ポール・セロー、トランプ現象を語る

ガーディアンにWhy is Trump so popular? Visiting the south gave one writer some cluesという記事があった。アメリカ南部を旅して、Deep South: Four Seasons on Back Roadsという旅行記を出したポール・セローに、トランプ現象をはじめとしてアメリカ大統領選挙について話を聞いている。

「銃の見本市にいる連中〔the gun show guys〕だよ」とセローは言う。銃の見本市には、反オバマだの反イスラムだの反メキシコ人だの反移民だのといったバンパー・ステッカーがあふれており、これこそまさにトランプの言っていることなのである。

彼らは連邦政府が銃を、男らしさを、独立の象徴を奪おうとしているというパラノイアにとりつかれている。打ちのめされており、共和党のことすら嫌っていて、強い孤立感を抱いている。
セローの地元であるマサチューセッツでもトランプが勝った。南部の銃の見本市的なメンタリティは、教育の高い、ホワイトカラーのマサチューセッツの共和党支持者にまで広がっていることがうかがえるとしている。

これらの背景の一つとして、セローはアメリカ南部では、白人も非白人も2割もの人が貧困ライン以下で暮らしており、先の見通しもなく、仕事もなく、ボロ家に集まってテレビで脈略のない映画を観るくらいしかやることがない人々の苦痛をあげている。

セローはそうは言っていないが、すでに少なからぬ人が指摘しているように、これはアメリカにとってまったく新しい現象であるというよりは、サザン・デモクラッツ(南部民主党)の亡霊が蘇ったと考えた方がいいだろう。


この記事から少し離れて、ここからは僕の個人的な印象論である。

もともとは、共和党は北部工業地帯に根ざした自由貿易志向が強く、一方民主党は南部農業地帯に根ざした保護貿易志向であった。南北戦争は奴隷制という倫理をめぐる戦いであったと同時に、経済システムの違いがもたらしたという面もある。

共和党は企業経営者や富裕層を支持基盤とする政党となり、民主党は農民、労働者を主要な支持者とするようになっていくが、人種問題をはじめとする社会政策においては両党に決定的な差異があったというのではなかった。

大恐慌が起こり、大統領に就任したフランクリン・ルーズヴェルトは大胆な財政出動や行政による直接雇用の拡大まで行うが、人種問題には手をつけなかった。夫以上にリベラルの闘士であるファースト・レディのエレノア・ルーズヴェルトはこれに不満であったが、ルーズヴェルトは、もし人種問題に取組めばパンドラの箱を開けるということがわかっていて、それを恐れていた。それは、レッセフェール型の経済政策を否定し、保護主義を求め、かつ人種偏見にどっぷり浸かっている南部民主党員の離反である。

ケネディ兄弟とリンドン・ジョンソンの不仲は知らない人がいないほどであった。にもかかわらずケネディがジョンソンを副大統領候補にしたのは、最大のライバルを権力内に取り込むということもさることながら、テキサス州選出の上院議員であり、ワシントンを知り尽くしていたジョンソンの存在が、大統領選の勝利とその後の議会運営に欠かせないものと考えたからでもあった。

ケネディ暗殺後に大統領に就任したジョンソンによって公民権法が成立する。ケネディが公民権法についてどれほど真剣に考えていたのかについては意見が分かれるが、南部出身であり議会工作に長けたジョンソンなくしては成立はおぼつかなかっただろう。公民権法が成立すると、ジョンソンは「これで民主党は南部を失った」と言ったとされ、まさにこの言葉通りのことが起きる。

共和党はこれ以降、民主党から離反した南部民主党員の獲得のため差別的な政策を掲げる政党となっていく。セローがレーガン政権の例を挙げているように、トランプ現象はここ40年ほどの共和党がせっせと蒔き続けた種が育った結果だとしていいだろう。共和党は「差別的」政策を行ってきており、トランプは差別そのものを全面に押し出している。セローの表現では、これまでは「犬笛(人間にはその音を聞き取ることはできない)」であった共和党の考えを、はっきり声に出したのがトランプだ。セローは副大統領候補だったサラ・ペイリンについて、トランプよりひどいもんだよ、トランプより愚かで、トランプと同じものの考えだったろう、としている。

