『昭和を語る 鶴見俊輔座談』

『昭和を語る 鶴見俊輔座談』




1960年代から90年代にかけての鶴見俊輔の座談が九編収録されている。それを意識してのことだろうから当然といえばそうなのだが、「昭和は遠くになりにけり」どころか、本書を読むと現在の日本の主として負の側面が、数十年前と地続きであることが確認できる。


1967年に行われた都留重人との対談では、都留の経験もふまえて官僚についてや左翼勢力と権力について語られている。

第二次大戦後、アメリカは多少の変革は持ち込みはしたが、基本的には占領政策を円滑に行うために官僚機構を温存し、利用することを考えた。とりわけ昭和22年以降に占領政策が変更されると、「日本をむしろアメリカの子分として、アジアにおけるアメリカの役割の一端を担ってもらおうという方向にすすんだから、そのときには、日本の保守的な官僚陣とアメリカの政策とのあいだには根本的な一致が見られるようになったんじゃないですか」と都留はしている。

鶴見はこう問いかけている。「まあ全体として、結局日本では官僚政治というものがひじょうに大きな意味で返ってきて、官僚がひじょうに評判を落として仕事がやりにくかった時期というのは敗戦後ほんの数年しかなかった気がしますけど、いまの日本の官僚は、天皇制をバックにしたときよりも、アメリカをバックにしているほうがらくらくと能率的合理的に動けるという状況はあるんでしょうか」。

これに対して都留は、「その合理的に動けるというということもあるし、やはり行政の専門家としての重心というのが昔以上につよくなっているのじゃないかしら」としている。

鶴見の言う「日本の官僚は、天皇制をバックにしたときよりも、アメリカをバックにしているほうがらくらくと能率的合理的に動けるという状況」というのは、アメリカを中心とする「外圧」を利用、あるいは擬装しながら政治家やメディアを操る戦後の日本の官僚の一つの姿であろう。

戦前は六法全書一冊あればそれで足りたが、今では例えば「都市計画法令集」だけで二千ページ以上あり、官僚はこれを頭に叩き込んでいる。そのため「しろうとが議論をふっかけましてもね、いかにしてそれをうまく、のがれはずし反論しというすじみちをよく知っているわけです。われわれを迷路へ引きずり込みましてね、こちらがなんとも自信のある発言ができなくなるところまで追い込んじゃうんですよ。すると、こちらは劣等感を感じますよね。「そう言うことはわたしにはちょっとわからんものですから」と言うとね、「いやそこがわかってなきゃこの問題の答えは出ないんですよ」とくるわけです」と都留は言っている。

鶴見は「戦前にくらべて、官僚がさらに肥大化するというかたちになってきてますね」とし、都留は「われわれ庶民の生活にひじょうに関連の深い、日常的なことでなんとかならんかという問題についてたぐっていきますとね、十重二十重の官僚的立場からの防衛線ができてるんですよ、ちゃんとね」としている。

都留はここでは野党政治家が官僚と対峙するのがいかに困難かを語っているのだが、現在の日本で考えると、政治家もさることながらメディア幹部がこれにすっかりやられているのではないかとも思えてくる。はたからみればカフカ的官僚迷宮世界なのであるが、ある角度から見ると非常に専門性が高いようにも映ってしまうのだろう。「いやそこがわかってなきゃこの問題の答えは出ないんですよ」と言い切られて、はぐらかされたり押し切られたりしてしまい、メディアがすっかり官僚の掌で踊らされてしまうというのは、消費税問題などが典型だろう。官僚制の有り方というのはどの国でも様々に問題とされるのであるが、日本のそれはまた独特の形態をしているとしていいのかもしれない。

また都留は左派と権力の問題についても語っている。
「片山内閣ができて、いろんな政策を発表したときの批判は、これは左翼のほうがひどかった。つまり、、社会党内閣に、日本再建のための何か革新的なことをさせようという世論はなかった。だから少しでもそこにいいことがあれば、それを引っぱり出して激励するということもなかった。社会党のなかですでにそうだった」。

これは日本のみならず世界の多くの国で見られる現象であろう。保守・右派というのは権力を奪取しそれを維持するためには、政治哲学や政策的一貫性を平気で放棄し協力する傾向にあるのに対し、左派は原理的な部分にこだわって四分五裂となりがちである。

