『ヘイトフル・エイト』

『ヘイトフル・エイト』

直接的なネタバレは避けたつもりですが、ある程度展開を予想できてしまうような事は書いてしまっているので未見の方はご注意を。



南北戦争後間もなくのアメリカ西部を舞台に黒人賞金稼ぎが登場するというあらすじを聞いた時には『ジャンゴ』の続編的なものなのかと思ったが、共通項がないわけではないものの、実際に見てみると、密室の心理戦はなんといっても『レザボア・ドッグス』を想起させる。ティム・ロスやマイケル・マドセンの起用は、タランティーノ自身もこれを意識してのことだろう。

意味があるのかないのかよくわからないおしゃべりに時間軸をバラバラにするという、タランティーノ印ともいえる手法はすでに処女長編である『レザボア・ドッグス』で完成している。『ヘイトフル・エイト』にも長広舌が登場するが、一方で近年のタランテイーノ作品と同様に、時間軸を解体しているとまではいえない、比較的線的な作品ともなっている。

本作においてもっとも評価が分かれるポイントはその長さかもしれない。167分というのはいくらなんでも長すぎだと感じられた人もいるだろう。『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ』も長いことは長いが、ストーリーがくっきりしている分観客を惹きつけられる。また『パルプ・フィクション』は逆に時間軸を徹底して解体することでこの長さを逆手にとってもいる。『ヘイトフル・エイト』の場合は比較的単線的であり、また観客はストーリーや人物描写によって感情移入を阻まれがちであり、かつ心理戦が二段階に及んでいるために、この長さがそのままただの負担になってしまうという危うさはあるだろう。

この結果、「いかにもタランティーノ的」作品であることは確かではあるが、その魅力であるごった煮が味のブレにつながってしまっているようにも感じられた。『レザボア・ドッグス』並みの100分とまではいかなくとも、やはりこういう作品は120分前後に収めるべきではなかったかと思うし、それが不可能だったというわけではないだろう。

僕が見に行った回はどういうわけか観客の年齢層が高めで(マカロニウエスタンのファンだった人たちだったのだろうか)、膀胱が限界に達したのか暴力描写に耐えかねたのか、はたまた退屈したのか、結構途中で席を立つ人も結構いたし、隣のおっさんがスマホをいじりはじめたのには閉口させられてしまった。

では僕も退屈してしまったのかというとそういうことではなかった。なんといってもオープニングのキリスト像からの雪原を行く馬車の登場する場面は素晴らしいし、モリコーネの音楽もばっちり決まっていた。ガイドロープを張る場面の禍々しい雰囲気は『遊星からの物体X』のようで非常に好きである(あまり予備知識なく見たもので、もしかして『フロム・ダスク・ティル・ドーン』的展開かとも思ったのだけれど、さすがにそういうことはなかった)。


例によって例のごとく様々な映画からの引用や目配せが膨大に施されているのであろうが、このあたりは映画的教養のない僕にはお手あげなのでなんとも言えないのだが、そういった観点からのみでなく、扱っているテーマからして当然ながら倫理的観点からも論じることもできるだろう。

タランティーノといえば黒人向け娯楽映画から強い影響を受け、そのリスペクトからとはいえ、Nワードを多様することへの批判は昔からある。ヒップホップ好きを自称する日本人が通を気取ってNワードを使うことと比較したら怒る人もいるかもしれないが、実際タランティーノのファンだという日本人が平然とNワードを使うのに出くわしたことがあるので、この批判はまったくもって不当なものとすることはできないだろう。『ジャンゴ』はそのような批判に対するタランティーノなりの回答といえるだろうし、また『ヘイトフル・エイト』の公開と前後して、タランティーノは警察による黒人への不当な暴力に抗議するデモにも参加している。

駅馬車に元北軍少佐にして現賞金稼ぎの黒人と、元南軍のならず者にして保安官になったと称する男とが偶然にも居合わせてしまう。典型的な差別主義者として登場するこの南部の白人が、閉ざされた空間を黒人と共にしなければならないことによる変化をどう受け止めればいいのだろうか。倫理的テーマにおいてこの作品を考える上で一つのキーとなるのが「リンカーンからの手紙」であろう。「直筆」の、「個人的」なこの手紙の意味するところはなんなのだろうか。あるいは法の執行と正義についても語られるが、これを語る人物はいったい何者なのか。

アメリカの宿痾ともいえる人種問題が反響していることは間違いないが、ではそれが勧善懲悪的な物語に回収されていくのかといえばそうではなく、タランティーノの主観がどこにあったのかはともかく、アイロニーという面が強く出ているのではないかと感じられた。

「リンカーンからの手紙」が象徴するのは、黒人にとって「アンクル・トム」(白人に媚を売る黒人という否定的な意味)を擬装することが生き残るための知恵となっていることであり、「正義」を希求しそれを実現させるというアメリカの理想を体現するかのようなリンカーンからの手紙が実は……というのはまさにアイロニーだ。では社会から打ち据えられている人びとは生き残るためにはどうすればいいのだろうか、ということへの、シニカルにして直情的回答とも受け取れる。共通の敵と利害関係の一致があってようやく手を結べるものの、そのタガが外れてしまえば保証の限りではないのである。


タランテーノに距離感を持っている人にとっては悪い意味で「いつものあれか」となるかもしれないし、またファンにとってはどこか物足りなさも残るかもしれない。紛れもないタランティーノ作品の要素が溢れてはいるものの、『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』のフレッシュさや、『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ』の「爽快(な暴力)」さを求めるとやや肩透かしをくらうかもしれない。それでもやはり、サミュエル・L・ジャクソンは最高だし、その他にも一癖も二癖もあるキャラクターを堪能できる作品には仕上がっている。それだけに、映像や音楽の素晴らしさを初め部分ごとの魅力と合わせると、全体をもうちょっとうまくまとめられていればなあという後悔も浮かぶことにもなっているが。



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佐藤太郎(仮)

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