かつては共和党にも、経済政策においては小さな政府を求めるが社会政策においては差別反対という、自由主義の方のリベラルな政治家も少なからずいたが、こういった政治家は影響力を失い続けるばかりであった。節目ごとに、共和党は右に寄りすぎた、もっと中道に向かうべきだという勢力も現れるが、これらは右派によって駆逐されていった。

ティーパーティは「税金を払いたくない」運動であるが、その集会には必ず「オバマはイスラム教徒だ」、「オバマはアメリカ生まれではない」と主張する人がまじっていた。要は黒人の血を引く大統領なんて耐えられないということなのだが、そのものずばりを言ってしまうと差別になるので、このような話にならない陰謀論を唱えていたのである。

共和党右派路線を資金面で支えているコーク兄弟のような大富豪やウォール街の金融屋などと、中西部や南部の、銃の見本市や週に一度教会に行くくらいしか楽しみがないといった人々が「価値観」を同じにしているはずがない。「経済保守」と「文化保守」は、保ち守るということではなく、反リベラルという一点によって共闘してきた。経営者や富裕層にとっては、税金をできるだけ安くし(そのために社会保障は削りまくる)、労働組合を弱体化させ、規制を緩和させる(より正確に言えば、経営者や富裕層にとって都合のよい規制を作る、とすべきだろう)ことが狙いであり、福音派をはじめとする宗教保守などにとっては、「伝統的」な価値観(もちろんこれはあくまで括弧付きのもの)を擁護し、中絶や同性婚などもってのほかであり(連邦政府の肥大化を警戒し自由を最大限に重んじるのであれば、これらは当然個人の選択にゆだねられるべきで、中絶問題はアメリカの保守の欺瞞の象徴である)、差別主義者にとってはアメリカ合衆国とはあくまで白人の国であって、黒人やヒスパニックがでかい顔をすることなど許せないのである。

反リベラルで経済保守と文化保守の利害は一致した。何よりも、宗教保守や差別主義者は動員しやすい。こうして共和党はこういった人々を煽り続けた。一方でかつての南部民主党的な人々にとっては、経済保守は選挙のときには都合のいいことを言うが、実際は自分たちは利用されているだけであって置き去りにされているのではないかというフラストレーションもたまり続けていた。さらには共和党内ですら、非WASPの有力政治家が出ることは(テッド・クルーズもマルコ・ルビオもキューバ系であり、インド系であるボビー・ジンダルやニッキー・ヘイリーのように、経済保守的ティーパーティ系の政治家にはマイノリティも少なくない)、アメリカが白人のものではなくなっていくという見たくない現実を突きつけられる思いだったろう。

トランプがどこまで戦略的なのかは見方は様々であるが、少なくとも彼が正攻法で挑んで大統領候補になれる可能性はゼロであった。不動産王という肩書きがつけられるが、この予備選でのトランプはむしろテレビタレントとすべきであり、テレビ番組製作者としての「勘」を最大限に働かせている。まずはじめにメキシコ人への差別発言を行うことで(「差別的」発言ではなく差別発言そのものであり、日本のメディアが「過激発言で人気を集める」などとするのは明らかにミスリードであるが、これはアメリカのメディアとりわけテレビでも大差はない)てっとりばやく支持者を集め注目を獲得し、その後は共和党エスタブリッシュメント、とりわけ経済保守に挑戦するかのような発言をすることで、共和党には不満があるが民主党には絶対に投票したくないという層の支持を集める。あとはバンドワゴン効果により、よくわからないが何かをやってくれそう、現状を変えてくれそう、といった漠然とした印象を持つ人々を吸い寄せる。