片山内閣崩壊時について、都留はこう言っている。「社会党の左派というのは、行政の具体的な問題を聞かないで、つまり、少しでも橋頭堡を築いて、そこからこちらの考えかたを伸ばすという態度はとらないで、頭から、問題をつねに体系的に論ずるわけで、根本的なところまでさかのぼって論ずるわけですから、部分的な改革ということに対しては、おそらく今日のことばで言えば修正主義という刻印を押したんだろうな。(中略)問題はオール・オア・ナッシング的な立場ね。根本的なところまでさかのぼって自分たちの意見が入れられなければ、部分的なことで譲歩はできないという考えかたね」。

おそらくは中道左派的な立場から左派に対して批判的な人は、都留のこの意見に大いにうなずくところであろう。しかし日本では、とりわけ90年代以降は、あたかも現状を追認することが「現実的」な立場であるかのごとく喧伝された結果として現在の野党の惨状があるとも言うことも出来るので、現在ではむしろこのあたりは要注意なところのようにも思えてもくる。


1990年に行われた古関彰一、河合隼雄との鼎談では、古関の『新憲法の誕生』を受けて日本国憲法と人権の問題について取り上げている。





鶴見は「日本国憲法でおそろしいのは、この本で触れられた「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」というところですね」としている。

古関によると、この部分はGHQ案にも政府草案にもなかったのであるが、「衆議院憲法改正特別委員会の第四回小委員会で入った」のだという。明治憲法と日本国憲法に同じ条文は一条もないとされるが、実はこの箇所は「臣民」を「国民」に変えただけで、一〇条だけは明治憲法を「密輸」していたのである。

鶴見は「憲法をつくった人たちは悪知恵を働かせて、基本的人権が保障される人の範囲を国籍法という書かれた法に預けてしまっている」と言っている。

古関は「少なくともアメリカは自然法の国ですから、日本政府が「法律で決められた要件に該当する者だけが日本国民なんだ」などと言ったらたいへんなことになってしまいます」と言い、「英文では一〇条は基本的人権が保障される人の範囲を限定したものではないかのような表現にした。それでGHQはオーケーしてしまった」としている。

これを受けて河合はこう語っている。「あのへんのからくりはすごいですねえ。われわれの仲間がものすごく巧妙に、何の闘いもしないようにしながら、外国人を完全に疎外しているわけでしょう。ふつう、日本人は「われわれは他人にも親切である」とか「他人のことを考える国民性がある」とか言っているけれども、実際にはこういう憲法をつくってきている。それはじゅうぶん自覚しなくちゃならないわれわれの欠点でして、そこをはっきりあとづけられたのはひじょうに大きい仕事だとぼくは思います」。

古関が著書で取り上げ、河合が「からくり」と呼ぶものは、皮肉なことに現在の日本国憲法が「アメリカの押し付け」などではなかったことを負の部分で明らかにしている。

古関は国連の人権委員会から「代用監獄は人権侵害である」という報告書が出されたことを取り上げている。また子どもの権利条約や死刑廃止条約にも触れ、「本来人権というのはどういう国籍の人にどういう権利を与えるかという性質のものではなくて、すべての人間が生まれながらににしてもっている、人間らしく生きる権利ということですから、その面で日本の人権状況が国際的な非難を浴びることは避けられないだろうと思っています」としている。

現在に至るまで代用監獄制度は相変わらずであり、日本の刑事司法制度は「中世並み」と揶揄される状況に変化はなく、また人権について、外務官僚などが日本国内でしか通用しないような奇妙な論理を国連などで公然と披露するというお寒い状況にも変化はない。先にあげた官僚制の問題はここにも反響していて、日本のメディアは外務官僚や法務官僚のレクなどに頼る結果として、このような状況が取り上げられることすら、皆無とまでは言わないが極めて少ないうえに、批判的検証は、はなはだ不十分なものになっている。

一方で、このような例をあげるとある種の「原理主義」的法思想家が「日本の護憲派の欺瞞」というようなことを言い立てるのだが、これも注意しなければならないところだろう。現在の日本では右派が誤ったアリーナを設定しようとしているわけで、これにわざわざ乗るというのは愚かな選択肢であるし、「中立」を装いつつこちらへと誘導しようとするたちの悪いのがいることには気をつけたい。


