『日々の光』

ジェイ・ルービン著 『日々の光』




1953年、ビルは見慣れぬ車が止まっているのに気づく。きっと近所のおじさんが買ったのだろう、車で学校まで送ってもらえるかもしれない、そう思って車の中を覗き込もうとすると、乗っていたのは険しい顔をしたアジア人だった。その男は「ビリー?」と、「まるで懺悔を引き出そうとするような口調で訊ねた」。男には左腕がなかった。「君に……会いたかった……」と男は言うと、車は走り去った。

1959年、神学を学ぶ大学生となっていたビルにはクレアという恋人ができた。ビルの太腿には矢が貫通したような傷跡があった。4,5歳の時にできた、父がいうには狩りでの事故だったらしく、カンザスの伯母さんのうちに行ったときのものかと思っているが、ビルにはその記憶がない。クレアはそのくらいの年齢の出来事なら記憶があるのではないかと訝る。クレアはビルが心ここにあらずとなりがちなことや、何かを抱えているもののそれを打ち明けてくれないことに不満を持っていた。

ビルはある日、日本食レストランに入る。メニューに「オニギリ」という、「ライスを丸めて海藻に包んだもの」と説明された食欲をそそらないものがあった。それでもオニギリを注文すると、日本人店員から「オニギリ」の発音がいいと褒められる。オニギリを口にすると、「僕はこいつを食べたことがある!」と思う。この消えた記憶は、「快感と同時に、ずっと昔の恐怖も呼び起こした」。

クレアはノルウェー系だった。ビルは牧師である父のトムに彼女の存在を話す。父は神学校に進む前に、ビルがノルウェーに伝道に行きたがっているのかと思う。しかしビルはノルウェーではなく日本に行きたいと言う。すると父は日本人のクリスチャンなど存在しない、日本での伝道など無駄だ、日本に行くな、と激高するのであった。ビルは売り言葉に買い言葉で、父の秘密を問い詰める。母が死んだ後カンザスの伯母にあずけられたというが、この時の写真一枚なく、伯母から手紙が来たこともない。これはおかしいではないか、いったいどういうことなのだ、と。

1939年、日系キリスト教会の牧師だったトムは妻に先立たれ、息子を男手で育てていた。教会に新しくやってきた光子という日本人にベビーシッターを頼むようになる。彼女は裕福な銀行員野村夫妻の妻の妹だった。トムが光子の姓を訊ねると、光子は「私、ただの光子です、夫はいません」と答える。
姉の話では、光子は侍の家系の一人息子の軍人に嫁いだが、なかなか子宝に恵まれないことから姑にいびられ続けていた。ようやく妊娠したが、中国から帰ってきた夫は人が変わったように光子に暴力を振るうようになる。夫は南京にいたのだった。虐殺に加わったせいでそうなったのか、最早別人だった。赤ん坊は出産後間もなく死亡してしまう。光子は家を出た。すでにアメリカは日本人移民の受け入れが非常に厳しくなっていたものの、兄夫婦のコネとカネを使って光子はアメリカに渡ってきたのだった。

息子のビルは光子によくなついた。トムも次第に光子に惹かれはじめ、結婚を決意する。日本人社会は二人の結婚に当初は懸念を持っていたが、なんとか受け容れられる。新しく家族となった三人だが、トムは光子が日本の習慣をなかなか捨てられないことや、太陽に祈りを捧げているのを知ってこれらを不快に思うようにもなる。日本の中国侵略はアメリカでも強い非難を呼んでいた。そしてついに真珠湾攻撃が起こる。姉夫婦の家が暴徒に襲撃されるなど、日本人・日系人への差別と暴力がむきだしになるが、トムは冷淡な反応しか見せなかった……


1950年代から60年代にかけてのビルの物語と、1939年からの数年のトムと光子の物語とが平行して語られていき、ビルの記憶の謎が明らかとなり、さらには意外な事実に辿り付くことになる。

第二次世界大戦にアメリカが参戦後、日系人はスパイのおそれがある敵性外国人として収容所へ入れられたが、ドイツ系やイタリア系にはそのようなことは起こらなかった。これを直接攻撃が可能だったという地理的な理由だけで説明することはできない。もちろんここにあったのは日本人(アジア人)への差別である。

