帰ってきたスパゲッティ問題

コルム・トビーンの小説『ブルックリン』にはこんな箇所がある。時は1950年代前半。アイルランドの田舎の村に住んでいたアイリーシュは真面目で頭も良かったが、経済が停滞しているアイルランドでは仕事を見つけることができなかった。アイリーシュは神父に職を紹介されてアメリカはブルックリンに渡る。デパートで店員をしながら夜学で簿記を学んでいたアイリーシュはイタリア系のトニーと出会い恋に落ち、トニーの家で食事をすることになる。

「その前の週末アイリーシュは、スパゲッティをフォーク一本で上手に食べる方法をダイアナに教わっておいたが、食卓に上った料理はダイアナが作ってくれたスパゲッティほど細くなく、つかまえにくくもなかった。かかっているソースだけはダイアナのと同じくらい赤くて、食べたことがない香辛料が入っているらしい。ほとんど甘いと言っていいくらいだ。ひと口食べるごとに口の中で転がして、材料を想像しながら味わった。そして、この家の家族はみんな、がんばってフォークだけで料理を食べようとしているわたしをじろじろ見ないように、また、そんなわたしのことを話題にしないように、気を遣ってくれているのかしらと考えた」(p.202)。


ここを読んでまたあのどうでもいい問題が頭をもたげてきてしまった。
前にこちらに書いたように『ゴッドファーザー PART2』ではクレメンザがフォークとスプーンを使ってスパゲッティを食べていた。またこちらに書いたように、クリント・イーストウッド監督の『ジャージーボーイズ』でも、若きフランク・ヴァリの父親はフォークとスプーンでスパゲッティを食べており、ジョン・カサヴェテス監督の『こわれゆく女』では粗野な印象を与えるピーター・フォークが「上品」な食べ方としてフォークとスプーンを使うように部下に指導するという一幕があった。

ところが『ブルックリン』のこの記述を読むと、アイルランドで育ったアイリーシュはフォーク一本でスパゲッティをうまく食べることができず、イタリア人の家で食事をするにあたり「正しいマナー」としてフォーク一本でスパゲッティを食べようと努力しているようだ。ちなみにトニー自身もブルーカラーであり、それほど裕福な家庭ではない。

あまり裕福ではない(もっとはっきり言っちゃうとあまり上品ではない)イタリア系移民がスパゲッティを食べる際にフォークだけでなくスプーンも使っており、それを見た一部のアメリカ人がこれが「正しい」マナーなのかと思い込んで広まっていった現象なのかと推測していたのだが、トビーンのこの描写が歴史的に正確だとすると、そうとは言い切れないのかもしれない。トビーンはアイルランド人であるが、この作中時間の後の1955年生まれなので、はたしてこのあたりの時代考証はどうなのだろう。


なお『ブルックリン』は小説としてとても面白く、とりわけ第四部でのアイリーシュの心理描写は非常に優れたものになっている。個人的には感情移入できるような、しにくいようなという感じでもあったのだが、人によっては(とりわけそれなりの経験を積んだ女性には)胃がキリキリしてくるように思えるほど見事な心理描写だと感じられるのではないだろうか。もしあの時あの選択をしていたら、あるいはしていなかったら、なんてことがつい脳裏をよぎってしまうような日々を送っている人にとっては、いろんな思いが込み上げてきてしまうだろう。

ようやく日本で公開される映画も非常に評判がいいが、スパゲッティ描写はいかに(ってそこじゃない)。






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佐藤太郎(仮)

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