『悲しみにある者』

ジョーン・ディディオン著 『悲しみにある者』




2003年12月30日、ICUに入院している娘を見舞った後、ジョーン・ディディオンと作家でもある夫のジョン・ダンは自宅で夕食を取ることにする。午後9時前後、ディディオンは夫の異変に気づく。救急車を呼ぶが、ジョンはそのまま帰らぬ人となる。
ディディオンはこの9ヶ月と5日後に、本書の執筆を始める。1年間、ディディオンは「昨年のカレンダーで時を測ってきた」。「昨年の今日は私たちは何をしていただろうか? 私たちはどこでディナーをとっただろうか?」 
そしてディディオンは2004年12月31日に、「私は今日初めて、昨年の今日の記憶なるものがジョンとは関わりがないことを理解した」。「ジョンは昨年の今日を知らなかったのだ。彼はもう亡くなっていた」。

本書は夫の突然の死から1年と1日を描いたものである。

ディディオンの置かれた状況は必ずしも「平均的」なものではないだろう。夫妻はともに作家であり、ディディオンは名声を勝ち取っている自立した女性で、夫の死によって経済的に困窮するというような危機に陥ることはない。しかしまた、彼女の原稿にジョンが目を通し助言をするというのが慣例となってもいた。つまり仕事をすることは、常に夫の不在を意識させられることになる。ディディオンはこのことに苦しめられる。さらには夫の死後も娘は生死の境を彷徨い続けており、このこともその心理に様々な影響を与えることになる。

同時に本書は、近しい人を亡くすという経験の普遍性も描いている。
死は一度きりのものだ。死にかけた経験を持つ人はいても、死を二度経験する人間はいない。死とは決定的で、不可逆なものである。これは死者にとってのみそうなのではない。残されたものにとっても、死とは常に初めての経験なのである。父の死と母の死は同じ体験ではない。配偶者の死と親友の死を比べることはできない。愛する人を失った経験を持っているからといって、自分の子どもを失うことに超然としていられる人などいないだろう。

本書はまさにこの「死」というあらゆる人間にとって避けることのできない、一回限りの、固有の経験を描きだしているからこそ、高い評価を受け、多くの共感を集めたのだろう。


ディディオンは病院で、ソーシャルワーカーから「冷静な方」と評される。確かにディディオンは泣き叫んだり、奇行に走ったりすることはない。彼女は夫の検死解剖を認め(以前に解剖を見学した経験があったために、今回もそうするべきだと考えた)、遺体を火葬にしている。しかし同時に、夫の死を受け容れ難い出来事として否認し、その思考は混乱してもいる。母は父の死後にその服を寄付した。母の死後には子どもたちがその服を寄付した。しかしディディオンは夫の服や靴を寄付することができない。「仮に臓器をとられたらどうやってジョンは帰ってこられるのか? 仮に靴がなかったらどうやって彼は帰ってこられるのか?」 こう思えてしまうのだ。

ディディオンの母は90歳で亡くなった。母は「私には死ぬ心構えはできているけど死ねないのよ」と言っていた。「あんたとジムには私が必要だからね」、と。もう子どもたちは60歳を越えていたというのに。しかしこれは親にとっての偽らざる気持ちであったのだろう。そして妻として、夫の死を受け容れてしまうことは、その死が決定的で不可逆のものであることを認めることであるように思えるのだろう。

しかしこれは自罰感情ともなりかねない。ディディオンは夫が倒れてすぐに亡くなったのだと思おうとする。そう思わないことには、自分がもう少し早く発見していれば、もう少し違った対応をしていれば夫は生きていたのかもしれないと思えてきてしまうからだ。まるで夫を生きたまま埋葬したかのような気持ちになってしまう。

そしてこれにともなう自己憐憫も、ディディオンをとまどわせる。文学者が書き残した、配偶者を失うことによる、めそめそとした自己憐憫を、22歳だったディディオンは「ああ願い下げだわ」と思ったことがあった。いざ自分がその立場になると、まさにそのような状態になっていた。デルモア・シュウォーツの詩にあるように、「時はわれわれがそこで学ぶ学校なのだ」。