「日本でトランプ現象のようなことは起こりうるのか」というのは馬鹿げた問いだ。差別発言を繰り返しながらメディアが異様なまでに「寛容」であることは石原慎太郎的であるし、テレビタレントとしてのコネとスキルを使って注目と支持を集めるという点では橋下徹的であって、むしろ石原・橋下現象と似たことがアメリカでも起こっているとすべきだろう。

NPRのThe Puzzles In Covering Trump: How The Media Approach His Campaignを聞くと、トランプとテレビとの異様な関係の一端がわかる。NPR(アメリカの公共放送)やハフィントンポスト、ポリティコ等のメディアはどうでもよく、集会を取材しようとすればメディアに対する敵意と侮蔑を公然と表すトランプに煽られた支持者によって身の危険を感じるほどである。一方で、とにかくテレビで注目を浴び続けることが最優先であり、もしテレビに出られなくなると感じればトランプは態度を変えることになるかもしれない、とハフィントンポストの記者は語っている。このあたりも極めて橋下的であるし、安倍晋三がNHKをはじめとするテレビを飼い馴らすことを「学習」したこととも通じるだろう。


人種差別や排外主義を煽りつつ、虐げられた労働者に配慮するかのようなトランプ的主張は、ナチスがその典型であるようにヨーロッパの極右の常套手段であり、現在でもヨーロッパの極右は表面上はその主張を修正しつつも、土台は同じものである。また1930年代の日本の軍部も、海外膨張と零細農民の救済を同時に掲げることによって支持を集め影響力を強めていった。アメリカ合衆国の歴史からしても、また世界的な歴史と現状からしても、目新しい現象というよりはこれまで何度も繰り返してきたものであろう。

コーク兄弟をはじめとする、経済保守でありながら文化保守を煽ることで共和党を右へ右へと誘導してきた勢力は、ポピュリズムをコントロールできると過信していたのだろう。福音派は、これまでは中絶を一度でも容認したり旗幟鮮明にすることを避けたりした政治家のことを、選挙目当てで信用できないと攻撃してきた。これによって、福音派の支持を集めたい中道寄りの政治家はより過激な発言をせざるをえなくなり、共和党内は表向きは文化保守的価値観一色となっていく。こうして文化保守に恩を売りつつ、政策としては経済保守を押し進めることができるようになる。

これまでの福音派であれば、過去に中絶を容認していたトランプは絶対に認められないし、ゴリゴリの神懸り右翼であり、また経済保守でもあるクルーズに支持が集中するはずだった(クルーズは右翼というより極右とするほうがふさわしいほどだ)。実際に最初の予備選挙であるアイオワでのクルーズの勝利の立役者は福音派であった。ところがトランプ旋風が吹き荒れ続けると、福音派までもがトランプ支持に流れるようになっていった。トランプは「病的な嘘つき」であるが(このサンダースの発言をセローは引用している)、その支離滅裂な言動により、人々は自らに都合のいいところだけを切り取ることができ、つまみ喰いして支持をする。このような「つまみ喰い」もまた、共和党がここ数十年行ってきた戦略であろう。「軒先を貸して母屋を取られる」というのとは少々異なるが、トランプは共和党的な手法を逆手にとって、この予備選で勝利をおさめようとしている。


ガーディアンの記事に戻ろう。

セローはサンダース現象についてはどう思っているのだろうか。サンダースは正しいことを数多く言っているが、アメリカはまだその真実を受け入れられないだろう、としている。「もし君が自分を社会主義者だと、あるいはサンダースがそうであるように民主社会主義者だと言うとする。すると壁にスターリンの肖像を掲げていると思われるんだ」。

しかしこれについてはセローの考えは少々古くなっているのかもしれない。こちらに書いたように、高齢のアメリカ人にとっては「社会主義」とはソ連の政治体制をイメージさせるが、若年層においては北欧の福祉国家をイメージさせるものとなっている。

