りたかった」。
しかし「数年後、読書をするようになると、ベンガル語は一歩後退した」。「わたしの母語は独力でわたしを育てることができなくなった。ある意味では死んでしまったのだ。そして継母である英語がやって来た」。ラヒリは英語を完璧に使える一方で、ベンガル語は読めないし書けない。そしてなまりがあって自身なさそうにしか話せない。ラヒリは「言語的な亡命」者であり、「わたしの母語は外国語でもあると考えている」。
「わたしは二つの言語のどちらとも一体になれなかった」。

ラヒリはその名前と顔立ちのせいで、「どうして自分の母語でなく英語で書くのを好むのか、と聞かれることがたまにある」。「完璧に話しているというのに、その言葉のことを弁明しなければならない」。17世紀のイギリス文学についての博士論文を書いていた頃、ボストンでビラ配りをしていた男は、ラヒリがビラを受け取らないと、「くそったれ、英語が話せねえのか?」とどなった。

アメリカでは、両親と店に行くと、店員はなまりのない英語を話すラヒリにばかり話しかけてきた。両親にも英語はわかる。「ところがあなたたちは、ベンガル語だけじゃなく、世界のほかのどの言葉も一言もわからないじゃないですか」と言いたくなってくる。同時に、完璧に英語をつかいこなせない両親に苛立ちも感じてしまう。

「イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ」。

それでもやはり、イタリアで残酷な現実に直面する。ある店で店員と長く話していた。そこにラヒリの夫が合流する。夫はスペイン語ができたが、そのせいでイタリア語にスペイン語が侵入してしまっている。「イタリア語も上手に話すが、わたしほどではない」。
ところが店員は「ご主人はイタリア人でしょう。ぜんぜん訛がなくて、イタリア語を完璧に話しています」と言うのだった。「そう、これがわたしには絶対に越えられない境界だ。どんなによくできるようになっても、わたしとイタリア語の間に永遠に横たわる壁。わたしの顔かたち」。夫はイタリア人といっても通じる顔立ちだが、ラヒリはアジア人の顔立ちだ。

市場に買物に行って、イタリア語で話しかけているのに、困った顔で「わかりません」と返されることもあった。「彼らがわたしの言うことがわからないのはわかろうとしないからだ。わかろうとしないのはわたしの話を聞きたくないから、わたしを受け入れたくないからだ」。「イタリアでイタリア語を話していると、とがめられたような気がすることがある。手を触れてはいけない物に触った子供のように。イタリア人からこう言われているように感じることがある。「わたしたちの言語に触れるな。これはあんたのものじゃない」」。

言葉とアイデンティティ、あるいは言葉をめぐる閉鎖性や先入観、差別についても、本書を通じていろいろと考えることができる。


最後に、翻訳というものについてもまた考えさせられる。ラヒリはイタリアの雑誌にエッセイを連載するにあたり、三つの段階を経ている。「まずイタリア語の先生が添削して文法的なまちがいを直す。次に友人のイタリア人作家二人に見せ、いっしょに主題の面から文章を細かく検討する。そして最後にインテルナツィオナーレ誌の編集者のチェックを経る」(「訳者あとがき」)。編集者たちはラヒリの意向を受けて、「イタリア語のおかしさを尊重し、不完全でぎこちない文章の実験的な性質を受け入れてくれた」そうだ。インテルナツィオナーレ誌の編集長は英語訳がどうなるかの問題に触れている。「文章の小さなまちがいや欠陥、わずかに調子のはずれた言葉の選択などが見逃されてしまう恐れがあるからだ。この六か月間に、それがどう進化していくかを感じながら読むのも、一つの興味深い読み方だったのだから」、これは「困難な仕事となるだろう」としている。

「訳者あとがき」によると、訳者が受け取っていたタイプ原稿で、よくわからない箇所をたずねるためにイタリア人にそれを見せると、「ちょっと変なイタリア語だけど」とただし書きをつけて意味を答えてくれたが、中には意味がはっきりつかめないところもあったという。しかしラヒリはこの原稿に手を入れ続け、刊行された単行本では「不完全で少しぎこちない文章」はそのままに、「意味の不明瞭だったところは、意味がはっきりつかめる文に書き直されていた」そうだ。

このあたりを翻訳で再現するというのは極めて困難なことだろう。外国語を「完璧」に身につけることが、あるいは「完璧」な小説を書くことが不可能な試みであるように、「完璧」な翻訳というのもまた不可能な試みであるが、しかしそうであるからこそ、この困難に人はまた魅了されるのでもある。


さて、困難な英訳はIn Other Wordsとして刊行された。訳者はAnn Goldstein。「ニューヨーカー」の編集者であり、プリーモ・レーヴィの全集や、アメリカで非常に人気のあるミステリアスなイタリア作家、Elena Ferranteの訳者としても注目されている。こちらのインタビューにあるように、ゴールドステインはずっとイタリア語を学びたいと思っていたところ、「ニューヨーカー」にイタリア語のクラスがあって学び始めたということである。雑誌社が編集者向け(?)に語学クラスを用意するというのもすごいが、まあ「ニューヨーカー」だしね。

このインタビューでイタリア語にアプローチするのに何か哲学はありますか、との質問に、「哲学なんて持っていませんよ」と冗談めかしつつ、ゴールドステインはこう答えている。

「個々の単語について考えるのが好きなんです。それから、その単語をセンテンスの中に置いてみて、そしてセンテンスの中でどのように、どんな意味を持っているのかを考える。そしてパラグラフの中でセンテンスについて考える。こんな感じで積み重ねていくということです。それを哲学というのなら、まあそれが私の哲学ですね」。

やはり優れた翻訳者というのはこうした地に足の着いた、地道な作業を厭わないのであろうし、これは外国語学習においても大切なことなのだろう(と、自分に言い聞かせつつ)。







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佐藤太郎(仮)

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