ジェイ・ルービンは本作執筆の動機として「第二次世界大戦中にアメリカ政府が憲法を捨てたことへの怒り」をあげている。少し言葉を変えれば、正義の感覚としてもいいのかもしれない。ビルは全てを忘れてしまった。これはあまりに強烈なある体験が彼に記憶を抑圧させたという防衛反応でもあったが、また1950年代のアメリカでは、かつてこのような差別政策を取ったということが社会的に隠蔽されていたがゆえに起こったことでもある。ビルは隻腕の男と再会し、彼から衝撃的な事実を聞くこととなる。このように、忘却という不正義にも取組んでいる。アメリカは原爆投下後の広島・長崎での調査結果を公表せず、日本にも世界にもその惨状が正確に伝えられることはなかった。まさにこれも忘却という不正義の一形態としていいだろう。

原爆? アメリカ本土を舞台にしているのではないのか、と思われるかもしれないが、これがしっかりと物語の重要なファクターとなるのである。
ルービンといえば村上春樹、夏目漱石ら日本文学の翻訳家・研究者として知られている。そのルービン初の小説が本作であるが、読む前は正直にいうと(失礼ながら)春樹の翻訳者という下駄を履かされて出版されたのでは、なんて疑いを少々持っていたのだがさにあらず、しっかりとしたストーリーテリングの長編小説となっている。

「訳者あとがき」にあるように、実は本作は1987年末にはすでに完成し、ルービンは出版を模索していたがそれはならなかった。ルービンは戦後70年に向けて、2013年から出版社との交渉を再開し、シアトルの「小さいながらアジア関係の著作を中心に良質の本を出版している」、Chin Music Pressから2015年5月に刊行することができた。

日系人収容所といえば、ルービンがこの作品を最初に書いた後にレーガン政権による謝罪と補償がなされる。レーガン政権に批判的な人でも、これについては肯定的に評価する人が多いのではないだろうか。そしてレーガンにこのような謝罪と補償を可能にしたものこそアメリカにある正義の感覚であり、その源流となっているのが合衆国憲法、及び独立宣言であろう。ルービンが怒りにかられたのは「第二次世界大戦中にアメリカ政府が憲法を捨てたこと」であるが、またこのような怒りこそが200年前以上に書かれた憲法を活き続けさせているのだということもできる。もちろんアメリカが国家として行った不正義を数え上げればきりがないし、その全てが正されたわけでもない。とはいえ、やはり正義の感覚、あるいは正義への責任意識というものは、いくつもの危機を経験しながら、社会から完全には窒息させられることはなく、そしてその拠り所となっているのが合衆国憲法なのである。

ルービンは、おそらくは自身の体験も使って、戦後の日本における外国人の不当な扱いも描いてもいる。作中では過去のことだが、こうした日本における「ガイジン」に対する不正義は現在でも数多く見られる現象であるが、日本人の読者はこうした現実に「怒り」を感じることができるのか、そしてそれを正そうとする場合の、その拠り所となるものはなんであろうかということも考えなくてはならないだろう。


「訳者あとがき」によると、本作の著作権はルービンと妻の良久子のものとなっているそうだ。二人は毎朝散歩しながら物語について徹底的に話し合ったそうで、「その意味で、ほとんど夫婦共著と言ってもよい」ようだ。

このおかげか、本書は日米(カップル)のカルチャーギャップ作品としても楽しめる。光子はトムが帰宅すると玄関でスリッパを出すが、トムには光子が召使のように過剰なサービスをしているように思えてしまう。しかし光子の姉にこの話をふると、外を歩き回った靴でそのまま家に入り、そればかりかベッドの上にまで靴であがることもあるということこそ理解し難い行為に思えると返される。また風呂に対する感覚の違い、あるいは親と子どもの距離の取り方など、国際的なカップルならば思わずうなずいてしまうところなのかもしれない。

あと「ハイウェイで潰されたヒキガエルのはらわたのように見える、何かズブズブ滲み出た赤い物体」とは梅干のことだろうか。外国人が苦手な日本食としてよく納豆があげられるし、日本人からするとこれはまあそうだろうという感じだが、意外と梅干が駄目という人も結構いるような気もする。ほかほかの白いごはんにつぶれ梅でも乗せたところを想像しただけでよだれがでてきてしまうが、梅干を見たことない人からすると確かになんなんじゃあれは、と見えしまうのもわからないではないか。



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佐藤太郎(仮)

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