「困った羽目に陥ったなら、読書し、学び、調べ、文献にあたれと、私は子どもの頃から躾けられていた」。こうしてディディオンは文学作品や映画などと共に、医学全般、精神医学、心理学の文献を読み漁り、「悲しみ」について考察する。「情報を得れば、収拾をつけられる」。知的で合理主義的であるように思えるが、同時に「私は、ジョンを返してほしい」と、叫びだしたい衝動にもかられる。


「生き残ったものたちは前兆〔オーメン〕を、彼らが見過ごしたメッセージを、振り返っては見つけ出す」。

「彼らはシンボルによって生きている。彼らは使っていないコンピュータにスパムメールが溢れんばかりにあることや、動かなくなった削除〔ディレート〕キーや、それを取り替えようと決めながら頭のなかでとりやめてしまったことにまで意味を見出す。私の留守電の音声はまだジョンの声のままだ。初めにジョンが声を吹き込んだのは、留守電が最後に設定される日に誰が周りにいたのかというだけの恣意的なものだった。だけど今それを入れ直す必要があるというなら、私は裏切っている気持ちながらそうするだろう。ある日、彼の仕事部屋で電話で話しているときに、私はデスクの横のテーブルの上にいつでも開いてあった辞書のページをうっかり繰ってしまった。自分が何をしでかしたかわかった時にはうちひしがれてしまった。彼が最後に引いたのはどんな単語だったのだろう? 彼は何を考えていたのだろう? ページを繰ることで私はメッセージを失ってしまったのだろうか? それとも、そのメッセージは私が辞書に触れる前にもう失われていたのだろうか? 私はそのメッセージを聞くことを拒んでいたのだろうか?」(p.162)。

「私は私たちがなぜ死者を生かしておこうとするのかが理解できる。私たちは彼らに私たちと一緒にいて欲しいがゆえに生かしておこうとするのだ。/私にはまた、もし私たちが自分自身生きてゆこうとするならば、死者に固執するのをやめ、彼らを手放し、亡くなったままにさせねばならないときが訪れるのも、わかっている。/彼らをテーブルの上に置かれた写真にするのだ。/彼らを信託銀行に被せる名前にするのだ。/彼らを五尋の海底に沈ましめよ。/こうしたことが理解できたからといって、ジョンを五尋の海底に沈ませるのが少しでもたやすくなるわけではないのだ」(p.238)。

ディディオンはかつて、夫と滞在していた東南アジアの島での体験を思い出す。泳いで洞窟に入るには、条件を満たした潮を、その潮目をきちんと見定めなければうまくいかない。そこに住んでいた2年間に、6回ほどしか成功しなかった。

「私たちがそれをやってみるたびに、私は潮のさすのを逃すんじゃないか、尻込みするんじゃないか、タイミングを間違えるんじゃないかと恐れていた。君は潮がさすのが変化するのを感じ取らなきゃ。君はその変化に乗ってゆかなきゃ。ジョンは私にそう言った。雀に目を留める者はいないが、紛れもなく彼は私にそう言ってくれたのだ」。


本書では、時間は行き戻りつし、過去の回想があり、様々な本や映画からの引用があり、そして何度もあの日のあの瞬間へと返っていく。冷静な思考や自己分析があり、パセティックな心の叫びがある。夫の死を受け容れ難いものとして否認し、またそこに留まっていてもどうにもならないということもわかっている。これらはきれいに切り分けられるものではなく、常に揺れ動き、同時に存在する。
このディディオンの、夫の死という固有の体験を経ての1年と1日の記録は、ディディオンただ一人のものであり、また我々一人ひとりのものでもある。


本書はディディオン自身の手によって演劇化もされている。ディディオンの親友でもあるヴェネッサ・レッドクレーヴが初演の主演を務めた。










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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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