吉田健一の声

『二つの同時代史』

埴谷雄高と大岡昇平の対談。同年生まれの二人が生い立ちから戦中、そして「現在」までを縦横に語っている。戦時中についてなどシリアスな部分もあるが、気心知れた長年の友人であるだけに歯に衣着せぬというか、放言めいたところもある。そんな中から吉田健一にまつわるこんなエピソードを。

「鉢の木会」には大岡に吉田、三島由紀夫に福田恆存なども参加していた。その「鉢の木会」がどうして割れていったのかというと、大岡は「最初は三島由紀夫と吉田健一との仲が悪くなったんだよ」とし、こう続けている。「会えば会うほど吉田の奇声にはみんな悩まされた」。
すると埴谷も「おれもあれにはまいった」と返す。
大岡はさらにこうまで言う。「モーツァルトが聞いたら発狂するだろうという調子っぱずれな声でワアワアやるんだよ」。

大岡は大磯にいた際に吉田茂が地元で非常に評判が悪いことを知り、また自分が税金で締め上げられたにも関わらず吉田茂は建前上は大岡より年収が下になっていることなどに腹を立て、そういったことをオーバーに書き立てたもので、息子としてもあまりいい気分がしなかったのだろう。こうして二人の仲は険悪なものとなっていく。しかし「ただ吉田にちょっと気の毒だと思う」とし、実は「あいつの調子っぱずれな声というのは、口実の気味があってね」としている。「三島が抜けたのもおれが抜けたのも実は別の理由があったんだよ。三島が抜けたのは、文学座と福田の「雲」が別れたからだ。三島は文学座の方へ行ったろう。これが本当の原因だよ。元凶は福田、口実は吉田なんだよ(笑)」。

埴谷は「ほう、そうすると、吉田が犠牲になって表に立てられちゃったってわけだ」と返し、大岡は「吉田はかわいそうなんだ」としつつ、「だけどもちろん彼自身悪いところもあるんだよ」と、こんなエピソードを披露する。

「三島が家を新築したとき、お祝いにわれわれは招ばれたんだよ。三島の例のロココ風の家というのはおれもあまり気に入らないけれど、新築祝いに招ばれたんだから、いろいろほめるわけだよ。ところが吉田は、なにか置物を手に取って「おっ、これはどうも高そうなもんでございますね、エッヘッヘッヘッ」、って調子だ(笑)。料理が出てくると、「あっ、これはとても普段食えない」って(笑)。三島は東京会館のレストランからコックを呼んできてちゃんとした料理を出しているのに、吉田がその調子だから、三島はいやな顔をする。おれたちも困ってね。それで吉田を送って、吉川逸治が帰ってから、おれと中村光夫が残って三島を慰めたよ(笑)。そのころはおれも三島と仲がよかった。/それから少したってだよ、とても耐え切らないからと言って三島がやめたのは。これは「雲」と杉村春子が別れた日付ではっきりしてるはずです」。

大岡や三島が流行作家になったが吉田は「おやじがいつまでも死なないから、始終翻訳してなきゃならない」状況にフラストレーションが溜まっていたのか、この頃は「ひどくひがみっぽ」かったそうだ。そして「いうことがいやらしいものだから、「おまえの声にはみんな我慢してるんだ、「鉢の木会」というのは我慢大会じゃねえぞ、おまえは抜けろ」って言ったんだよ(笑)」とのことである。

声は自分でどうこうできるものではないのだから、仮に「モーツァルトが聞いたら発狂する」ような声だったとしてもどうしようもないわけで、ちょっとひどいなあとも思ってしまいもするし、この点では吉田に同情してしまうが、三島家での吉田の嫌味三昧を聞くと(麻生太郎の口調で脳内再生されてしまった)、確かにこういう人と付き合うのは勘弁願いたいよなあとも思ってしまうところでもある。


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佐藤太郎(仮)

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