武田泰淳の歯

『武田泰淳伝』(川西政明著)を読んでいたらこんなところがあった。

1971年、野間宏が谷崎潤一郎賞を受賞し、その授賞式に選考委員であった泰淳も出席したが、「急に言葉が出てこなく」なり、「何をしゃべっても同じようにな」って、「舌がもつれ」、「前へつんのめりそうになりながら、車で送られて家へ帰った」。

翌日、今度は河出書房新社主宰の文藝賞の授賞式に出席したが、挨拶に立ったものの「うまく口がきけなかった」。これは脳血栓の初期症状が出ていたのだが、泰淳はそのことに気づかずに「その後もいつもどおり酒を飲んでいた」。

谷崎賞の際に同席していた嶋中鵬二が中央公論嘱託の医師を連れてきて、ようやく入院することになったのは一ヵ月後のことだった。喫煙禁止、覚醒薬禁止、酒禁止、カロリー制限が言い渡された。

なぜここまで放置していたのだろうか。実は「そのころの泰淳には上下とも歯が一本もなかった。歯茎で咀嚼できるものしか食べられない状態であった。そんな状態だから、言葉は不自由であった。言葉が不自由な状態が日常化されていたため、口がうまくきけないのが脳血栓からきていることに気づかなかった」のであった。

泰淳は頭痛薬ノーシンを十年間も常用し、執筆のためにアルコールもかなり摂取するなどかなり無理な生活をしていたようなので、歯を全て失ってしまったというのはわからなくはない。それにしても入れ歯はどうしたのだろうか。試してみたけれど合わなくてやめてしまったのか、あるいはそもそも試しすらしなかったのだろうか。泰淳は大の病院嫌いで、この五年後も体調不良でありながら病院に行かず、ガンの発見が遅れ手遅れとなってしまうほどなので、あるいはそもそも歯医者になんぞ行かなかったのかもしれない。

いくら病院嫌いといったって、歯が一本もないことの不便さを考えるとさすがにそうなったら歯医者に行くだろうと思うのだが、なんとも筋金入り(と言うべきなのか)の病院嫌いだったのだろうか。

ある程度歳を取ってわかってきたのは、髪の毛なんかよりも歯に悩みを抱えている人というのが多いということであるし、『吾輩は猫である』で椎茸で歯を折った寒月君のことをなんだか笑い飛ばせなくなくなってきそうなもので、ちょっと気になってしまった。それにしても、入れ歯が合わずに苦しんでいる人を見ると、他の医療技術と比べて総入れ歯の進歩のスピードが遅すぎるようにも感じてしまう。あまりに質のいい総入れ歯が開発されるとみんな歯の手入れを怠るようになって歯医者さんも商売あがったりになるから……というのはさすがに陰謀脳を働かせすぎなのかもしれないが、なんとかならんものなのかね。






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