『さよなら、私のクィンターナ』

ジョーン・ディディオン著 『さよなら、私のクィンターナ』





前作『悲しみにある者』は夫を突然失った日から1年と1日の思索の記録であった。夫のジョン・ダンが倒れる直前まで、ディディオンは夫婦でICUに入院中の娘クィンターナを見舞っていた。本書は夫に続いて娘まで失うことになった経験を描いたものである。

『悲しみにある者』で、ディディオンは様々な後悔の念に襲われている。「突然」とはいっても、夫は健康面での不安がまるでなかったわけではない。それどころか、ペースメーカーをつけるなど、いわば年齢相応の病と衰えとが迫ってきていた。しかし夫婦は、この現実を直視していたとは言い難い。誰でもそうであろうが、自分たちは大丈夫なのだと、迫りくる死のリアリティから目をそらしていた。

70歳を越えていた夫を失った時にこれほどの悔悟にかられるのであれば、40歳に満たない娘を失うということがどれほどの衝撃を与えたのかは想像に余りある。ましてやクィンターナは境界性人格障害と診断され、アルコールの海に沈んでいた。さらにディディオンを考え込ませたのが、クィンターナが養子であったことだ。

「聞かされるところでは、養子というのは誰もが、自分の生みの親に棄てられたと信じているので、養い親にも棄てられるのではないかと危惧するものだそうだ」。
ディディオンはこう書いているが、「誰もが」としてしまうのは言いすぎだろう。とはいえ養子がそのような危惧を抱いてしまいがちであることを完全に否定することもできないのかもしれない。現在では手続きにはじまり養子であることを告げるべきか否か、それをどのようにすべきかといったことへの対処法は様々に研究されているのだろうが、ディディオン夫妻がクィンターナを迎え入れた1966年には、そのあたりはあまりに不用意すぎたという印象は否めない。そしてこのことが、さらにディディオンを苦しめることになる。

「セントジョンズ病院できれいな赤ちゃんをとりあげたよ」、66年3月、夫妻はワトソン医師から電話を受ける。夫妻がこの赤ちゃんを欲しがるかどうかを確認するための電話だった。すぐに病院に向かい、そこにいた一人の赤ちゃんに目を奪われた。「そっちの赤ん坊じゃない……リボンを結わえた子だ」と、夫妻は「選択」を行った。

「あっちの赤ん坊だ、をやって」、このエピソードを聞かされていたクィンターナは、幼少期に繰り返しねだった。さらにしばらくすると、「ワトソン先生から電話がかかってきたところをやってみて」と言うのであった。

ディディオンはクィンターナを養子に迎えてしばらくの間、生物学上の両親が子どもを返して欲しいと言い出すのではないかと恐れた。「こちらは聞かされる必要もないが、養い親というのは誰もが、自分たちの貰った子どもに自分たちはふさわしくないのではと、いずれその子どもは取り上げられてしまうのではないかと危惧するものだ」。

しかし、「家の中で恐れを感じていたのは私一人ではなかった」。

「ワトソン先生が電話をかけてきた時にママやパパが電話に出なかったら、クィンターナは突然口にしたものだ。ワトソン先生が電話をかけてきた時にママやパパがいなかったら、ママやパパが病院でワトソン先生に会えなかったら、フリーウェイで事故でも起きていたら、そうしたらあたしはどうなっているの?」

クィンターナは悪夢を見た。恐れにとりつかれるようになった。ディディオンは「この恐れの問題」について、子どもたちについての本を書こうと考えるようになった。

「この本を書き始めたとき、私は、テーマは子どもたちになるだろうと信じていた。私たちの持っている子どもたち、持ちたがっている子どもたちについて、私たちに依存させることで私たちが持っている子どもたちに依存する様子について、子どもたちに子どものままでいるように促す様子について、子どもたちが(彼らのほんのちょっとした知り合いにとって未知のものであるよりもさらに)私たちにとって未知のものであり続ける様子について、そう、私たちが同じように子どもたちにとってはぼんやりとした存在である様子について。そんなテーマになると信じていた」。
「私たちも子どもたちも、相手の死や病気や、はては老いさえ、じっくり考えるのに耐えられない様子について」書くのだと。

「書き進むにつれて、私の頭にはこの本の真のテーマは子どものことなんかじゃまるでなかったのだという考えが浮かんだ。少なくとも子どもたちそれ自体がテーマではなかったし、少なくとも子どもそのものとしての子どもがテーマではなかった。本当のテーマは、相手の死や病気や、時には老いについてじっくり考え込むのを拒むことだったし、確かにやってくる老いや病気や死に面と向きあうのができないことだったのだ」。

この二つの恐れは別のものではなかった。「文章を書き進むにつれて、ようやく私にも、二つのテーマは実は同じだということが理解できた。/死すべき定めという時には、私たちは子どもたちのことを語っているのだ」。


クィンターナの恐れは誰しもが経験するものではなかったかもしれない。両親は有名作家で、ソーシャルワーカーは生物学上の親に養父母の情報を洩らしてしまっていた。クィンターナは後に血のつながった妹と連絡を取り合うようになる。しかしまた、彼女の不安や焦燥感や懊悩は、誰の身にふりかかってもかしくないものでもあろう。

ディディオンの後悔も、誰しもが経験するものではないかもしれない。しかし、夫や娘の死によって否応なく突きつけられる死という現実について。急速に肉体と脳とが劣えていき、今自分が足を乗せているのがアクセルなのかブレーキなのかがわからなくなっていくという老いを、ディディオンは文字通りに突きつけられる。

クィンターナが感じた恐れはまた子どもたちの恐れであり、死や老いという現実はまた我々皆の恐れでもある。そして人はなかなかその恐れと向きあうことができない。人生のある時期以降を、人はただ後悔に沈みながら過ごすことしかできないのだろうか。

本書の原題はBlue Nights。これについてはディディオンが冒頭で説明している。「緯度によっては、合わせても数週間だが、夏至の前後の時期に薄明〔トワイライト〕が長く、青くなる時間帯がやってくる」。ディディオンが長く住んだ亜熱帯のカリフォルニアにはブルーナイツは現れないが、今住んでいるニューヨークにはやって来る。フランス人が「ルール・ブルー」と呼び、イギリス人が「グローミング」と呼ぶこのわずかな期間。ニューヨークの4月の終わりから5月の頭にかけて、「必ずしも暖かくなるわけではないが」、「突然に夏が近いと思えてくる」。
「窓からふわっと抜け出し、セントラルパークに歩いてゆけば、自分が青い色の中を泳いでいるのを感じとれる」。

「ブルーナイツの時期には、日没がやってくるとは思えない。ブルーナイツの時期が終わりに近づくと(いずれと思っているうちに終わりを迎えるのだ)、寒気がし、病の予感に襲われ、その時点で初めて気づく……青い光は消えようとしており、日はもう短くなってゆくし、夏も去ったのだと」。

「ブルーナイツは、褪せてゆく輝きとは正反対のものだが、同時にそれへの警告でもあるのだ」。




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