前にも書いたように、サンダースの主張はアメリカ合衆国以外の人にとっては「過激な左翼」を連想させるようなものではないだろう。むしろ彼の主張は、ニューディールの精神を取り戻せという、再分配福祉国家の再建であり、その発想は「社会主義」的なものというよりは、中道左派的とすらいっていものである。あえて「リベラル」を名乗るリベラル派はいても、「民主社会主義者」をあえて名乗るリベラル派は連邦議員ではサンダースぐらいのものだ。これによって、彼の気骨がさらに強調されることとなった。

「左右の過激主義の広まり」ともされるが、個々の政策の現実性はともかく、基本的な路線としては過激でもなんでもないサンダースが「過激」とされてしまうという現状こそが、リベラル派による民主党への不満であり、サンダースへの支持につながっていると考えるべきだろう。

共和党が右傾化し支持を拡大させると、民主党中道派は「リベラルでは勝てない」として、中道路線を取り続けた。ビル・クリントン政権はまさにその象徴的な例であり、クリントン政権は福祉を削減し犯罪を厳罰化し(刑事司法に差別の根強いアメリカでは、これによって黒人コミュニティはズタズタにされ、あのコーク兄弟ですらこれを批判し、クリントンも誤りであったことを認めた)、金融機関への野放図な規制緩和を行った。「リベラルでは勝てない」というが、これでは選挙に勝ったところで意味などないではないか、この不満は2000年にはゴアではなくネイダーへの投票という形で火を噴いた。オバマ政権誕生以降もくすぶり続けた不満と、若い世代の苦境とが重なり、ヒラリーへの根強い不信とそれに反比例するサンダース人気の原動力となっている。

セローはオバマを絶賛しているが、基本的にはオバマ政権もクリントン路線の延長線上にあるとすべきだろうし(両政権とも議会が共和党に握られていたという点ではやむをえないところでもあることも承知しているが)、個人的にはそこまで評価する気にはなれないものの、セローに「私の人生においておそらくは最良の大統領」と言われると、他と較べればそうなってしまうのか、というのもわからなくはないが。

セローは深南部が依然として共和党に投票し続けるであろうことに失望しつつも、南部で親切で寛容で温かい人々と出あったことから、その将来については慎重ながらも楽観的でもあるようだ。

福音派について書いたが、福音派が「本質的」に右翼的なのではないことは、ジミー・カーターが福音派であったことを挙げればわかるだろう(過去形であるのは右傾化した福音派からは離れたため)。カーター政権というのもある種のアメリカの「伝統」を体現している。「反知性主義」は日本では「非知性的振る舞い」と同一視して語られがちであるが、そのような面もあるとはいえ、これはエリートや権威への不信に根ざしたものである。「ワシントン」への嫌悪はニクソンによって決定付けられた。カーターがワシントンでは無名であったことこそが、大統領選挙での勝利につながった。彼の掲げた人権外交は、キリスト教的人道主義に由来するものだ。しかし様々な失態があったとはいえ、わずか4年の間にカーター政権誕生の原動力となった要因が、すっかり右派によって奪われ、レーガン政権の誕生へとつながることになる。裏を返せば、健全な懐疑精神や、そのお人好しともいえる理想主義的な明るさといったものによって、リベラル派が南部を奪い返すということも不可能ではないということになるのかもしれない。

とはいうものの、憎悪と分断を煽ることこそが手っ取り早く集票につながるというのは共和党が長年に渡って証明してきたことであり、このあたりについては僕はもともと悲観的であって、この思いは年々強まってもいる。一方で、アメリカやヨーロッパにおける左派内部の中道路線への反発は、楽観主義が広まっているというよりは、そんな悲観主義になど染まっていられないという切羽詰ったものであろうし、日本でもむろん状況は同じであろう。トランプ現象を目の当たりにして、日本の現状を合わせると、受け皿のなさを嘆くだけの、そんなシニシズムにかられている余裕などないのだということもまた、強く思うところでもあるが。







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佐藤太郎(仮)

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