小林秀雄とエントロピー

大岡昇平の「小林秀雄の世代」で、小林が早くからエントロピーに注目していたことに触れられていた。大岡はここで「小林・湯川対談ほど論じられた文献は、例があるまい」と書いているが、不勉強にも未読だったもので、小林の1932(昭和7)年に書かれた「現代文学の不安」と、1948(昭和23)年に行われた湯川秀樹との対談「人間の進歩について」に目を通してみた。

「現代文学の不安」では、小林はこう書いている。

「科学が実現した機械の奇跡は、当然その本源たる理論の奇跡を想像する。嘗て天体の軌道に就いて明された私達は、既にエレクトロンの運動が天体の運動に酷似してゐることを知つてゐる。エントロピイの極大は吾が身の死に等しく明瞭だ。闇黒を征服するだけであつた光線は、明らかな質量を持つた物質と変じ、闇夜にも私達を取り巻くに至つた許りではない、私達の精神にも浸透してこれを構成してゐる事を明された。あらゆる原子の足元はふらつき、時空の純粋な概念も全くその意味を失つて了つた。われわれ素人が垣間見ただけでも、これら科学の高級理論は夢に似てゐる。専門家が自ら遂行した仕事を前にして唖然としなければ嘘であらう」。

といってもエントロピーと文学についてを正面から扱ったものではなく、『二つの文化と科学革命 』のスノー的といえなくもないが、全体としては、プロレタリア文学批判、左翼批判(というか揶揄)へと向かっていく。


「人間の進歩について」では、小林は渡辺慧の「量子力学に於ける時間とベルグソンの純粋持続」に触れ、このように発言している。

「渡辺さんの考えは、エントロピー原理と人間の意識との関係に関するものですね。あの結論は面白かった。いかなる精神も物質を観測することなしには、つまり物質のエントロピーを増大することなしには、意識を持ち得ない。逆に物質の方も観測されることなしには、エントロピー原理に服従することなしには、認識の対象になり得ない……確かそうでしたね」。


と、十数年を経て(しかもあの戦争を挟んで)相変わらずエントロピー、エントロピーと言い続けているのを見ると(ちなみに大岡によると青山二郎は当時、小林の顔を見ると「ほら、エントロピイが来た」と言っていたそうだ)、よほど関心があったのだろう。当時の日本の文系においてエントロピーがどれくらい一般化しており、またこれを文学の問題に援用できると考えられていたのか否かというのはわからないが、大岡や青山の様子ではかなり珍しかったのではないだろうか。

この後アメリカではピンチョンが登場し「エントロピー」という短編を書き、さらにはトニー・ターナーはピンチョン論を含む『言語の都市』でエントロピーを文学批評に援用し、ある時期文学批評界隈でもエントロピーはちょっとしたブームになることになる。そして他ならぬ大岡が、ターナーにも触発されて『姦通の記号学』を書くことになる(ということだったと思う)。

僕は小林のことがどうにも苦手でいたのだが、今回ちょろっと読んでみてもやはり依然として苦手であり、大岡についてはあれこれ読んでみようという気になるのだが、小林についてはどうもそういう気が起こらない。そんなわけでこれ以降小林がエントロピーについて何か書いているのかは知らないが、もし小林が正面から文学批評の方法論としてエントロピーに取組んでいたらどうなっていたのか、というのは気になるようなならないような。

このあたりの日本の文系によるエントロピー受容史なんて研究はあるのだろうか。もしあったらそれはそれでなかなか面白そうではあるが、まあ今となっては文学理論としてのエントロピーに関心を持つ人というのもそうはいないのだろうが……。


ついでにこんな話も。湯川はこの対談で「私はもともと講義はひどく嫌いなんです。大学で講義しているのがいちばん嫌なんです」と言っている。今度行くプリンストン研究所は講義をしなくていいのだが、大学ではそうわがままも言えず、またアメリカの大学でも担当する講義の数は多いようだ、としてこう続ける。「ただ日本のように事務的なことが多くないから、その点はいいでしょう。しかし雑務の多いのは、日本だけの現象ではなさそうです」。

これを受けて小林はこう言っている。「だけどアメリカなんかは日本の大学みたいに、やれ教授会がどうのこうのと時間をとられることは、あまりないのじゃないですか」。
そして中谷宇吉郎から聞いた話として、寺田寅彦は教授会である「研究」をすることにしたのだというエピソードを披露する。「タバコを契って灰皿を置いて、プーッっとやる、その煙の渦巻きの観察を教授会ではすることに決めて、黙って煙ばかり吹いていたそうです」。
その中谷は眠るという技を身につけた。「ぼくが中谷さんと旅行をしていたら、汽車の中でぐうぐう眠る。あなたよく眠れますねと言うと、これだって教授会で苦心して獲得した技術ですよといっていた」そうだ。

これは1948年に行われた対談だが、現在の日本の大学における教員の事務仕事の数々を知ったら、寺田も中谷も湯川も小林も卒倒してしまうことだろう。



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佐藤太郎(仮)

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