1968年に行われた羽仁五郎との対談では、羽仁は「日本がシンガポールを侵略したとき」のこんなエピソードに触れている。

後に文藝春秋の社長となる、当時かけだしの編集者だった池島信平が、「日本を侵略主義と言うけれども、百年前にはイギリスは同じことをやっていたではないか」として、羽仁に阿片戦争について書いてくれと依頼してきた。ちょうど「ヨーロッパではナチスがパリを侵略したとき」でもあり、羽仁は抵抗運動が起こり「ナチスは必ず壊滅する」、「そういう滅亡寸前のナチスと手を組んで日独伊三国防共協定など結んでいくことは、日本もいっしょに滅びてしまうことになる」と言った。羽仁は文藝春秋の原稿依頼を断り、代わりに『思想』に、「阿片戦争に反対したグラッドストーンの議会演説を引いて、イギリスはいま香港の埠頭にユニオンジャックをひるがえしているが、こんな恥ずべき戦争に国旗をかかげるならば、将来ながく英国民は国旗を見るたびに恐怖と戦慄と汚辱に震え、二度と見たくなくなるだろうと言ったグラッドストーンの演説を引用した」のだそうだ。

本書には「保守的懐疑派」を名乗るする粕谷一希の鶴見への「手紙」も収録されているが、粕谷が「進歩派」へ向ける「懐疑」は国家主義者に対してのそれと同じものであろうか。池島のこのエピソードと合わせると、日本の「保守」の多くが平時にはどんな穏当なことを言っていようとも、何かあれば国家主義に容易にからめとられることを表しているようにも思えてしまう。


また羽仁はこんなことも言っている。

「佐藤栄作みたいに、国を守ると言えば軍備のことだといって、一台二十億円もするFXなんてあやしげなものをアメリカから売りつけられて、それで三菱工業などの大企業をもうけさせて自民党の政治資金を稼いで、保育所の予算を削ったり、大学などに金を出さないで口ばかり出しているなどという遅れた観念は、ルネサンス以前だよ」。

このあたりは固有名詞を入れ替えれば今でもそのまま通用してしまいそうだ。佐藤といえばご存知の通り安倍晋三の大叔父にあたり、三菱といえばこの一族とは密接な関係にある。


1989年に行われた中沢新一との対談では、鶴見は「大喪の日」にタクシーに乗ると、運転手が沖縄出身であったことからある会話へと発展したエピソードを披露し、「だから沖縄のなかには、民衆の内部からの天皇制批判というのがあるんだね。これを天皇の側は見なきゃいけない。現天皇はそれを見ることができるかもしれない。昭和天皇も、沖縄敗戦の日を覚えているくらいだから、竹下総理大臣その他よりは見ていたかもしれない」としている。このあたりも、現在読むといろいろと考えさせられるところである。

また鶴見は、天皇制や君が代について「絶対反対じゃない」としつつ、「とにかく卒業式に「君が代」をうたえ、まだ立たないのか、この野郎、ポカンなんてギューッっと押しつけてくる教師の姿勢がよくない。そういうことをすすめる校長はどうかしている。非教育的だと思う。それで反対なんだけどね」と言っている。

反対運動をしている鶴見は「京都で三人の悪人の一人」にされており、「その三人に電話をかけて抗議をしよう、手紙を出せっていうリッパなビラがまわっているんだ。ちゃんと印刷して。わたしのところに手紙とかはがきが来る。はがきの一つには初めはかたかなで「ナメルナ、チャンコロ」って書いてあった。全部かたかな。つまり「君が代」強制反対という運動の署名をしたら、すぐさまの反応は「ナメルナ、チャンコロ」」。

これもまた現在のエピソードだと言われても驚かないようなものである。ここ十数年の日本は、ネットの普及によってレイシストが突如どこからともなく湧いてきたのではなく、以前からいたのが可視化されたり、あるいはそれに刺激を受けて潜在的レイシストがこれを表に出してもいいのだと思うようになったと考えたほうがいいのだろう。またビラが「ちゃんと印刷」されていたというのは、かつてからこういった連中がそれなりの資金力を持っていたのだということでもあろう。


鶴見俊輔という人もなかなか評価が難しいところもあり、僕自身はそれなりの敬意と好意を持っているのであるが、同時に左派的な立場から批判的であったり警戒心を抱く人がいるというのもわからなくはない。本書はどちらかというと鶴見の危うい部分というのが出ているところも多いようにも思えるが、それでも、本書を読むと戦前と戦中の連続性や、戦後日本の「一貫」した歩みなどについて、興味深い発言をいくつも見出すことができるだろう。




プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR