翻訳希望

マイケル・チミノが亡くなった。チミノといえばなんといっても『ディア・ハンター』であるが、その後最早伝説と化した『天国の門』での凄まじい興行的失敗を受けてなかなか映画がとれない時期が続いた。その実現しなかった企画の中にはレイモンド・カーヴァーとテス・ギャラガー夫妻の脚本による『ドストエフスキー』も含まれている。これは邦訳のカーヴァー全集にも含まれていないのだが、まあ訳されていないということはそういうことと考えた方がいいのかもしれないが、やっぱりちょっと読んでみたい。もしかしたら版権の都合なんかで出せないということなのかもしれないが。それにしても、チミノが撮っていたらどんな具合になっていたのだろうか。





『ディア・ハンター』の公開は1978年、まだアメリカにとってヴェトナム戦争の記憶があまりに生々しい時期に撮られた。『ディア・ハンター』は戦争という異常な状況が人間をいかに損なうのかを描いた作品であるが、翌79年には、より寓話性を高めたコッポラの『地獄の黙示録』が公開される。この脚本に参加したマイケル・ハーも亡くなった。

ハーの『ディスパッチズ』はヴェトナム戦争文学の最高峰だともされる。こちらのニューヨーク・タイムズの死亡記事には、ジョン・ル・カレのこんな言葉が引用されている。『ディスパッチズ』は「私が今まで読んだ中で、我々の時代における人間と戦争を描いた最高の本だ」。

そしてハーはキューブリックの『フルメタル・ジャケット』の脚本にも参加し、コッポラ、キューブリックとの友人、協力関係はその後も続くことになる。
キューブリックの死後にはバニティ・フェアにKubrickというエッセイを発表し(こちら)、加筆し単行本化されている。これを機にといってはなんだが、こちらも邦訳が出て欲しい。1990年のインタビューがこちらで聞ける。





ついでに、まったく関係ない話題に移るが、ポール・マッカートニーの新しい伝記が出たということでガーディアンにビートルズ本10冊なる記事があった。




邦訳が出ていて僕も読んでいるのもあったが、不勉強にもポーリン・レノンのDaddy Come Homeは初めて知った。




ジョン・レノンにとって両親との関係はまさにトラウマ的なものであった。ジョンは父フレディが母と自分を捨てたのだと考えていたが、ビートルズが人気となるとその父が舞い戻り、ジョンの前に姿を現す。さらには当時54歳だったフレディは19歳のポーリーンと結婚するのであった。この本はそのポーリーンの回想録で、これだけ聞くと暴露本の類かとも思ってしまうが、こうして10冊にあげられていると言うことはそれに留まらないのだろう。それにしても、ジョンからしたらポーリーンは義理の母にあたるのだし、さらにはフレディとポーリーンの間の二人の子どもは「弟」となるのだと考えると、その心中というのはいかなるものだったのだろうか。

その他は以下の通り。



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